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小説 あなたは悪辣な恋人 14


知らない街を歩いていると、別れたはずの愛しい達也が前から歩いて来た。

思わず「達也!」と大きな声で名前を叫び、手を振り駆け寄ると、達也の隣りに奥さんがいる。

「この盗人女が!」突然発せられた怒鳴り声に驚き、身体をすくめると、急に目の前が明るくなり見慣れた風景が目に映り出した。

ああ、夢か…

元旦からこんな夢。どうして今さら奥さんと達也が出てくるんだろう。

私は夢を見るだけではなく、目覚めても夢の内容を良く覚えていて、子供の頃に見た夢を、今も覚えている。奥さんに怒鳴られた事も記憶にインプットされ、これから思い出してしまうのは何だか悔しいし、初夢に出て来るなんて縁起でもない。

昔、あまりに夢を覚えているので、夢とは何にか調べた事があった

心理学者で精神科医フロイトは「夢とは無意識的に抑圧された幼児期の願望と、起きている時に体験した残滓から作られた潜在意識が夢として現れる」と言う。

子供の頃の願望、それはひとつだけだった。

いつか王子様が迎えに来て、殺伐としたこの家から連れ去って欲しい。現実は、王子様なんてどこにもいないのに、幼い私は直向きに童話の世界を夢見ていた。


この夢が、予知夢ではない事を祈り、再び目を閉じると、達也の顔や達也との愛を思い出していく。

達也は私とのSEXで後背位を好み、後ろから激しく突き上げなから、純子のウエストラインが美しいと腰を撫で回していた

達也を思い出すと子宮が疼き始め、花芯を自分の指で慰めていく。快楽に包み込まれ絶頂を迎える時、私は櫻木ではなく達也の名前を呼んだ。吐息を漏らし白昼夢に溺れる私の新しい1年が始まった。



「純子、今夜行くよ」

「ごめんね。今日は会社の新年会で遅くなるの。明日なら大丈夫よ」

「なら良い。もう行かないわ」

「そんな事言わないの。明日は泰孝の大好きなすき焼きにしようか。美味しいお肉用意して待ってるから、それで許して」

約束したすき焼きの材料を買うため仕事帰りに慌ててスーパーへ駆け込む自分が、主婦みたいでなんだか嬉しい。今夜は出汁から取ろうかな。

「泰孝は良く食べるからお肉は量が必要よね。この肉高いけど、よし今夜は奮発しよう!美味しい物を食べて欲しいもんね。忘れずに泰孝の好きなポテトチップスと牛乳も忘れずに買わないと」

買い物袋の中身は全て櫻木の好きな物。
荷物が重いけれど喜ぶ姿を想像し幸せを噛み締めていた。

しかし21時になっても櫻木から連絡が来ない。仕事が遅くなっているのだと部屋を片付けていた。

間も無く22時になる。事故にでもあったのではないかと不安に襲われるが、何度かけても電話は繋がらない。

23時、どうして連絡をしないのかと怒りが込み上げて来た。あの人は私が心配しないとでも思っているのか、もう許せない。絶対許さない。

0時の私は涙しか出ない。今夜は2人で過ごす事を楽しみにしていた分、悲しくてやりきれない。

1時、とうとう終電が終わった。無言で、すき焼きのお肉を冷凍庫に入れる。明日、櫻木が来たら食べさせようとする母親のような自分と泣く事に慣れてしまった自分。

「もう疲れた。死にたい」

この言葉は、ここ最近の私の口癖。

恋人に死を望ませる男は今どこで眠るのだろうか。それさえもわからない。

私は櫻木泰孝という男の事を何も知らない。
住んでいる場所も仕事の話も、どこか嘘の匂いがして、そのうち聞くのが馬鹿らしくなった。話しの矛盾に目を背け、知らないフリをしている私の苦しみなんか何もわかっていない。矛盾を指摘すると威嚇する事で嘘を隠すのも櫻木の得意な話術だ。私が知っているのは櫻木の偽りしかないのに、問いただす強さも私にはない。


最近覚えた事をするため棚の箱から剃刀を取り出した。

櫻木と付き合ってから私の左手首には無数の傷ができてしまった。


最初はサッと撫でるように切る程度だったのが、いつの間にか剃刀を深く強く引くようになり、今は大量の出血を見ないと気が済まない。

軽く切ると転がりそうな丸い球の形をした血液が皮膚の狭間から現れ、さらに力を入れ剃刀を食い込ませると真紅に染まる美しい血液が流れ出す。自分から流れる赤の川を見ていると心が不思議と落ち着き、心の傷が癒えていくのでやめる事が出来ないでいる。

この前、偶然入ったカフェに置いてあった本の中に、目から涙や血を流す聖母マリアの写真があった。

Xmasに訪れた教会に拒否されたのは、快楽を求めている事を神に見抜かれ、聖なるマリアのもとへ行く事を許されなかったからだろう。

聖母マリアと反対の存在、神に背き天国から転がり堕ちた堕天使ルシファーがこの私。ただ一時の性に心を癒され、欲望が傷を軽くする事を覚えてしまった汚れた存在。

心は聖母マリアに縋り許しを乞いたいが、身体が欲望と言う悪に染まり2度と元には戻れない。悪魔にキツく抱きしめられた私は、奈落の底へ引きちぎられた羽根を暗闇に撒き散らしながら堕ちていく。

「もしかしたら血を流す聖母マリアなら私が流すこの血と引き換えに許してくれるかも知れない。だけどもっと切らなければ、血を流す聖母マリアに捧げるには足りないね」

「ねぇ、誰か聞いて。とても心が寒いの。
明日また出会い系サイトで募集でもかけようかな。温もりがないと身体が凍りそうなんだもん」

無意識に、湧き出る言葉を小さく呟きながら私は剃刀を強く握っていた。


続く

Photographer
Instagram @very_wind



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