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小説 あなたは悪辣な恋人 19


「お待たせしました。どうぞ」

目の前に運ばれて来たミント色のカクテルが
とても可愛いらしくて、抱えていた不安な気持ちが吹き飛び、生クリームの滑らかな口触りに心が踊り出す。

「マスター、とっても美味しいです。こんなに美味しいグラスホッパーは、初めてかも知れません」

「ありがとうございます。それは良かったです」

「マスターのカクテルは川崎、いや横浜入れても1番なんすよ。俺も俺の仲間もここのカクテルしか飲まないんだよね。いや飲めないだな」

先客の若い男性の話しに笑顔で頷く。


「マスター、ご馳走様でした。美味しかったです」

「次はどうしましょう?」

「友人から、こちらにボトルを置いているから飲んでいいと言われてまして。その方のボトルがあったらお願いしようかなって」

「はい、わかりました。その方のお名前は?」

「櫻木で入れていると思うんですが」

「ああ、さくちゃんか。一昨日来てましたよ」

「マスター、ヤス来てたの?」

「うん。突然ふらっと来たんだよ。うちに来るのも久しぶりだったね」

「ねぇ、お姉さんはヤスの知り合い?俺はヤスの中学の時の友達よ」

「ええ⁈ あ、はじめまして」

「お話し中すみません。さくちゃんのボトル、マッカランなんですけど、飲み方どうしましょう?」

「じゃ、ロックでお願いします」

「俺、健二って言います。ヤスに聞いたらすぐわかると思うわ。お姉さんはヤスの女?」

「私は純子です。あ、はい。そうなりますかね」

「ヤスは、相変わらずだな」

「え?」

「あいつ昔から歳上の女が好きなんだわ。
2、3歳歳上とかじゃなく結構な上が好きでさ、 去年離婚した嫁の孝子も歳上だったし」

「え……」

「あら、知らない?」

「いえ、離婚歴があったのは聞いているんですが、歳上の奥さんだとは知らなくて。そうなんですね」


必死になって笑っていたが、櫻木に妻子がいた事にショックを受け返事をするのもやっとだった。ここで知らないと言えば、櫻木の本当の姿を知る事は出来ない。気持ちを押し殺すんだ。

気持ちを隠すと言う行為は、リストカットに似ていた。心を自分で傷つけ、鋭く突き刺すような痛みが身体中に走る。


「健二さん、泰孝が子供達の年齢をはっきり教えてくれないんです。私は誕生日とか贈り物をしたいと思ってるんですけどね。いくつくらいなんですか?」

「3歳と2歳。年子だよ。2人とも男でヤスそっくり」

「泰孝みたいに目が大きくて睫毛がフサフサで?」

「そうそう。やっぱDNAって凄いよね。
ヤスも血が濃そうだしな。はは」


櫻木は父親だったか。そりゃ秘密も多いはず。家族を守らないといけないものね。

私と出会った時は結婚していた…

また私はあれほど後悔していた不倫の恋をしていたの?

懲りない人間。

私って本当に。


「お姉さんは、いつからヤスと?」

「去年ですね。離婚して少し経った頃かな」

「俺も離婚したって聞いてびっくりしたよ。ヤスは子煩悩だったからね。孝子が性格キツいから、しんどかったのかな」

「孝子さんって、そんなキツい人なんですか?」

「顔にも出るくらいキツい女よ。まぁ、ヤスも悪いんだけどさ。孝子のお腹に長男の匠海(たくみ)がいた時、あいつパクられたじゃん?
留置所いる時、匠海が産まれちゃったから、孝子に頭上がんないのよ。そんで出て来てすぐ次男の海翔(ひろと)が出来てるから孝子のいいなり」

櫻木は、私には俺様なのに、前の奥さんには尻に引かれていて、更に前科まであったなんて。

「前科って、あの障害事件の?」

「それはガキの頃の話しだね。詐欺の方」

詐欺…

「あぁ、そう言えば、詐欺して事情聴取されたとかなんとか言っていましたね」

「あいつ頭良いんだよ。17やそこらで偽造クレカ作っちゃうんだからさ」

「泰孝は若いのに悪い奴ですよね」

「川崎はさ、そんなの普通だから。ここはなんでもありの街だもん。学歴ないなら、職人になるかヤクザになるかしかない。この店も16.7から通ってたし、ねえマスター」

「健ちゃん達は年齢を偽ってたからね」

「でも、わかってたでしょう?」

「川崎では、それを聞かないのが暗黙のルールみたいなものだから」

「そうそう。この街は生きるためには何でもありよ」

「泰孝の両親をご存知ですか?去年お母さんが亡くなったのは知ってるんですけど」

「泰孝に親ないよ。あ、そっか。それ聞いてないんだ」

「はい。何度聞いてもはぐらかされて」

「あいつも言いづらいんだろ。そこら辺の事情は俺よりもっと詳しい奴いるよ。銀柳街あんじゃん?銀柳街の路地裏に黒人が呼び込みしてる洋服屋あんのよ。そこで店長してるルイに聞いたら良いよ」

「お店の名前教えていただけますか?」

「B-BLACKって店。銀柳街を歩いてたら必ず黒人いるからさ。そいつに声かけてルイいるかって聞いてみて。案内してくれるから」


「ありがとうございます!明日早速行ってみます」

「うん。健二から聞いたでいけると思うから。

じゃ、そろそろ俺は帰ろうかな」

「いろいろありがとうございました。明日はお仕事ですか?」

「俺は仕事はあってないようなもんなのよ。電話で呼び出されたら配達するだけの仕事だからさ。マスター、お会計して。純子さんまたね」


…………


「このままマッカランでよろしいですか?」


「頭をスッキリさせたいからモヒートをお願いしようかな」

「かしこまりました」

「マスターから見た泰孝ってどんな人ですか?」

「さくちゃんですか。うちに来る時は、大概はひとりで来て静かに飲んでますね。礼儀正しいですから、うちの古い常連さん達とも楽しく飲んでますよ」

「あの人、好青年か…」

「男は、人前で見せる顔とお付き合いしてる女性の前とは違うものですから」

「私、あの人の事なにも知りませんでした。
結婚してた事も子供が2人もいた事もです。
逮捕されてたなんて1度も聞いた事が無かったです」

「そうでしたか…」

「あの人にとって女ってなんでしょうね」

「僕もさくちゃんのこれまでを少しは聞いてはいますが、それが事実かはわかりません。さっきの健ちゃんが言ってた、ルイ君とさくちゃんは幼馴染だって聞いてますから、彼から聞くのが1番だと思います」


「泰孝の事を知りたいのに、知りたくないような。変な気持ちです」


「知った事でダメになるならそれで良いじゃないですか。無理に受け入れる事なんてないです。人はそれぞれ感じる事は違うんですから、大丈夫」


「そうですよね」

「純子さん、気を楽にして。何だか少し苦しそうですよ」


「はい。ありがとうございます。そろそろ閉店ですよね?私もお会計お願いします」


「かしこまりました。またいつでもお越しくださいね」


店を出て歩き始めると霧雨が降り出した。

もうどこを探しても、自分を突き動かしていた怒りが無い。この心には虚しさだけが残り、歩くのさえやっとだ。

櫻木の真実を全て知るべきか、知らない方が幸せなのかと、2つの思いが頭を巡り考えがまとまらない。私は、人気のない新川通をただ歩き続け、気がつくと夜が終わり不安しかない今日が始まっていた。


続く


Photographer
Instagram @very_wind

#小説
#脚本












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