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最近の御朱印巡り⛩

皆さんこんにちは〜今回は僕が最近ハマっている御朱印巡りについて話していこうと思います🍀*゜
ここ2週間京都以外の神社に4箇所行きました!どこの神社も綺麗な御朱印を書入や書置をやっているので参拝した時にはワクワクが止まらないですね(っ ॑꒳ ॑c)
それでは今回いった神社の詳細を短いですが話していこうと思います!

三峯神社

三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。

景行天皇の命により東国平定に遣わされた尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中三峯山に登り、山川が清く美しい様子をご覧になり、国をお生みになられた二神をおしのびになって仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られました。この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされています。

その後、景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸された折に三峯山に登られ、三山高く美しく連らなることから「三峯の宮」の称号をたまわりました。

秩父神社

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。その後、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は神社本庁の別表神社となっています。平成26年には御鎮座2100年を迎え、同年12月3日の例祭において天皇陛下より臨時御奉幣を賜り盛大に祭典が執り行われました。

現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財と重要有形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられています。平成28年には、全国33件の祭からなる「山・鉾・屋台行事」の1つとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界無形文化遺産に登録されました。

箱根神社

箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、開運厄除・心願成就・交通安全・縁結びに御神徳の高い、運開きの神様として信仰されています。
箱根神社の創祀は、当社の縁起『筥根山縁起并序』(1191 年成立)によると、第5代孝昭天皇の御代、聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良時代の天平宝字元年(757)、箱根山に入峰した万巻上人が、箱根大神の御神託を授かり勅願をもって現在の地に社殿を建立しました。この箱根大神を奉斎する社は「箱根三所権現(箱根権現)」と号し、仏教とりわけ修験道と習合し朝野の信仰をあつめました。
平安時代初頭、東海道の官道として箱根路が開通すると、当社は道中安全を祈る往来の人々によって遍く知られ、武家の興隆とともに名だたる武将が篤い崇敬を寄せました。

桜神宮

明治15年5月15日に大中臣家 (*1) の65代の後裔で伊勢神宮の(筆頭)禰宜であった芳村正秉(まさもち)が、「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方向に政府方針を変更したことに危機感を抱きました。
 神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるためお祭りだけを行う神社でなく、御祭儀もしながら人々に対する布教をもしっかりとできるように明治天皇より勅許を得て、教派神道十三派の一派を立てました。
 名称は伊勢神宮の禰宜時代に倭姫命神託によって授かった「神習いの教」としました。
 以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また教えの本山として親しまれています。

社殿は明治16年東京市神田に創建。明治後期には「病気治し」「火伏せ」の神徳があると多数の人が参詣しました。
 また外務省の紹介により多くの外国人が参詣に訪れ、鎮火式(火渡り)や探湯式(熱湯を浴びる)の神事に参加しています。

大正8年に「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により現在地である世田谷に移転しました。神田界隈の関東大震災による被害は大きなものでしたが、この移転により災害から免れることができました。
 また、第二次大戦時も無事戦災から免れ、「災難よけ」でも崇敬を受けております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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