語り尽くされてても語りたいこと:RADWIMPS

 中学生のとき、文化祭で、同級生がバンドを組んで演奏していた。曲は、RADWIMPSの"セプテンバーさん"。当時、ぼくはRADWIMPSの存在を知らず、なんかせつない曲やなぁと思って聞いていた。その舞台で、或る先輩は"いいんですか?"を歌っていた。給食のときに、校内放送でRADWIMPSの曲は流れていた。木村カエラさん、ONE OK ROCK、HY 、マキシマム ザ ホルモンの曲も流れていた。当時は誰が歌っているかも分からず、聞きながら給食を食べていた。時折、騒々しい曲もあり、静かに給食食べたいわ!、と思うこともあった。流れていた曲たちは、音楽好きな同級生たちのチョイスだったことは言うまでもない。2009年だったと思う。RADWIMPSはこんな田舎の中学校にまで広まっていた。どんな田舎かと言うと、中学校から徒歩5分で海、中学校の裏は山(廊下の窓から最大限手を伸ばし、赤い木の実を取って、食べることが男子の中で一時期流行る。口内が真っ赤っ赤)、スーパーマーケットやコンビニに行くのに車は必須(エロ本を求めてコンビニ目指してチャリを飛ばしたこともあった、成人でないことを指摘され、ヤングマガジンを買った。恥ずかしくて首もげそうやった)、絶賛少子高齢化進行中(2009年時点で各学年1クラスで30人前後。2025年現在、通っていた小中学校共に廃校となる)、みたいな感じ。ぼくはRADWIMPSに目もくれず学校生活を過ごした。一部の同級生たちはRADWIMPSにハマってた。

 

 高校生になると、地元を離れ、下宿生活に突入した。どうしても行きたい野球が強い高校があったのと、中学校の同級生の誰とも会いたくないってのが理由。親には感謝しかない。ただのわがままなクソ餓鬼や。下宿生活では、1人1部屋が割り当てられ、トイレ・お風呂は共同で、食事は食堂で摂ることができた。下宿を営んでいる、おばちゃん・おじちゃんはほんまにいい人で、笑顔が絶えない方々やった。おばちゃんが料理を担当し、おじちゃんは下宿の設備関係を担当していた。同じ野球部の同級生で、RADWIMPSが好きなやつがいて、RADWIMPSの2ndアルバムをおすすめしてくれた。特に、"なんちって"という曲を推していた。そいつの部屋で聞かせてもらうと、なんとも言えない高揚感に包まれた。かっこいいんやけど、ちょっとおかしくて、英詩の意味が全く分からず、日本語詩の意味も一聴しただけでは不明やった。が、かっちょいいと心から思った。定価でアルバムを買うお金がないので、近所のレンタルショップでレンタル落ちのCDを安くで購入した。小遣いはそこに注がれた。そうやってメジャーデビューAlbumを入手した。夜に1人、部屋で聞いていた。RADWIMPSが出るラジオも聞いた。どんな人たちなのか気になった。高校生活はそうそううまくはいかなかった。同じ下宿の同級生がいたのが唯一の救いだった。勉強も部活も中途半端やった。上には上がいると痛感した。夜に1人で音楽を聞くのが楽しみやった。そこでエナジーチャージして、明日に向かうって感じやった。思春期ならではなのか、自分の外見を気にするようになった。毎朝鏡を見て、がっかりした。ニキビが増え、顔は太陽光で焼け、5厘坊主。眼鏡をかけ、丸い顔が笑えば、もとから細い目がなくなる。何か取り柄があるわけでもない、勉強も部活もなんとか食らいついてはいるが、いつ振り落とされるかわからない。自分という存在について、考えざるを得ない状況やった。生きてる意味とはなんや、今呼吸しているこの身体でおれは何がしたいんや。高校生活を過ごす中で、野球部であることがひとつのキャラクターとなった。野球部の人ということで、周囲となんとか折り合いをつけることができた。もしも、野球部ではなかったら、ぼくは何の人なんやろか。そんな中、ラジオで"狭心症"という曲が流れた。ラジオの前で放心状態になった。ここまで人間の存在意義を問いかけてくるとは。痺れた。後程、PVも見たが、血が騒いだ、ような感覚になった。


 世界の美しさも醜さも受け入れてかないかんのかな。野球も、勉強も、人間関係も、うまくできなかった。まだ終わりじゃない。この世界を見尽くさないと。部屋から出ないと。もっと誰かとぶつかって抱き合って罵りあって笑い合って、現在地で花咲かせたろや。いのちを使い尽くせ。

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