ボードゲーマーに贈る「ノイシュヴァンシュタイン城」の歴史的背景
ボードゲーム「ノイシュバンシュタイン城」とは
アークライト/米bézier gamesより発売されているボードゲーム「ノイシュヴァンシュタイン城 狂王ルートヴィヒの見果てぬ夢(原題:Castles of Mad King Ludwig)」は、部屋タイルを配置し最高のお城をデザインするパズルゲームです。
邦訳タイトルになっている「ノイシュヴァンシュタイン城」はドイツ南部のバイエルン地方に実在する城で、ドイツでも人気の観光名所です。世界一美しい城とも評され、名前は知らなくても写真などで見たことある方も多いのではないでしょうか。なんでも各ディズニーパークの「眠れる森の美女の城」のモデルともされているそうです。
そんなノイ(新)シュヴァン(白鳥)シュタイン(石)城は19世紀の中頃、当時この地方を治めていたバイエルン国王で「狂王」の二つ名を持つルートヴィヒ2世の命令で建てられました。
ルートヴィヒ2世の生涯を簡単に
ルートヴィヒ2世はバイエルン王国の王子として生を受け、父王の逝去に伴い18歳で王位を継ぎました。
彼が国王となって最初にやったのは、『ニーベルングの指環』などの作品で知られ、当時まだ存命だった作曲家リヒャルト・ワーグナーを国へ招聘すること。幼少期から神話の英雄譚や中世の騎士物語大好きっ子だったルートヴィヒ2世は、15歳でワーグナーのオペラ『ローエングリン』を初視聴して以来、彼の熱狂的ファン、いわゆる「ワグネリアン」となっていました。しかしワーグナー自身は莫大な借金や不倫や革命運動や過激な思想などいろいろ問題を抱えた人物で、借金返済のため招聘に応じたものの、国王以外には嫌われており、家臣団から迫られたルートヴィヒ2世は仕方なく1年ほどで彼を追放しました。そして、それを機にルートヴィヒ2世は政務から遠ざかり、趣味に没頭するようになります。
ちなみにワーグナーに関しては、後にお忍びでワーグナーの追放先に押し掛けて戻ってくるよう頼んだそうです。
ルートヴィヒ2世が没頭した趣味とは、騎士伝説の具現化でした。
戻ってきたワーグナーに騎士伝説をモチーフとしたオペラを作曲させる一方、彼自身も理想の城の建設に取り組みます。当初は私財を投じて建設していたのと、若くてイケメンで反戦派だったため(当時のドイツは小国に分かれ統一戦争をしていました)疲弊した国民からの支持も高かったそうで、家臣団からも黙認されていたようです。しかし、やがて絢爛たる城の建設予算が不足するようになり、国費を投じるよう家臣団に要請したため退位を謀られ(※諸説あります)、精神鑑定の末「狂王」として幽閉されることになり、王位を退いた翌日に幽閉先の居城そばの湖で主治医と共に水死体で発見されたそうです。享年40歳。
こうしてルートヴィヒ2世はリンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城(未完成)、ノイシュヴァンシュタイン城(未完成)と言う3つの城と、ワーグナーの設計によるオペラハウス、バイロイト祝祭劇場を世に遺しました。
理想の騎士城を夢見た「狂王」
ノイシュバンシュタイン城は、ルートヴィヒ2世が3つの城の中で最初に計画し、建築の専門家や技術者ではなく舞台美術家に設計させました。前年に王はワーグナーのオペラ『タンホイザー』や『ローエングリン』をイメージした「古きドイツの騎士城」を建設したい、とワーグナーへ手紙を送っているそうで、城を設計した舞台美術家も実は『ローエングリン』の舞台背景を描いた画家でした。そのことからも城の「実用性」は考慮せず、理想の城を具現化することだけが目的だったと察せられます。
城の「実用性」とは何ぞや?と思うかもしれませんが、城とは通常、敵から領地や領民を守るための軍事施設「城塞」か、あるいは領主の対外的な権威を示す住居兼社交場「宮殿」として建てられるものです。要するに「うちの領主はこんな城が建てられるんだぞ」と敵や領民に見せつける訳ですね。
しかしノイシュバンシュタイン城は(そして残る2つの城も)軍事機能を全く持たず(舞台美術家が設計してますからね)、客人を招くこともありませんでした。城全体は現在も未完成ですが、とりあえず居住部だけ完成すると、ルートヴィヒ2世は居を移して引き籠っていたようです。
そしてルートヴィヒ2世は「自分が死んだらノイシュバンシュタイン城を破壊せよ」と遺言していたそうで、ここからも王は理想の城を具現化し独占したかっただけだったと察せられますが、当時の摂政は遺言に従わず、王の死後、建設を即時に中止すると、1ヶ月半ほどで有料の観光施設として城を開放したそうです。
城を観光施設化した摂政の真意は分かりませんが、まー莫大な負債を抱えるほどの費用を投じて建設した城を王が死んだら壊せとか、無駄遣いにも程があるし、何とか建設費用を取り返したいと思ったんじゃないでしょうか。100年以上を経た現在でも城が人気の観光地となっていることを考えると、そういう意味で摂政の目論見は成功したと言えるでしょう。
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