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“見える”ことと“見えない”こと。
「高校生なのになんでそんなに買い物ができるの?」「高校生のくせによく買えるな」
なんて僕自身よく言われます。
人には様々な事情や素性があって、お金持ちの人、将又お金に困っている人。
色々な人がいるからこそ、それが人間らしさなのだと思っています。
ただ、僕が1番大事だと思っているのは、お金や生活水準等関係なく、自分が幸せに暮らせていると感じているのなら、それで十分。ということ。
それ以上を求めすぎると、逆にストレスとなる。
それなのになぜ人は、さらに上を求めるのでしょう。
この答えは幾通りあると思います。ただ、僕の考えは「周りの人と自分とを比べているから」です。
「自分はなにをやっても〇〇(人名)のようにいかない」と思う人はそこそこいるでしょう。
それは、その人に憧れすぎているのです。〇〇もあなたと同じ人間なのです。その人間という土俵に立っている以上、生活の質に上も下もないはずです。
さらに言ってしまえば、「〇〇のようにいかない」と思うのは、あなたが〇〇ではないからです。
人はそれぞれ異なる自分らしさや趣味、感性などを持っています。その感性を自分以外の他人と合わせることはなかなか出来ないものです。
僕はバイトなどはやっていませんが、今の生活には満足しています。
それはただ単にお金だけがその要因ではなく、今の自分の活動が、自分が幸福だと感じる最大の活動をしているからです。
簡単に言えば、“これ以上の活動は逆に苦痛になる”ということ。
苦にならない、常に自分の幸福の最大のところを求めて生きていくこと。
が、
自分の最大のモチベです。
そして、「高校生のくせになんでそんなに買い物ができるか」に対する答えですが、
自分が好きなものを買うために、他に我慢しているところがあります。それは当たり前ですよね。
「我慢」しているのだから、それを書き綴ることも出来ないし、自分の周りの人から見えているのは、自分が実際にやっていることだけ。
僕の場合、周りの人からよく見えていることが、買い物ってだけ。
自分の趣味をとことん追求するって素晴らしいこと。