特例法:夫の死後第三者の提供精子を用いた生殖補助医療による懐胎(死後懐胎子)の問題①
本稿のねらい
2023年10月22日、おそらく共同通信が一番早かったと認識しているが、ともかく、「夫の死後、提供精子で妊娠 法の想定外、医師に伝えず胚移植」という共同通信のニュースに接した(以下、このニュースの事案を「本件」という)。
よりわかりやすい記事は、次の朝日新聞のものである。
本件が発生した医院の見解はこちら(10月22日付け共同通信の報道について「当院の公式見解」)。
これについて、何が問題なのか、何が「法の想定外」なのか、そもそも本件のような生殖補助医療における「法」とは何か、わかっていない向きが多いと思われることから、簡単にまとめてみたのが本稿である。
加えて、これまでの議論を振り返ったり、また「生殖補助医療の在り方を考える議員連盟」なる団体?が「特定生殖補助医療に関する法律案(仮称)(新規立法)(たたき台)」なるものを作っているようであり(公益社団法人日本産婦人科学会ウェブサイト)、それについても、別稿にていくつか触れようと思う。
生殖補助医療とは
(1) 生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(本法)
本法は2020(令和2)年11月16日に第203回国会(臨時会)に議員立法として参議院法務委員会に提出され、同年12月4日に衆議院本会議で可決されたものである。同月11日に公布され、既に施行されている。
本法第2条によれば、「生殖補助医療」とは、次の3つの方法を用いた医療を指す。
人工授精(男性から提供され、処置された精子を、女性の生殖器に注入すること)
体外受精(女性の卵巣から採取され、処置された未受精卵を、男性から提供され、処置された精子により受精させること)
体外受精胚移植(体外受精により生じた胚を女性の子宮に移植すること)
本法では、配偶子提供者を「男性」「女性」とのみ表現し、「夫」「妻」とは表現していないため、夫や妻以外の第三者の男性や女性であっても、人工授精における「男性」「女性」には含まれる(本法第9条や第10条の民法上の効果に照らしても明らかである)。
そうすると、字義上当然ではあるが、本法の生殖補助医療の対象は、法律上の夫婦に限られておらず、いわゆる同性パートナーシップ間や独身者への生殖補助医療の提供も包含していることになる。(法律上の夫婦以外の者が医療機関において生殖補助医療を受けられるかどうかは当然別論である)
また、本法第9条の文言からは、いわゆる代理懐胎(代理出産)についても包含している。
なお、公益社団法人日本産婦人科学会(日本産婦人科学会)と厚生労働省の定義は少し異なるようだが、一応、双方紹介しておく。
(2) 日本産婦人科学会の「生殖補助医療(ART)」の定義
配偶者の配偶子を用いようと用いまいと、人工授精は生殖補助医療から除外されている点が本法の定義と大きく異なる。
(3) 厚生労働省(不妊治療の保険適用の文脈での定義)
厚生労働省は、いわゆる不妊治療を、保険適用か保険適用外かで区別し、更に、保険適用なものを「一般不妊治療」と「生殖補助医療」に区別している。
これによれば、本法では「生殖補助医療」に含まれる「(夫の精子を用いる)人工授精」は「生殖補助医療」から外れ「一般不妊治療」と位置付けられており、他方、本件のような第三者の精子等配偶子を用いたAID等は保険適用外ではあるものの「生殖補助医療」には含まれている。
ちなみに、保険適用可能な費用等詳細はこちらを参照のこと(かなり細かい)。
民法の世界/本法の世界
以下では、CASE1・2を用いて、民法と本法の世界ではどうなるのか基本形を見ていく。その後、CASE3を用いて、民法と本法の世界から外れた世界を、そしてCASE4を用いて本件ではどうなるのかを見ていく。
«CASE1»夫の精子で体外受精を行い懐胎・出産した場合
このCASE1では、生物学上も法律上も夫婦の子である。つまり、CASE1の子は夫の嫡出子であり認知等の問題は存在しない。
CASE1は、夫の精子と妻の卵子を用いた生殖補助医療であり、本法第9条や第10条は問題とならず、本法の出る幕はない。
※ 理論上は嫡出推定されないパターンもあるが、現状生殖補助医療を行う医療機関においては法律上の夫婦関係にあることを事前に確認することになっていると思われるため(根拠は後述)、婚姻の成立の日から出産まで200日を経過しないことはないと思われ、ここでは捨象する。
«CASE2»夫以外の第三者の精子で体外受精を行い懐胎・出産した場合
他方、このCASE2では、少なくとも生物学上は、出産した母(妻)の子ではあるものの、夫の子ではない。
では、法律上の親子関係はどうだろうか。その当否はともかく、単に生物学上の親子関係が認められないというだけでは、法律上の親子関係は否定されないとするのが判例である(例えば、最判平成26年7月17日民集第68巻6号547頁)。
そうすると、CASE2でも民法第772条の嫡出推定が働き夫の子となるのか。
A)嫡出推定を否定する場合(いわゆる「推定を受けない嫡出子」)
たしかに、この夫婦の婚姻中に出産された子であるから、同条の嫡出推定が働くようにも思われる。しかし、生殖補助医療を行う場合、特にこのCASE2では、夫の生殖能力に何らかの課題があり不妊原因となっているものと思われるため、仮に夫婦の実態が失われていないとしても、現実に夫が妻を懐胎させることが不可能であるとして、嫡出推定が破られるものと考えられる。
そのため、CASE2の子は夫の非嫡出子であり、嫡出否認や認知等の問題を招来させる。
本法第10条は、次のとおり、夫の同意のもとで、夫以外の第三者男性の精子やそれに由来する胚を用いた生殖補助医療により妻が懐胎した子については、夫は民法第774条にかかわらず嫡出否認の訴えを行うことができないと定める。
したがって、嫡出推定が否定される場合でも、夫は、夫以外の第三者男性の精子等を用いた生殖補助医療に同意した以上、それにより懐胎した妻が出産した子の嫡出否認の訴えを行うことはできない。その結果、夫による認知の問題や精子提供者の認知の問題も消滅する。
とはいえ、嫡出推定が及ばない子であるから、親子関係不存在確認の訴えは可能とも思われる。
しかし、仮に夫が夫以外の第三者男性の精子等を用いた生殖補助医療に同意したのであれば、それを嫡出推定が及ばないからという理由で親子関係不存在確認の訴えを行うことは禁反言でもあり権利濫用でもあると考えられ、当該訴えは認容されない。
B)嫡出推定を肯定する場合
生殖補助医療を行う場合でも、まったく夫婦間で自然生殖を行うことが不可能であるとはいえないパターンもあり得る。そのような場合は、必ずしも嫡出推定が破られることはないと考えられる。
このようなパターンにおいては、CASE2はCASE1同様、民法第772条の嫡出推定を受ける。
他方で、生物学上は、夫の子ではない以上、本法第10条がなければ、夫としては民法第774条に基づき嫡出否認の訴えを行うことが可能である。
なお、親子関係不存在確認の訴えが認められないのは嫡出推定が肯定される場合も同様である(禁反言又は権利濫用)。
このように、嫡出推定を否定しても肯定しても、本法第10条がなければ、夫は翻意して嫡出否認の訴えを行うことが可能であり、それを封じるのが同条の趣旨であるとわかる。そして、夫による嫡出否認の訴えが封じられることにより、精子提供者等配偶子提供者が認知の訴えを受けることがなくなる。
なお、本法議案提出者は、嫡出推定が肯定されることを前提にしていると考えていたようである。
«CASE3»夫の死後当該夫の冷凍保存精子で体外受精を行い懐胎・出産した場合(夫の精子利用による「死後懐胎子」)
このCASE3については、有名な判例がある(最判平成18年9月4日民集第60巻7号2563頁)。
事案としては単純で、精子を冷凍保存していた夫が、それを用いて体外受精を行うことにに承諾していたところ、その直後、体外受精の実施前に死亡したが、体外受精を決行し、それにより懐胎・出産した子が検察官に対し死亡した夫の子であることにつき死後認知を求めたというものである。
体外受精の実施前に夫が死亡したという点は、本件と類似する。
なお、このようにして生まれた子を「死後懐胎子」と呼ぶ。
本件がどういう事案だったのかは何ともいえないが、最判平成18年9月4日については、体外受精を決行した母は、亡夫の両親と相談の上で決意したとのことであり、またそれにより懐胎・出産した子が死後認知を求めたといっても、死後認知は死後3年以内に行う必要があることから(民法第787条)、自ずと法定代理人の母が死後認知の訴えを提起していることになるが、これはいわゆる「跡取り」を残すためであったと考えるのが自然ではないか。
この事案では、第一審の松山地裁が死後認知を否定したのに対し、控訴審の高松高裁は死後認知を肯定した。
高松高裁が死後認知を肯定したロジックは概ね次のとおりである。
男性の死亡後に当該男性の保存精子を用いて行われた人工生殖により女性が懐胎し出産した「死後懐胎子からの認知請求をすること自体が許されないとする理由はない
民法787条の認知の訴えは、血縁上の親子関係が存在することを基礎としその客観的認定により法律上の親子関係を形成する制度であるため、子の懐胎時に父が生存していることは認知請求を認容するための要件ではない(血縁上の親子関係のみが要件)
死後懐胎子について認知が認められた場合、父の相続、父による監護養育・扶養を受けることはないが、父の親族との間に親族関係が生じ、父の直系血族との間で代襲相続権が発生するという法律上の実益がある(筆者注:父が死亡後に出生している以上、父の相続分を代襲相続することはない〔高松高裁は何か勘違いしている〕)
夫婦の間において、自然生殖による懐胎は夫の意思によるものと認められるところ、夫の意思にかかわらずその保存精子を用いた人工生殖により妻が懐胎し、出産した子のすべてが認知の対象となるとすると、夫の意思が全く介在することなく、夫と法律上の親子関係が生じる可能性のある子が出生することとなり、夫に予想外の重い責任を課すこととなって相当ではない
そのため、上記のような人工生殖により出生した子からの認知請求を認めるためには、当該人工生殖による懐胎について夫が同意していることが必要である
要するに、認知が認められる要件である血縁上の親子関係は当然として、死後懐胎であるという特殊性から、人口生殖に対して亡夫が同意していたことを要件とすることで自然生殖に可能な限り近づけるというロジックである。
しかし、このロジックは、最高裁の次のロジックにより否定された。
民法の実親子に関する法制は、血縁上の親子関係を基礎に置いた上で、法律上の親子関係を形成し、その法律上の親子につき各種法律関係を認めるという建付けである
法律上の親子関係には、親権・扶養・相続の3つが存在するが、死後懐胎子については、父は当該死後懐胎子の懐胎前に死亡しているため、いずれも対象とならない
そのため、死後懐胎子と死亡した父との関係は、民法が定める法律上の親子関係における基本的な法律関係が生ずる余地のないものである
このような場合に親子関係を認めるか否か、認めるとした場合の要件や効果を定める立法によって解決されるべき問題であるといわなければならず、そのような立法がない以上、死後懐胎子と死亡した父との間の法律上の親子関係の形成は認められない
要するに、民法は血縁上の親子関係を基礎とはしているものの、それを絶対視しておらず(嫡出推定・嫡出否認等の制度自体がそれを物語っている)、法律上の親子関係の(早期)確定を特に重視している。(これがいいかどうかは別として、少なくとも、現行民法はそう考えている)
死後懐胎子と亡父との間には、もはや法律上の親子関係を成立させる意味がなく(※)、死後認知を認めることはできない。
※ なお、厳密には、法律上の親子関係を発生させることにより親族関係も発生するが「父の親族との関係で親族関係が生じ、その結果これらの者との間に扶養の権利義務が発生することがあり得るにすぎず、認知を認めることによる子の利益はそれほど大きなものではなく」とされている(最判平成18年9月4日民集第60巻7号2563頁今井裁判官補足意見)。
CASE3については、まず、夫(父)の死後に懐胎しているため、当然、民法第772条の嫡出推定は働かない。同条に基づく嫡出推定は法律上の父子関係を(早期に)確定する趣旨であるが、懐胎時に夫(父)が死亡しているような場合に、確定させるべき法律上の父子関係は既に存在していないためである。
そこで、CASE3を扱った最判平成18年9月4日の事案では、その点は論点とならず、死後認知が認められるかどうかが論点となっていた。
CASE3でも、嫡出推定は働かず、また最判平成18年9月4日のとおり、死後認知により認めるべき法律上の父子関係は存在しないことから、認知も認められないことになる。
なお、このCASE3では嫡出否認云々以前に、(亡)夫の精子と妻(母)の卵子を用いた生殖補助医療による懐胎・出産が行われた以上、本法が出る幕はない。
«CASE4»夫の死後当該夫以外の第三者男性の冷凍保存精子で体外受精を行い懐胎・出産した場合(夫以外の第三者男性の精子利用による「死後懐胎子」)=本件
CASE4においても、CASE3同様、母(妻)の懐胎時に父(夫)が死亡しているため、民法第772条の嫡出推定は働かない。
また、本法第10条は、夫の同意を得て夫以外の第三者男性の精子等を用いた生殖補助医療により懐胎・出産した子については、夫は嫡出否認の訴えを行うことができないと定めているが、「夫の同意」は当然に生殖補助医療が行われる時点でも存在しなければならないと考えられるし、仮に遺言のように生前の「夫の同意」が生殖補助医療が行われた時点においても存続していたはずだと認定できるとしても、その効果は、夫が嫡出否認できないだけであり、上記のとおり民法第772条の嫡出推定は働かないし、仮に働いたとしても当該夫が既に死亡している以上、嫡出否認を行うことはできない以上、もはや本法第10条を議論する必要がない。
そのため、本件の生殖補助医療により出生した子について、少なくとも、当該生殖補助医療で懐胎・出産した母の亡夫との法律上の親子関係は存在し得ない。
その意味で、「法の想定外」といえる。
他方で、本法第10条の適用があることでその反射的効果として精子提供者に対して認知の訴えを行うことができないとされているところ、CASE2とは異なり、CASE4では上記のとおり同条の適用はないことから、精子提供者に対して認知の訴えを行うことが可能である。
精子提供者(ドナー)としては、この事態が最も憂慮されるものと考えられる。だからこそ、次のような同意書を書かせているものと思われる。
この点、本件が発生した医院は、「専門家と共にドナーの権利保護の法的対策について検討を始め」、「当該ドナーの権利保護の方法の法的措置が決定。ドナー本人から解決策への同意を得る。」と発表しているが、どのような権利保護が決まったのだろうか。
本件の生殖補助医療により出生した子による精子提供者(ドナー)への認知の訴えを本件関係者間の合意等により封じることはできない。当該子は独自の利益に基づき認知の訴えを行うことが可能である。
そうすると、「法的措置」として1つ考えられるのは、仮に当該子により精子提供者(ドナー)への認知の訴えが行われ、認容された場合の扶養義務(養育費等)の支払を本件が発生した医院が負担する(そしてそれを本件の生殖補助医療を受けた母に対して請求する)という合意を行うことである。
また、当該子が精子提供者(ドナー)に対して認知の訴えを行う場合、その氏名・住所等当該精子提供者(ドナー)を特定するための情報が必要となるところ、それを本件が発生した医院が完全に秘密にすることが考えられる。
認知に関する家事調停や認知の訴えについて、民事訴訟法の証拠調べの規定が適用又は準用されるが(家事事件手続法第260条第1項第6号・第64条第1項、人事訴訟法第19条)、文書提出命令にかかる文書提出義務を定める民事訴訟法第220条第4号ハ・第197条第1項第2号は「医師…助産師…の職にある者又はこれらの職にあった者が職務上知り得た事実で黙秘すべきもの」で「黙秘の義務が免除されていないものが記載されている文書」は文書提出義務から除外されており、また同様に証人尋問を受けても答える義務がない。
また、弁護士会照会(弁護士法第23条の2)や調査嘱託(民事訴訟法第186条)等一定の強制力を持たない照会や報告依頼に対しては、当然ながら答える必要がない(答えるべきでもない)。
そのため、本件に限らず、精子提供者(ドナー)の情報を秘密にすることは可能である。
ただし、本件では、「非匿名ドナー」が問題となったのかもしれず、その場合に、民事訴訟法第197条第1項第2号の「職務上知り得た事実で黙秘すべきもの」といえるのかは検討の余地があろう。少なくとも、当初は「非匿名ドナー」であり、本件が発生した医院の方針では「少なくとも1回は、メール・電話・手紙・直接会う、のいずれか1つ以上を行うことを約束」させていた。他方で、氏名・生年月日・住所等の個人情報は非開示とのことであり、「非匿名ドナー」といえども(名称が悪い)、精子提供者(ドナー)を特定するための情報は「黙秘すべきもの」といえるだろう。
なお、本件が発生した医院は、本件で夫の死を隠し生殖補助医療を受けた者に対して法的措置を含めた責任追及を行う予定とのことである。
▶民事的な責任
契約又は民法第415条に基づく損害賠償責任
民法第709条に基づく損害賠償責任
なお、このような事態が発覚した場合、本件が発生した医院において、即座に新規のAIDとIVF-Dの停止が行われることを予見すべきであったか(民法第416条第2項)については難しいところである。
とはいえ、本件が発生した医院では、各種ガイドラインのほか同意書も相応の分量で用意されており、それらはいずれも、法制度のない中でギリギリの体制を整備・維持するための「約束」について記載されていることから、本件のような愚かしい行為が精子提供者(ドナー)にどの程度の不安を与えるのか、その結果、真っ当に生殖補助医療を受けようと望んでいた他の夫婦がどの程度の迷惑を被るのかを予見すべきであったといえるのではないだろうか。
そうすると、2023年5月31日に新規のAIDとIVF-Dの停止を行い、それから同年9月に再開するまでの間の逸失利益についての賠償責任を負うことになる。
▶刑事的な責任
偽計業務妨害罪
2項詐欺罪
刑事的な責任は踏み込まないが、故意犯のようだから、最低でもこのくらいは成立しそうに思われる。
以上