産業競争力強化法改正:「ストックオプション・プール」の創設
本稿の狙い
以前ストックオプションプールの実現に向けた環境整備に関する記事を作成したが、2024年2月16日の定例閣議案件にて「新たな事業の創出及び産業への投資を促進するための産業競争力強化法等の一部を改正する法律案(決定)」(本改正案)が閣議決定され、本年の第213回通常国会に提出される見込みである。
本改正案には、「スタートアップがストックオプションを柔軟かつ機動的に発行できる仕組み(ストックオプション・プール)の整備(株主総会から取締役会に委任できる内容・期間を拡大)」に関する内容が盛り込まれている。
そこで、本稿では、本改正案が示す「ストックオプション・プール」について概観することを目的とする。
なぜ産業競争力強化法なのか
以前の記事でも示したが、会社法は公開会社と非公開会社で募集新株予約権の募集事項の決定の取扱いを変えており、前者では募集新株予約権の有利発行(会社法第238条第3項)に該当する場合を除き、権利行使価額や権利行使期間を含む募集新株予約権の内容をはじめとした募集事項のすべての決定権限が取締役会にある(同法第240条第1項)。これは、第三者割当ての方法による募集株式の発行等(第三者割当増資)(会社法第201条第1項)と同様の規律であり、「公開会社…が譲渡制限株式以外の株式の発行・自己株式処分を行う場合には、当該株式の既存株主は、通常、持株比率の維持に関心を有していない」ことを背景していると説明されている(江頭憲治郎「株式会社法〔第4版〕」682頁)。
本改正案による提案は、非公開会社においても募集新株予約権の権利行使価額と権利行使期間については取締役会に決定権限を委任することを可能とするものであり、その点で公開会社のルールに近づく。
ここで問われるのは、一定の非公開会社につき公開会社のルールに近づかせるだけの必要性/許容性(立法事実)と、そのルールの対象となる非公開会社のカテゴライズである。
少なくとも会社法上、「スタートアップ」や「ベンチャー」に関する規定、例えば「設立の日又は新事業活動開始日(中略)以後10年を経過していない会社」(銀行法施行規則第17条の2第5項)や「設立の日以後5年を経過していない株式会社」(租税特別措置法第41条の19第1項第2号)のような設立日等を基準としたルールは置かれておらず、本改正案におけるルールの対象となる非公開会社を特定することは何となく不自然であり難しい(法技術的には不可能ではないと思われるが、「会社法は一般法」とする法務省のポリシーには反する)。
また、立法事実もスタートアップの人材獲得が主たるものと思われる。
そうすると、ストックオプションプールに関するルールは、会社法ではなく産業競争力強化法に置くことが適切である。
(法務省の仕事が遅々として進まないため経済産業省が本腰を入れたとも考えられるが…)
ストックオプション・プール
(1) 全体感
本改正案において示されている「ストックオプション・プール」に関する条文は産業競争力強化法第21条の19のみである。
そこでは、「第五款 募集新株予約権の機動的な発行」という副題が付されており、法律内で「ストックオプション・プール」という用語は登場しない。
つまり、募集新株予約権の機動的な発行を可能にすることで「ストックオプション・プール」を実現するという建付けになっている。
<産業競争力強化法第21条の19の雑感>
建付けとしては公開会社における募集事項の決定の特則(会社法第240条)に近いものと感じた
募集新株予約権の機動的な発行を可能にするためには経済産業大臣と法務大臣の確認が必要な点、バーチャルオンリー株主総会(産業競争力強化法第66条)を彷彿させる
会社法の新株予約権に関する条項の読替えタイプであり、非常に読みづらい
(2) 産業競争力強化法第21条の19
産業競争力強化法第21条の19は第1項から第5項で構成されているが、「ストックオプション・プール」の実現のための根幹を担うのは第1項であり、その点を中心に概説する。
まず、産業競争力強化法第21条の19第1項は以下のとおりであり、要件と効果に分けて記載すると次のとおりになる。
<要件>
設立の日以後の期間が15年未満の株式会社であること
募集新株予約権の発行に関し株主の利益の確保に配慮しつつ産業競争力を強化することに資すること(省令要件【未定】を充足すること)
上記2につき経済産業大臣と法務大臣の確認を受けること
(コメント)
1. 創業15年未満の会社に対象を限定すること ストックオプションプールについては、内閣官房に設置された「新しい資本主義実現本部/新しい資本主義実現会議」の関連会議として2022年8月から開催されている「スタートアップ創出調整連絡会議」において議論されていることや経団連の要望にもあるように、募集新株予約権の機動的な発行を行う会社をスタートアップに限定する趣旨は理解できる。立法事実として、スタートアップの計画的かつ戦略的な人材獲得を可能にすることを優先したと考えられる(というより他の立法事実がないため会社法改正は二の足を踏む)。
2. 経済産業大臣と法務大臣の確認を必要とすること この点はバーチャルオンリー株主総会(産業競争力強化法第66条)と同じ建付けではある。しかし、ストックオプションプールとバーチャルオンリー株主総会では対象も場面も異なり、同じ建付けにすることが適切とは限らないと考える。
つまり、対象が上場会社に限定され、かつ、一部の先進的又は気鋭の上場会社のみ(2023年12月31日時点で59社とのこと【同時点での上場会社合計数は3933社であり約1.5%】)が確認を受けるバーチャルオンリー株主総会と異なり、ストックオプションプールは多くのスタートアップが必要とすると思われ、確認を求める数も相当数にのぼることが想定される。また、株主総会という株式会社の最もコアな機関の運営に関するバーチャルオンリー株主総会では省令要件の充足性が重要であるのに対し、ストックオプションプールは(所詮)既存株主と経営陣の綱引きであって、究極的には既存株主が納得すれば足りること、既存株主も権利行使価額や権利行使期間の決定を取締役会に委任する決議自体は行い一定の関与は担保されること、そして仮に募集新株予約権の募集手続に瑕疵があったとしても株主総会決議の瑕疵と比較すれば会社運営に大きな支障はないことから、省令要件の充足性はさほど重要ではないように思われる。
<効果>
① 会社法第239条第1項第1号を次のとおり読み替える(太字部分)
② 会社法第239条第4項を次のとおり読み替える(太字部分)
③ 会社法第239条第2項と第3項の規定は適用なし
(コメント)
以前の記事でも示したとおり、我が国の法制下において、いわゆるストックオプションプールを実現するためのネックとなっているのは、(α)募集新株予約権の権利行使価額と権利行使期間を含む募集新株予約権の内容(会社法第236条第1項)の決定を取締役会の決定に委任できない点(同法第239条第1項第1号)、(β)仮に決定を取締役会に委任できるとしても、その委任決議の効力は割当日が当該決議から1年以内の日である募集についてのみ有効である点(同条第3項)である。
産業競争力強化法第21条の19第1項(特に上記①と③)は、この(α)と(β)のいずれをも解消する。
(参考)産業競争力強化法第21条の19第1項
次に、産業競争力強化法第21条の19第2項以下を簡単に概説する。
読替え後の会社法第239条第1項の決議ということは、権利行使価額と権利行使価額の決定についても取締役会に委任する決議、要するに「ストックオプション・プール」の設定決議ということである。
その決議があった場合、その後株主になろうとする者など(他には登録株式質権者や株式の承継取得者くらいか)に対し、当該決議があった旨を通知等しなければならないとされている。
これは、「ストックオプション・プール」が設定されていることを事前に認識させ不測の損害を回避させる趣旨だと思われるが、ここまでの措置が必要なのかは疑問である。
つまり、スタートアップの株主になろうとする者は、既存株主から株式を譲り受けるか、当該スタートアップから第三者割当増資を受けるかの2つに分かれると思われるが、前者の場合、「ストックオプション・プール」が設定されていることは当該株式の価値に影響する以上、譲渡人である既存株主が「ストックオプション・プール」設定決議があったことを伝える必要があり、仮に伝えられていないとしてもスタートアップには無関係である。
また、後者の場合、今後「ストックオプション・プール」が普及すれば投資家とのやり取りにも変化が生じ、投資判断の準備段階(DD等)において「ストックオプション・プール」の設定決議の有無が調査されることになると思われる。
なお、前者/後者を問わず、既存株主又はスタートアップが秘匿(又は虚偽報告)すれば、所詮は契約上の責任追及が可能となるに過ぎず、株主になろうとする者が不測の損害を被ることは避けられない以上、スタートアップがコントロールセンターとなり株主になろうとする者に対し「ストックオプション・プール」の設定決議があることを通知することになっているべきであるとする本改正案にも一理あるように思われる。
しかし、本改正案では産業競争力強化法第21条の19第2項の通知義務違反が何らかの会社法上の効力(例えば譲渡無効や引受無効)をもたらすとはされておらず(取引の安全性や債権者への配慮も必要であり、そのような効力が設けられることはないだろう)、結局のところ、契約上の責任追及を行うほかない。
したがって、仮に「ストックオプション・プール」の設定決議がされているとしても、スタートアップがそれを株主になろうとする者に通知等の措置を講ずる必要性はないと思われる。
どうしても株主になろうとする者の不測の損害を回避したいのであれば、「ストックオプション・プール」の設定決議があったことを登記事項とするほかない。
現行の公開会社における募集事項の決定の特則に係る会社法第240条第2項類似のルールである。
基本的には公開会社における募集事項の決定の特則に係る会社法第240条第1項類似のルールである。つまり、いわゆる有利発行(同法第238条第3項)に該当する場合には原則ルールである同法第239条第1項どおり、株主総会の特別決議が必要ということである。
産業競争力強化法第21条の19第4項第1号から第3号の事項は、募集新株予約権の内容として株主総会の特別決議で定めなければならない事項(会社法第236条第1項第2号/第4号、第239第1項第1号)に、産業競争力強化法第21条の19第4項第4号の事項は、募集新株予約権の募集事項の決定の委任決議の効力は割当日が1年以内のものに限るとする会社法第239条第3項に相当する。
募集新株予約権の目的となる株式の種類の全部又は一部が譲渡制限株式である場合、募集新株予約権の募集事項の決定の委任には、当該種類の株式の種類株主を構成員とする種類株主総会の決議を不要とする定款の定めがある場合を除き、当該種類株主総会の決議が必要である(会社法第239条第4項、第238条第4項)。
(3) 深掘り - 省令要件はどうなる? -
この点、バーチャルオンリー株主総会の省令要件は、「株主総会(中略)を場所の定めのない株主総会(中略)とすることが株主の利益の確保に配慮しつつ産業競争力を強化することに資する場合として経済産業省令・法務省令で定める要件」として、次の4点が定められている(産業競争力強化法に基づく場所の定めのない株主総会に関する省令第1条)。
場所の定めのない株主総会の議事における情報の送受信に用いる通信の方法に関する事務の責任者を置いていること。
場所の定めのない株主総会の議事における情報の送受信に用いる通信の方法に係る障害に関する対策についての方針を定めていること。
場所の定めのない株主総会の議事における情報の送受信に用いる通信の方法としてインターネットを使用することに支障のある株主の利益の確保に配慮することについての方針を定めていること。
株主名簿に記載され、又は記録されている株主の数が100人以上であること。
ここからわかるように、バーチャルオンリー株主総会の省令要件は、産業競争力を強化することに資する要件ではなく、「株主の利益の確保に配慮」するための要件である。バーチャルオンリー株主総会はそれ自体が産業競争力の強化に資することから、その弊害を防止することさえできれば問題ないためである。
これを参考としつつ、「ストックオプション・プール」の省令要件について考えると、「募集新株予約権(中略)の発行に関し、株主の利益の確保に配慮しつつ産業競争力を強化することに資する場合として経済産業省令・法務省令で定める要件」(産業競争力強化法第21条の19第1項)とされ、バーチャルオンリー株主総会の省令要件同様の内容となっており、「ストックオプション・プール」それ自体が産業競争力の強化に資することを踏まえれば、その弊害を防止することさえできれば問題ないことになる。
本改正案による提案を踏まえても、既存株主は募集新株予約権の数の上限については取締役会に委任できず、株主総会の特別決議で決定しなければならないとされているため、問題は、持株比率ではなく、権利行使価額と権利行使期間、そして委任決議の有効期間の歯止めだと思われる。
そのための方針(ポリシー)を定めておけば足りるのか?
あるいは「ストックオプション・プール」用の新株予約権の募集要項のひな型(テンプレ)を策定しておく必要まであるのか?
以上