【人事労務】労働者に競業避止義務を課す慣行に見直し!?〜日米の動き〜
本稿のねらい
2024年4月23日、米国FTC(Federal Trade Commission)は、上級管理職("Senior Executives")を含む労働者との間で競業避止条項("Non-Competes Clauses")を締結することはFTC法第5条に違反すると定めるFTC規則("the Non-Compete Clause Rule")を採択したと発表した。
連邦官報("Federal Register")に掲載されて120日後に発効される見通しである。
本FTC規則の概要についても簡単に触れる予定だが、本稿では、2023年10月から行われている規制改革推進会議「働き方・人への投資ワーキング・グループ」(本WG)のうち、2024年4月17日に開催された第5回会議(本WG会議)において議題とされていた「競業避止義務の明確化」の内容を中心にまとめることを目的とする。
本FTC規則の概要
(1)FTC法第5条とは
本FTC規則によれば、労働者との間で競業避止条項("Non-Competes Clauses")を締結することはFTC法第5条に違反するとのことだが、そもそもFTC法第5条とはなにか。
米国法の複雑怪奇なうちの1つだが、(おそらく)FTC法なる単一の成文法はなく、次の条項群をFTC法と呼び、かつ、そのうち次の条項をFTC法第5条と呼んでいるものと思われる。
15 USC 45: Unfair methods of competition unlawful; prevention by Commission ⇛これがFTC法第5条
このFTC法第5条の中核をなすのが、§45. (a) (1)の次の条項である。前段が不公正な競争方法であり、後段が不公正又は欺瞞的な行為又は慣行とされている。
そして、本FTC規則によれば、労働者との間で競業避止条項を締結することや上級管理職を除く労働者に対し既存の競業避止義務を履行させることは、FTC法第5条の不公正な競争方法に該当するとされている(本FTC規則§910.2 Unfair methods of competition (a))。
(2)本FTC規則の目的
FTCは、競業避止条項がもつ次の3点の弊害から競業避止を禁止する模様である("Fact Sheet on the FTC’s Noncompete Rule")。
※こじつけ感が否めないのはご愛嬌
① Noncompetes restrict the freedom of American workers and suppress wages.(競業避止は労働者の自由を制限し賃金を抑制する)
Noncompetes restrict workers’ fundamental freedom to leave for a better job or to start their own business.
In many cases, noncompetes are take-it-or-leave-it contracts that exploit workers’ lack of bargaining power and coerce workers into staying in jobs they would rather leave, or force workers to leave a profession or even relocate.
By restricting workers from moving freely, noncompetes prevent workers from accepting higher-paying jobs.
Noncompetes even reduce the wages of workers who aren’t subject to noncompetes.
② Noncompetes stifle new businesses and new ideas.
(競業避止は新規ビジネスやアイデアを阻害する)
Noncompetes prevent workers from starting their own firms and block new businesses from hiring qualified workers.
Noncompetes restrict the flow of knowledge between firms, and studies have found that noncompetes reduce innovation. This affects not just workers but also consumers by depriving consumers of better products and lower prices that result from competition and innovation.
③ Noncompetes are widespread throughout the U.S. economy.
(競業避止は米国経済に広く蔓延している)
Roughly one in five Americans, totaling nearly 30 million people, are subject to noncompetes.
The Commission received over 26,000 comments, with thousands of workers describing how noncompetes blocked them from taking a better job, negotiating better pay, or starting their own business.
The Commission also heard from entrepreneurs and small businesses who said noncompetes prevented them from starting new ventures or hiring knowledgeable workers to help grow their businesses.
Over 25,000 commenters supported a categorical ban on noncompetes.
これらは2023年1月の時点でFTC委員長が声明を出していた内容と同様である。
【参考訳】公正取引委員会ウェブサイト
FTCによれば、競業避止を禁止することにより、次の効果が得られることが推定される模様である("Fact Sheet on the FTC’s Noncompete Rule")。
※その他も大概だが、3点目は因果関係がよくわからない
New business formation will grow by 2.7%, creating over 8,500 new businesses each year.
American workers’ earnings will increase by $400-$488 billion over the next decade, with workers’ earnings rising an estimated $524 a year on average. ("Estimated Increases in Total Annual and Average Worker Earnings by State")
Health care costs will be reduced by $74-$194 billion over the next decade in reduced spending on physician services.
Innovation will increase, with an average estimated increase of 17,000-29,000 more patents each year over the next decade.
(3)本FTC規則の内容
本FTC規則の内容を箇条書きでまとめるとすれば、次のとおりになる。
本FTC規則発効後の新規の競業避止条項の締結はすべて禁止される
本FTC規則発効後は、上級管理職との既存の競業避止条項の行使を除き、労働者との既存の競業避止条項の行使はすべて禁止される
上級管理職を除く労働者に対し競業避止条項が行使可能であることを示すことも禁止される
上級管理職を除く労働者に対し既存の競業避止条項は行使不可であることを通知しなければならない
以下では、重要な点を少し深堀りしてみる。
① "Non-copete clause"(競業避止条項)とは
本FTC規則上の定めは次のとおりだが、ここでは特段競業("competition")について言及がない点が興味深い。転職や独立等を阻害するすべての条件が競業避止条項("Non-copete clause")に該当するということである。
なお、FTCのFAQによれば、この条項は次の3つをカバーしていると説明されている。
② 既存の競業避止条項がなお妥当する上級管理職("Senior Executive")とは
上級管理職とは、細かいところを抜きにすると、①政策決定に関与できるポジションに就いていたこと及び②151,164米ドル以上の報酬を得ていたことを満たす労働者のことである。
我が国の労働法制上の「管理監督者」(労働基準法第41条第2号)に近いものを感じるが、FTCが出しているFAQによれば、それよりもより執行側に近い立場が該当するようである(執行役員以上かと思われる)。
なお、既存の競業避止条項がなお上級管理職については妥当する例外については、過去に提案された内容から追加されたものである。
③ 本FTC規則を遵守するための3ステップ
Step 1: Don’t include noncompetes in future employment contracts, paperwork, or websites
This applies to all workers, including senior executives. “Paperwork” includes employee handbooks and workplace policies.
(今後すべての雇用契約書等の書類に競業避止を含めないこと)
Step 2: If you have active noncompetes, give notice to those current and former workers who are not senior executives that their noncompetes are unenforceable
Model language for the notice can be found on the Noncompete Clause Rule page. If you prefer, you can write your own notice. You can deliver notice by email or text message, or deliver a paper notice by hand or mail. If you don’t have any contact information for a former worker, you don’t have to send the notice. *Notice is not required for senior executives because their existing noncompetes are not affected by the Rule. As part of this step, consider whether any of your workers with active noncompetes are senior executives.
(上級管理職以外の労働者に対し既存の競業避止条項が行使不可であることを示すこと/退職者のうち連絡先がわからない者に対しては通知不要/上級管理職とそれ以外の労働者を区別すること)
【参考】通知文案 Model Language
Step 3: Don’t enforce existing noncompetes going forward for workers other than senior executives
For workers other than senior executives, don’t enforce a noncompete in court or threaten workers or former workers with enforcement. You can still enforce an existing noncompete with a senior executive. You can also still enforce a claim that a noncompete was breached before the Rule’s effective date.
(本FTC規則発効後は上級管理職以外の労働者に対し既存の競業避止条項を行使しないこと)
以上③については"Noncompete Clause Rule: A Guide for Businesses and Small Entity Compliance Guide"から引用
④ 競業避止義務を負っている労働者の雇用の可否
本FTC規則発効後は、上級管理職以外の労働者に対して競業避止条項を行使できないということは、当該労働者が既存の競業避止条項に基づき負っていた競業避止義務は法的に行使されないもの(自然債務?)になる(本FTC規則§910.2 Unfair methods of competition (b)(1)/(4)参照)。
そうすると、過去に競業避止義務を負った労働者について雇用することは、少なくとも競業避止の観点(※)からは特段妨げられないことになる。
※ 競業避止以外に営業秘密や秘密保持義務の観点もある点に留意
本WG会議の概要
本WG会議の議題は「競業避止義務の明確化」であり、厚生労働省・経済産業省・公正取引委員会といった三省庁の現状の整理に加え、サイボウズ株式会社等による提案等がなされた。
以下では、三省庁の現状の整理とサイボウズ株式会社の提案についてまとめていく。
(1)三省庁の整理
まず、なぜ厚生労働省・経済産業省・公正取引委員会の三省庁が出てきたのかを簡単に整理すると、厚生労働省は我が国の労働法制を所管しており、労働者の競業避止義務について一定の知見を持っていること、経済産業省は我が国の産業行政及び知的財産政策を所管しており、特に営業秘密の保護について一定の知見を持っていること、公正取引委員会は我が国の競争政策を所管しており主に労働者ではないフリーランスの競業避止義務について一定の知見を持っていることに基づくと考えられる。
① 厚生労働省
厚生労働省としては、学説や裁判例を挙げつつ、次のように在職中と退職後に区別して競業避止義務の有効性を判断するとされている。
ここで重要なのは退職後の競業避止義務であることから、「退職後の競業避止義務に関する裁判例」を抜粋して紹介する。
【裁判例①】フォセコ・ジャパン・リミテッド事件(奈良地判昭和45年10月23日)
【裁判例②】ヤマダ電機事件(東京地判平成19年4月24日)
② 経済産業省
経済産業省は、「秘密情報の保護ハンドブック」の参考資料5において、主に退職後の競業避止義務について相当詳細に検討を行っており(厚生労働省も見習うべきである)、その要旨は次のとおりである。
【参考】裁判例比較の一部抜粋
上記で明らかなとおり、経済産業省の考慮では、なによりも企業側に守るべき利益があるかどうかが重要な要素となるようである。
この点、経済産業省が挙げる②〜⑥の考慮要素を踏まえて企業側の利益と労働者側の利益の権衡が図られているかを総合的に判断すべきであるという見解もあるかもしれない。
しかし、論点は、競業避止義務を課す契約等が公序良俗違反で無効(民法第90条)になるかどうかであるから、ここで問われるべきは守られる企業側の利益と制限される労働者側の利益の権衡ではない。企業側の利益と比較して、労働者側の利益が法秩序を保つ上で看過できないほど圧倒的不利に置かれているかどうかである。
そのため、筆者は、第一に企業側に守られるべき利益があるかどうかを検討し、第二に労働者の利益の制約の程度を検討する経済産業省の考慮の仕方に賛成である。
なお、いずれにせよ、仮に企業側に守るべき利益があるとしても、更に従業員の地位、地域的限定、競業避止義務の存続期間、禁止行為の範囲、代償措置等の個別性・具体性が強い要素を考慮しなければ結論が出ない。本FTC規則は上級管理職かそれ以外かで区別する(新規競業避止条項の締結についてはそれすら問わない)のみであり、その方が予測可能性という点では圧倒的に優る。
個人的には営業秘密の保護を目的として競業避止義務を課すことが目的手段の合理的権衡という観点から果たして正当化できるのかは疑問ではある。
このあたりを突き詰めれば突き詰めるほどに、企業側に守るべき利益があるのかが疑問であり、本FTC規則のように、利益云々はすべて捨象して、一切の競業避止を認めないというのも十分合理的な選択肢のように見える。
③ 公正取引委員会
公正取引委員会は、自由競争の観点・競争手段の不公正性の観点(※FTC法第5条前段に近い観点)・優越的地位の濫用の観点について競業避止義務と秘密保持義務を検討しているが、本件で特に近いのはフリーランス等の事業者に不当に不利益を与えるかどうかが論点となる優越的地位の濫用の観点だろうと思われる。
(2)サイボウズ株式会社の提案(本WG会議資料1-4)
(モデル就業規則でいう)「競業により、自社の正当な利益を害する場合」が具体的にどのような状態を指すか、ある程度類型化した上でガイドラインに盛り込むこと
*「競業(競合)」とは…
*「正当な利益を害する」とは…
【参考】モデル就業規則(2023年7月)
モデル就業規則を持ち出している時点で明らかなとおり、これは在職中の競業避止義務に関する提案である。
上記厚生労働省の整理にもあるように、在職中と退職後の競業避止義務の有効性判断は同じ土俵で行われない点に留意が必要であるが、それを明確にする趣旨でも、各省庁合同でのガイドラインやQ&Aの作成が望まれる(前例としては、フリーランス新法ガイドラインやフリーランスガイドラインがある)。
以上