塞翁が馬な漢 石秀『水滸伝3』 著者 北方謙三
1導入
挫折した経験から、人はどう変わっていくのか。
人間万事塞翁が馬 本当にうちの組織の偉い人はこの言葉が大好きです。
「またか」
といつも思いますが、これだけ多くの人が言うのだから、なにかあるのです。
それはきっと、この言葉の意味するところに
自分を経験を乗せて、感じ入る部分があるから
だと思います。
偉い人ほどい人事異動が激しいので、次の部署へ次の部署へと異動していきます。
当然、よくわからない部署への異動も多いのでしょう。
そんなときに、この言葉が活きてくる
体と脳に染み込んでくる
そんなことを平職員の私が想像してみました。
2ChatGPTによる概要
北方謙三の『水滸伝』第3巻は、「輪舞の章」として、梁山泊の拡大と内部分裂がテーマとなります。林冲をはじめとする多くの登場人物が葛藤を抱えながらも成長し、梁山泊という巨大な勢力がさらに強化されていく様子が描かれています。
以下が第3巻の主なポイントです:
内部の葛藤と成長: 主人公たちは、自分たちの行動や目的についての葛藤を抱え続けています。特に、彼らが戦う相手が腐敗した権力者や体制ではあるものの、自分たち自身も時には非道な行いを強いられるという矛盾に直面します。
アクションと戦略: 物語は戦闘シーンだけでなく、知略や駆け引きが重要な要素として描かれています。宋江や他の英雄たちは、戦いの中で巧みな策略を駆使し、勝利を収めていきます。
この第3巻では、梁山泊という一つの組織が急速に拡大し、内外の敵と対峙しながら成長する姿が描かれています。また、登場人物たちの内面的な成長や葛藤も深く掘り下げられており、物語の進展に重要な役割を果たしています。
3問と答
(1)問
なぜ会社の上司の多くが
人間万事 塞翁が馬(じんかんばんじ さいおうがうま)
という故事成語が大好きなのか。
(2)答
たぶん偉い人たちは、色々なポストにタライ回しされるなかで、行きたくなかったけど、やってみたら意外と面白かった。
という経験があり、それを他の人にも伝えたくてこの言葉を好んでいるのではないでしょうか。
そんなことを考えさせられるエピソードが、この水滸伝3巻に登場します。
この3巻で私が気になった人物は
石秀(せきしゅう)
という男です。
彼は、梁山泊のなかで致死軍(ちしぐん)というスパイ組織の副リーダーを務めています。
石秀は優秀であり、鍛錬も積み、陰の部隊として非情さも持ち合わせています。
しかしどこかでまだ甘かったのです。
梁山泊が敵と見なす相手にも青蓮寺(せいれんじ)という同じような影の組織が存在します。
致死軍vs青蓮寺。
この戦いで、死傷者が出ます。
石秀の部下です。
その原因は、石秀が非情に徹しきれなかったことでした。
悔やみきれない一瞬の迷い。
その迷いのせいで部下を死なせてしまう。
戦いの中で、犠牲が出るのは仕方ないことなのです。
実際に石秀は、よく戦ったほうなのですが、同じ致死軍のトップは、その石秀の弱さを見逃しませんでした。
「致死軍を去れ」と石秀は部隊を除名されます。
石秀は忸怩たる思いで、こう思います。
自分が思っているより深く厳しいところで戦が行われている。
改めてそれがわかった。
十分に手は汚したつもりだった。
だが心まで、汚しきれていなかったということか。
心まで汚さない限り、致子軍ではないのか。
シビれますね。このストイックさ。
こうして石秀は自分の心の弱さと向き合うのです。
そして左遷されます。
さあ、新天地でどうするのか。
新天地では、ある一団のトップの補佐として働き始めます。
挫折を経ての石秀の言葉は、心によく響きます。
読者にも、精神的な苦しみを味わった石秀が言うからこそ納得ができます。むしろ応援しています。
読者の感情移入を促すストーリー展開が素晴らしい。
ただただ正論を吐く嫌味な人物としてでなく、苦難を乗り越えた血の通った人間が話す言葉だからこそ響きます。
著者である北方謙三氏は、計算の上で狙ってやっているのか、それとも素でできてしまう天才のなのか、それはさておき物語の形で私の目の前にあるのだから、ただただ感情を揺さぶられながら読むだけです。
4ビフォー 気づき アフター
(1)ビフォー(読前)
左遷でなかったしても、自分の強みだと思っていた特性が活かせない部署への異動が発表されたとします。
私は組織を恨みます。
というか、これまでも何度もそんな経験があるので、私を嫌っている幹部の陰謀論を唱えるくらいには、呪詛を吐いた記憶があります。
(2)気づき(読中)
しかし。
不思議と今にして思えば、全然知らない部署での経験も悪くなかったな、
なんて都合よく思えています。
むしろ仕事の幅が広がったとさえ思えます。
はて?
これがもしかすると「人間万事塞翁が馬」?
基本的に私は、面倒くさがり屋で消極的なので、自分から積極的に何かをしようとしない性格です。(お恥ずかしいですが(´・ω・`))
挑戦とかは、とても苦手です。
もしかすると、そんな私の性格を見抜いた上での人事だったのかもしれません。
(3)アフター(読後)
やっぱり陰謀論でした。
いい意味でですが。
そんな取り留めもないことを思ってみたりしました。
5ちなみに
これだけ石秀という人物について語っておいてなんなんですが、この3巻で一番の名シーンは、石秀が新たに副リーダーを務める一団のトップである楊子という人物が、ひとつの戦いを終えて、内縁の妻と養子に会いに行くシーンです。
ただただ、泣けます。
それまでの積み重ねを受けて読むと感情の波状攻撃を受けているかのように心が揺さぶられて、しかも私自身が年齢を重ねたことで、色々なことが想起されて、もうダメです。抗えません。
楊子については、いずれまた取り上げます。
そしてこの楊子の養子(名は楊令)というのが、この3巻ではまだ5歳くらいの男児なのですが、北方水滸伝の続刊となる「楊令伝」の主人公というのが、また秀逸な設定なのです。