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お山の大将 王倫 『水滸伝2』 著者 北方謙三
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1導入
ネタばれとなりますが
この2巻では、大きな湖に浮かぶ島、その島に築かれた梁山泊という砦を英雄たちが乗っとるというお話がメインです。
元々この砦は、世の中に不平不満を持った者たちが集まり、徒党を組んだ結果、集団生活を送る場所として梁山泊ができたという経緯があります。
その規模は、5千人ほどの人数に達していました。
梁山泊に集まった者たちは、元々世の中を良くしようと志を高く持ち、戦う意思を持って集まっていました。
しかしいつしか「国を変える」という初心を忘れ、食っていくために、村を襲うという盗賊まがいの略奪者に成り下がっていきます。
そんな腐りかけた集団のトップに君臨する人物が王倫といいます。
私がこの巻で注目する人物です。
結果、王倫は英雄たちに殺されてしまうのですが、彼の生きざまは反面教師としてとても魅力的です。
2ChatGPTによる概要
北方謙三の『水滸伝』第2巻「替天の章」では、腐敗した世の中に対抗するため、男たちが集結していく過程が描かれています。この巻では、主人公の宋江が梁山泊を反乱の拠点とするために、林冲を送り込む展開が中心となります。梁山泊は王倫が支配する盗賊の巣窟となっていましたが、彼らはかつて世直しを志しながら堕落してしまった者たちです。林冲は、そんな王倫らと対峙し、新たな道を切り開こうとする姿が描かれています。
この巻では、林冲と楊志の対決や梁山泊が次第に反乱の拠点として整っていく様子が見どころです。また、医者・安道全の重要な役割も描かれており、戦いの合間の日常生活や人々の営みが丁寧に描かれているのも特徴です。
3問と答
(1)問 王倫は、どこで何を間違えたのか。
鶏口牛後という四文字熟語があります。
ニワトリの口先、牛のおしり、という部位のことで
大きな組織の中で後ろの方にいる(牛のお尻)よりも、小さい組織で活躍できる(ニワトリの口先)方が良い、という意味です。
私のモットーです。
選ばれた精鋭部隊のなかで落ちこぼれるよりも、そこそこの部署で、まあまあ活躍する、もしくは一目置かれているほうが、メンタル的には健全でいられる。
自慢できる考え方ではありませんが、このスタンスになってから、だいぶ生きることが楽になりました。
しかしこの鶏口牛後という考え方に落とし穴があるとするなら、易(やす)きに流れ過ぎると、思わぬ反感を招くというものです。
水滸伝2巻の王倫はまさにその典型と言えます。
(2)答 部下の本質を見誤り、易きに流れたこと。
水滸伝では、一貫して英雄たちの苦悩が描かれます。
軍の腐敗に絶望する者 揚子(ようし)
自分の行いを悔いる者 武松(ぶしょう)
復讐に燃え、常に戦いの危険に身を投じる者 林冲(りんちゅう)
など、多くの者が葛藤や鬱憤を抱えて憤っています。
身分格差や圧政がひどかった宋という時代の中国では、困窮する民たちは、何かを変えたいという反骨心が培われやすい時代背景となっています。
そんな時代に、王倫です。
当初、王倫は本当に世の中を良くしたいとの大志を抱き、仲間を募ります。
弁舌に長けていた王倫は、賛同する仲間を集めて、集団の規模をどんどん大きくしていきました。
そして梁山湖の浮島という敵から襲われにくい場所に自分が一番でいられる居場所をつくるのです。
お山の大将です。
いつしか心地よい権威に溺れ、初心を忘れていきます。
人間だれしも、地位や権力を一度でも得てしまうと、立場の優位性を手放したくないはずです。
私にしても、明日からいきなり平社員で、朝早く来て掃除しなさいと命令されたら、嫌だなと思います。
仕方ないからしますけど。
王倫も、自分が築いてきた「お山の大将」というポジションを守るために必死になります。
猜疑心が強くなり、いつの間にか周囲の者を疑うことしかできなくなっていきます。
有能すぎる部下や歯向かってきそうな者は、こっそり毒殺したり、冤罪で投獄したりします。
なので王倫の取り巻きはイエスマンしかいなくなっていきます。
しかしあまりに独裁が過ぎると、正論で負けてしまうので、副頭目(副社長や取締役)である2名の顔を立てつつ、うまくお茶を濁します。
昔は多くの人の心を惹きつける魅力的な言葉を話していた王倫ですが、次第に言い訳ばかりが長けていきます。
苦しむ民を救って国を変えるぞと、やる気のあった若者も、次第に萎えて腐っていきます。
周囲の不満は募るが、それを上手に回避する弁舌だけ冴えていきます。
「今は時期尚早だ」として動かない上司に大きな決定権があるため、部下に鬱憤が溜まっているような状況です。
結果、外部からの圧力により、副頭目である2名も王倫を裏切り、王倫は瞬殺されます。
たしか3行くらいで決着はつきます。
どこで間違ったのか。
きっと、自分が率いている集団が
何を目指していたか
何に対して怒りを感じていたか
という根っこの部分を本質的に理解していなかったからでしょう。
部下の願う志よりも、自分の権力や権利意識を優先してしまったことが間違いの始まりです。
一度逃げると、逃げ癖がついてしまいます。
言い訳も多くなって、その分やらない理由探しが本当に上手になります。
なにしろ、自分自身も騙せるくらいになるのですから。
少なくとも初め王倫は大志を抱いていたのですから、集団を導く方向性は間違っていなかったのです。
しかし自分の器よりも大きな立ち位置や役職に祭り上げられて、保身に走ってしまったことも敗因のひとつかもしれません。
鶏口牛後のニワトリの嘴の先端にまでなれる器ではなかったのです。
4ビフォー 気づき アフター
(1)ビフォー(読前)
昔(20代のころ)読んだとき、この王倫という登場人物は単純に嫌な奴でした。
当時の自分から見て、動かない上司がみんな王倫に見えたからです。
(2)気づき(読中)
しかし今(40代)になって読んでいると、ふと
これ、自分にも当てはまってるのでは?
と、ぞわっと身震いしました。
そこまで私の役職は高くありませんが、過去の経験から物知り顔で偉そうに新人に講釈を垂れます。
相手はまだ何も知らないから、素直に言うことを聞いてくれます。
なんなら感謝されたり、尊敬されたりもします(自分目線の解釈ですが)。
勤続年数が増えることで、新任のころよりも周囲の人が私の話を聞いてくれるようになります。
意見も通りやすくなります。
そんなぬるま湯のような環境に浸かっていると、今の立場を失いたくないなあ、と考えてしまいます。
積極的な行動よりも、安全策を選ぶようになっていきます。
(3)アフター(読後)
やばいです。
王倫みたいになっています。
このままだと乗っ取られて殺されます。
さすがに少し言い過ぎですが、周囲の人たちが不満や鬱憤を貯めているかもしれない。
その可能性に気づかせてくれた一冊でした。
5ちなみに
水滸伝は、108人の英雄が登場するお話です。
王倫を裏切った副頭目である2名は、英雄に名を連ねていますが、これだけ話をしておいて王倫は、その108人の英雄には数えられていません。
まあ確かに、自分に甘い人間ですので、選ばれなくても仕方ないのかもしれません。
しかし彼の生き方は、反面教師として得られるものが非常に大きい存在です。
少なくとも20年の時を経て、本書を読み返した私(40代)の心には刺さる存在であることは間違いありません。
昔ある方が言っていました。
面白い作品は二度目に味わうと、最初とは違う登場人物に感情移入する。
名言です。
まさか王倫に感情移入するとは、一度目の読書では考えられませんでした。
さすが、北方謙三氏の作品は、血の通った登場人物たちが活躍しているのだと再確認しました。
また20年後に読んだら、新たな発見がありそうで楽しみです。
面白い作品は二度目に味わうと、最初とは違う登場人物に感情移入する。
本当に名言だと思ったので、もう一度書きました。
ほんとうに、ちなみにとなりますが、『とらドラ!』というライトノベル原作のアニメを見て、そのとおりだと思いました。二週目は、あーみんがイイ。