川瀬敏郎さんの花と旧白洲邸「武相荘」
~行ってみよう、やってみようシリーズ⑬~
白洲正子の「美の種まく人」を読んだのは、私がまだ20代の頃だったと思う。その中に出てくる川瀬敏郎さんが生ける花に、当時の私は強い衝撃を受けた。
川瀬敏郎さんの花は、私が今まで目にしてきたフラワーアレンジメントや華道とは明らかに一線を画しており、花・花器・空間のすべてがその場所にその形であらねばならない明確な意味と意志を持って存在していた。
「自分と花」。
その2つしか存在しない異空間の中に、一瞬にして連れて行かれるような圧倒的な求心力と、1対1で対峙させられているかのような緊張感に、私は魅せられてしまった。
「こんな花を生ける人に会ってみたい。そして実際に作品を見てみたい!」」20代の頃そう思い始めてから20年近く経ち、そんなこともすっかり忘れていたある日、偶然にもその川瀬敏郎さんの講座が東京で開かれるという情報を目にした。
「花」についてはなんの知識も経験もないし、けっして安くはない受講料だったが、迷わず申し込みをし、キャンセル枠を勝ち取った私は1人東京へ飛んだ。
講座は全4回・1回3時間半の長丁場だったが、1回受講しただけで、その価格を上回る価値があることは花の世界に門外漢の私でさえ容易に理解できた。
川瀬さんの花に対するストイックな生き様と、花と向き合ってきた膨大な時間と圧倒的知識と経験、創意工夫と肉体的鍛錬の積み重ね。
私が受けるにはもったいくらいレベルが高く中身の濃い講義内容と、川瀬さんが実際に私の目の前で、動き、話している姿に「これは現実なのだろうか」と信じがたい気持ちだったが、勇気を出して受講申し込みをした自分を褒めてやりたいという気持ちもあった。
1回目の講義は浮足立った慌ただしい日帰り旅となったが、次回は1泊して、川瀬さんの師ともいえる白洲正子が生涯を通して愛した家「武相荘」も訪ねようと心に決め、家路についた。
「武相荘」を訪ねる
こうして2回目の講義を無事終えた私は、ようやく念願の「武相荘」を訪ねた。(といっても、「武相荘」は町田にあり東京の地理に疎い私は、妹夫婦に連れてきてもらったのだが。)
「武相荘」の中には入場料無料の「Restaurant&Cafe 武相荘」があり、喫茶のみの利用もできる。まずはそこでランチをいただくことに。
おススメは、次郎が大好きだったカレーと親子丼ということなので、海老カレーを注文。野菜嫌いの白洲次郎もこのキャベツの千切りは食べれたそう。しかもスプーンは使わず、フォークで食べるのがこだわりだったとか。なかなかめんどくさい男・次郎‥。
お腹も満たされたあとは、ゆっくりと敷地内を見学することに。
そしてようやく入場料・1人1100円の本邸へ。(残念ながら本邸の中は写真撮影禁止。)
中には、正子の書斎、正子・次郎愛用の品々。次郎の遺言書などなど貴重な資料が保存されていて、正子の審美眼の一端を垣間見ることができる。
お互いにこだわりの強そうな2人が、自分のペースで気ままに暮らしていた様子がうかがえて何だかほほえましい「武相荘」であった。
「武相荘」を後にした私たちは、そのまま駒場にある「日本民藝館」を訪れることにした。
「日本民藝館」
「日本民藝館」は“用の美”を提唱した民藝運動の創始者である柳宗悦(やなぎ むねよし)が中心となり設計されたもので、外部同様、内部も重厚感と貫禄がある2階建ての造りになっている。(内部は写真撮影禁止。)
展示されているものは柳宗悦の審美眼を通して集められたものが主で、バーナードリーチ、棟方志功、河井勘次郎ら作家作品から、アイヌ衣装、東北の刺子衣装など多岐にわたり、どれも見ごたえがある。
何度「欲しい~!」と連呼したことか‥。
帰宅後に知ったのだが、白洲正子が師事していた美術評論家・青山二郎は、かつて柳宗悦らの「民藝運動」に参加していたことがあったらしい。つまり、柳宗悦~青山二郎~白洲正子~川瀬敏郎は一連の大きな流れの中にあり、今回訪れた場所はいずれも無関係ではなかったということである。
こんなふうに思いがけず旅先で点と点がつながる「アハ体験」をすることがある。期せずして「読書の秋」と「芸術の秋」を両方堪能する贅沢な旅となったが、一冊の本から始まる旅もまた面白いものである。