老健での母 3
無事退院できたものの、半年を過ぎたら、母は老健にはいられなくなるのではないだろうか。
半端な知識しかなくて、よくわからない。
在宅時のケアマネに、相談した。
老健に入所した時点で、在宅時のケアマネから老健のケアマネに代わるのだが、在宅時のケアマネSさんは色々気にかけてくれて、定期的に連絡をくれていた。
まず老健を退所後、どうするかである。
自宅に戻るか、特養や老人ホームを探すか。
もう自宅での生活は、望めそうになかった。
入院前は、歩行器を使って室内での移動は出来たが、今は自力で立つことも出来ない。
車椅子を自力で操作することも困難で、私も仕事を辞めるわけにもいかない。
母は施設を嫌がるだろうが、他に方法がない。
ケアマネSさんが、老健の支援相談員のOさんと話してくれた。
意外にも、Oさんはこう言った。
大丈夫です。半年くらいで出てくださいなんて言いませんよ。
そういう方針のところなのか、他に何か理由があるのかわからないが、ひとまず安心した。
が、今後のことは早晩考えねばならない。
慣れた人達のいるこの老健に、ずっといられればいいのだが。
リハビリはもうなかった。
食欲は相変わらずあまり戻らないままで、それでもどうにか元気だった。
が、足の浮腫がひどく、膿を出すために切開した傷跡から、じわじわと体液なのか何なのか、水分が滲み出るようになった。
おむつパットを足に巻かれている母の姿を見て、気掛かりだったが、特に治療法などがあるわけでもない。
本人に苦痛がないのは、幸いだった。
お口は達者なようで、介護士さん達から面白がられていた。
98歳で、冗談が言えるなんてすごいわねえ、ということらしい。
足の滲出液は、1ヶ月ほどで落ち着いた。
原因不明の発熱も徐々に回数が減っていって、次第に、体調は安定していった。
休日は、母のところに行くのが常であった。
おやつの時間に合わせて、果物やアイスクリームなどを持参していった。
夕食も、少しでもたくさん食べてくれるように、隣に座って励ました。
その後歯磨きを手伝い、施設を出るのはいつも19時頃だった。
休日は殆ど母のために潰れてしまうが、特に苦痛とも思わなかった。
私が行くと、母は嬉しそうに笑ってくれた。その顔を見るとほっとすると同時に、私も嬉しいと思えた。
穏やかな日々が、続いていた。
その頃の中国武漢での騒ぎなど、まだまだ対岸の火事だった…。