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お彼岸

秋のお彼岸には、いつも母と墓参りに行くのが慣わしになっていた。
列車に乗って小一時間。
列車の窓から見える風景は、長く変わらない気がする。
田んぼに白鷺がいる。
畦道に、彼岸花が咲いている。
圧倒的に赤が多いけど、白い彼岸花も見える。
見覚えのある川が見えてくる。
河口付近だ。
川にかかった鉄橋を、列車は走る。
特急なので窓を開けることは出来ないけれど、海の匂いがするはずだ。
製薬会社の工場の、大きな煙突が見える。
父は銀行を退職し、その製薬会社に再就職した。
すぐ近くの社宅で私は生まれた。
多分私が生まれた時から、煙突はあったはずだ。
生まれ故郷の風景だ。

駅はもうすぐ。
駅に着いたらお花を買って、構内のお食事何処でお昼を食べる。
母はいつも、山菜そばだった。

昼食の後に、墓地に向かう。
海からの潮風に吹かれると、ああ私はここで生まれたのだなと、なぜかいつも思うのだ。
3歳までしか住んでいないけれど、私の中の無意識がそう感じるのだろうか。

近年は、別の思いが湧いてきていた。
私が死んだら、ここに眠ることになる。
海からの風に吹かれて、私はここで、永遠に眠り続けることになるだろう。
悪くはないかな。
手を合わせて参る母の傍で、いつもそんなことを考えていた。
生前、母はお墓に対しての感慨については、何も話したことはなかった。
常々、自分が死んだらお葬式などしなくていい、焼いてこのお墓に入れてくれればいいのだと、言っていた程度だ。
その言い方が合理的な母らしくもあり、信心深い母らしくないようで、意外な気もしていた。

墓参りの最中、母はご先祖様のことをよく話した。
私が知っているのは父だけなので、それ以前のご先祖様のことは母から聞くしかない。
大酒飲みの祖父のことや、やたら厳しかった祖母のことや、私が生まれる前、8歳で死んでしまった姉のことや、モテモテだったらしい父のお兄さんのことや。
墓石に刻まれた名前を見ながら、母の話を聞いていた。
やっぱり嫁と姑の確執はあったらしく、祖母についての話の端端には、少しそれらしい感情が混じり込むのも面白かった。
この世に産み落とされ、生きて、そしてこの世を去って。
延々と続く営みについて、柄にもなく考えてみたりもした。

お彼岸はこの世とあの世が1番近くなる時期なのだとか。
墓前に立ち、ご先祖様からの何らかの示唆を受け取るのには、格好の日なのかもしれない。

実は、その墓には、母のお骨はまだ入っていない。
いきさつについては、機会があればまた記事にしたいと思う。

今年も行くはずだったが、色々アクシデントがあり、行けなかった。
彼岸花が咲いているうちに、またあの潮風に吹かれに行こうと思っている。





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