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母の入院 1

97歳の年末、母は入院した。
右下腿蜂窩織炎
皮膚の感染症だ。

担当は男性の新人医師。
長く診てもらっている院長が担当してくれると思っていたので、頼りなげな新人医師に何となく不安を感じながらも、それでも抗生剤が即効してすぐに回復すると、その時は思っていた。

抗生剤の点滴が始まった。
毎朝、夕、母の所に寄った。
点滴のパックに、抗生剤の名前が書いてある。
頻繁に抗生剤の名前が変わる。
微かだけれど、違和感。

なかなか熱も下がらない。
右足は赤く腫れ上がったままだ。
若い医師は、足は血流量の少ない所なので、なかなか抗生剤が届きにくいと説明した。
ならば、なぜそんなに抗生剤を変える?
何回も、頻雑に。

意識ははっきりしていたが、足を上げて安静にせねばならず、オムツを当てられた母はおかんむりだった。
ちょうど一週間を過ぎたあたりから熱も下がり、炎症反応も落ち着いて行った。
抗生剤も点滴から飲み薬へと変わった。
ポータブルトイレも使用を許可され、おむつもはずされて、母もやっと明るい顔を見せてくれるようになった。

退院の説明は、院長からあった。
血液検査の数値の説明では炎症反応もなく、白血球も正常値に戻っていた。
退院の目安の日を告げられたが、2週間近くの入院で脚力が落ちてしまっている。いわゆる廃用症候群である。
このまま帰宅しても、元通りに歩行器での移動は難しいように思われた。
入院を延長してリハビリをと、お願いした。
今までも腰痛のリハビリ、肩の脱臼後のリハビリ、他にも色々融通してもらってきた。
が、院長は珍しく、渋い顔で首を捻った。
入院は色々リスクもあるけどね。
もうあまり動けなくてもいいかなあ。
どういうことだろう。その時はわからなかった。
何かを懸念しているような口ぶりだった。
真意はのちに解ることになる。
渋々といった体で、それでもリハビリ入院を許可してもらえた。
2週間ほどの予定での足のリハビリ。
病棟も急性期病棟から、リハビリ病棟へと変わった。

リハビリは順調だった。
母はもともと頑張る人なので、理学療法士さんもびっくりの回復ぶりで、今まで通りに何とか自宅で生活できそうだった。
病室でもベッドから手すりを伝って、洗面台まで自力で歩けるまでになった。
丁度ケアマネがそばにいて、すごいと喜んでいた。
退院の日も決まり、その後の家での生活についてのミーティングも終わったその翌日、母は発熱した。
高熱というわけでもはないが、
お腹の調子も良くないらしかった。
また抗生剤が処方された。
そしてその抗生剤のせいで、症状が隠されてしまい診断が遅れた。
菌交代によるCD腸炎(偽膜性大腸炎)。
院内感染である。
思いがけないことだった。
抗生剤の使用が原因の発熱、下痢だと医師は気が付かなかったのだろうか。安易に抗生剤を投与する前にだ。
と苛立たしい思いだった。
と同時に、院長が実はこういう事態を懸念していたのだろうとも思い至った。

腹痛と激しい下痢。当然食欲も落ちた。
また母は、ベッドから出ることが出来なくなった。
廃用症候群は、ほぼ確定となった。


それでも、治療薬のバンコマイシンを10日ほど飲めば、腸炎は治るはずだった。

がその後。
再び
もう一段階の病が襲ってくる。



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