見出し画像

いい人すぎるって褒め言葉じゃない

 何も予定がない休日、いい人すぎるよ美術館を見にいくことを決めた。
他にも見たい展示はあったが、開催期間が短い展示だったので優先的に足を運んだ。


 写真撮影OKであること、誰も傷つけない内容であることがポイントかわからないが、平日なのにまあまあな集客率。だが、いい人すぎる行動、ほぼSNSで話題・共感の声続出という文言に見事踊らされてしまった。
 自分が印刷を大量にするとき、途中で紙が切れたら困るから印刷する前に紙の補充は行う。注文する時は店員の目を見て言うし、店内が混んできたり行列が出来たりしたら急いで食べてお会計して店を出る。これ普通じゃないの?って思う行動がいい人すぎる掲示物になっていた。遅れてくる人の食べ物を事前に取り分けたり、常にエレベーターのボタンを押すエレベーターガールみたいになったり、できない行動も勿論たくさんあったが。

 この展示を見て、うんうんわかるわ~と共感するよりも、それ当たり前じゃない?と、そんなことする人いるんだなあと。自分がそう思う一方、周りの若い子たちはこれいい人すぎるよね~と展示に共感。これは年齢の問題なのか?と思ったが、単に自分と相性が良くなかった、自分が期待しすぎたと自己完結。


 展示を見に行って一番感じたことは○○すぎるの判断は誰基準なのか誰か説明してほしい、○○すぎるってマイナスな表現なんじゃないかってこと。ひと昔前テレビによく出ていた美人すぎる○○さんや○○すぎる(職業名)の方々は注目後どうなったんだろうか。美人すぎるスポーツ選手だと、スポーツ選手では美人すぎることが異例のように聞こえるし、賢すぎるワンちゃんだと犬が賢かったらびっくり仰天みたいなニュアンスに捉えられなくもない。固定概念を持つ人向けのエンターテイメントなんでしょうか。


 皆が同じ価値観を持つなんて不可能であるが、ほめているようで貶していることが世の中には多い。それならお人よしとか偽善者とか、聖人、菩薩とか、断定的な表現が個人的に好感が持てる。だが世の中にはいい人ともわるい人とも言える人ばかりだし、ぼかすことで人間関係も上手くいくことも多い。大衆に受けないと経済を回すのは難しいこともわかる。ただ〇〇すぎるの表現は価値観を広げているようで改めて狭めている気がする。



 


いいなと思ったら応援しよう!