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タイ俳優のオタク、迷走の末にホットヨガを始める。
私の最推しはタイの俳優だ。FirstくんとKhaotungくん。世界一かわいくて穏やかな2人をカプ推し(公式)させてもらっている。
そんな私はつい最近、FirstKhaotungにまつわる半年間の迷走を経て、ホットヨガを始めることした。これはれっきとした推し活の一環だ。折角なので、その顛末を記録しておこうと思う。
私の一目惚れ、Firstくん。「2gether」のフォン、Khaotungくん。それぞれ個人では認識していた彼らに“FirstKhaotung(ふぁかお)”として出会ったのは昨年5月。偶然視聴したタイドラマ「The Eclipse」の虜になっていた私は、主演2人が現実においても、あまりに深い友情で結ばれていて、互いを大切にしている姿にすっかり心を奪われた。
おそらく私はアセクシュアルだ。他人に性的に惹かれない。恋愛にもあまり共感できない。でもひとりぼっちで生きていきたいわけじゃない。そんな感覚を持つ私にとって、ふぁかおの関係性は、心の奥底でずっと無意識に探し続けてきた理想の親愛さそのものだった。
ふぁかおは私に、他人と深い愛情で結ばれることには必ずしも恋愛や性欲が必要ではないことを教えてくれた。恋愛と性愛が友愛の上位互換ではないことにも気づかせてくれた。愛情は愛情だ。そこに上位も下位も優劣もないのだと。彼らを見ていると、きっとこの世界には“魂の片割れ”みたいなものが本当に存在するのだろうとさえ思うことがある。もしかしたら私にもいるのかもしれない。その仄かな期待は、私をこの世界に繋ぎ止めている理由の一つでもある。
ちなみに同じようなわけで、PondPhuwinの「Never Let Me Go」も私に刺さった。あの物語において主人公のふたりの絆は“アンドロギュノス”的な“半身”であるとされている。彼らの場合はそこに恋愛感情や性欲が付随していたわけだが、それがあろうとなかろうと、彼らは共にあることで“ひとつ”になれるのだろう。
ふぁかおが私と同じアセクシュアルだと言っているわけではない。彼らが彼ら自身の関係をどうラべリングするかや、どのような感情を持って互いを愛するかは彼らの自由だし、もしそこに恋愛感情のようなものがあるとしても、そう言うものは一切ないとしても、どちらでもいい。それはファンがどうこう言うことではないし、彼ら自身が心地よくいられるように関係を築いて育んでいってほしいと思う。
多少脱線したが、なにを言いたいのかというと、彼らのおかげで私は絶望することをやめることができたのだ。“アセクシュアル”という言葉さえ知らなかった私は、彼らの映し出すひとつの理想を知ることで、それを指針に、自分が何であるか、何を望むのかを探し始めることができた。
その疑問の答えはまだ見つかっていない。私に“魂の片割れ”がいるのかもわからない。何なら時々、お互いを見つけたFirstKhaotungが羨ましくて、大好きの気持ちに仄かな嫉妬が混じったりもする。それでも彼らが大好きで、私の理想であることには変わりない。自分自身を嫌い蔑み、自分は不十分なのだと断じていた頃を思えばありえないくらい幸せだ。“アセクシュアル”という、しっくりくる気がする言葉にも出会えたのだから。
さて、前述のとおり、私がFirstKhaotungのファンになったのは昨年5月のことである。そのため残念ながら1月の初来日ファンミには行けず、また仕事の都合でお盆の北海道ファンミの参加も叶わなかった。
接客業にお盆休みはない。休み前になるたび“入社時に盆暮正月GWは出勤できると言ったよな?”と、書面で脅しをかけてくる会社である。休むと宣言すれば何を言われるか分かったものではないし、そもそも休ませてもらえる気もしない。
ゆえに諦めるしかなかったが、この時のKhaotungくんのビジュアルが良すぎたので正直いまだに後悔している。嫌味と悪口なんて無視して行くべきだった。本気で休もうとすれば休めただろうに、コミュニケーションを放棄した私が悪かった。
それでも昨年はよかったのだ。10月、12月、そして今年の2月と怒涛の来日をしてくれたから。寂しがる暇はなかったし、むしろチケット代に悲鳴をあげてスケジュール調整に奔走していた。楽しかったし、幸せだった。
それがどうだろう。今年は2月以来は音沙汰なし。ドラマの撮影で忙しいためか、比較的近場の香港やベトナムのファンミはあっても来日はない。ソロファンミもない。おまけにKhaotungくんの誕生日ファンミを台北で開催するというのだから、さすがに少し落ち込んだ。
LOLコンサートのためにバンコクに行けばよかった。スケジュール的に無理だったから諦めたわけで、それは納得しているのだけれど。
寂しい、寂しい。ふぁかおに会いたい。ドラマは楽しみだし、世界中のみんなに愛されてほしいのは本心だ。でも私にも愛させてほしい。
来月は日本に来てくれるかな。来なかった。じゃあ来月は?
期待と気落ちを繰り返し、もう半年。半年も無気力に生きている。これってだいぶよくないな。
ぼんやりと悩みながら過ごしていた先々週、以前もらったホットヨガLAVAの招待カードが目についた。“無料手ぶら体験”と書いてある。少し悩んで、体験レッスンを申し込んでみた。“無料だし、手ぶらだし、推しは日本に来ないし、せっかくだし”。余計なものが混ざっているあたり、迷走を極めていたのがよく分かる。
入会するつもりあるような、ないような、ゆるゆるした気持ちで参加した体験レッスンは、思いのほかに穏やかで緩やかな時間だった。
今この時、自分の身体と心に集中する。それは私が忘れていたことだったのかもしれない。過去のことと未来のこと、自分の制御の外にあることばかりに目を向けて、追い立てられるように過ごしていたことを、今更ながらに自覚する。
あまりの心地よさに、その場でLAVAの入会を決めてしまった。マットやウェアなどの初期費用は私にとって決して安くはなかったが、半年分の推し貯金もある。おまけにここ数ヶ月は12連勤、1休みの繰り返しばかり。たまには奮発してもいいだろう。
白状すると、ホットヨガを始めた背景には推し活関連の妙な企みもある。なるべく近い将来のいつか、推しに会いにタイへ行きたい。でもタイは暑く、湿度も高い。ホットヨガで高温多湿の中で体を動かす練習を積んでおけば、現地で元気に過ごせるはずだ。
健康的に引き締まった綺麗なオタクにもなりたいし、FirstKhaotungは、イベント後などにいつもファンに伝えてくれている。“ちゃんとご飯食べてね”、“自分を大事に、元気でいてね”。その気持ちに応えるべく、体を動かして心をケアしてみるのもいいだろう。
自分をいたわる時間。自分と向き合う時間。私にとってのホットヨガはきっとそれだ。9月からの入会なので、まだ数回しか通っていないにも関わらず肌の調子も良くなったので、一石二鳥だ。
運動なんてどうせ続かないと思ってもいたが、“ホットヨガに行きたい”という気持ちが内側から湧いてくる。汗をかくのは嫌いだし、運動も苦手なはずの私にとっては、人生で経験したことのない不思議な感覚だが、そんな自分が嫌ではないような気がする。
Firstくんは以前、ファンに言ってくれた。“全部のイベントに来ようとしなくていいよ。来てくれたらうれしいけど、無理はしないで。自分を大事にして、疲れた時は休んでね”と。
推しは大切な存在だが、推しの不在に潰れるようなオタクにはなりたくない。推しがいないと生きられないなんて、そんなの彼らにとっても本意ではないだろう。推しにそんな重みは背負わせたくない。
推しを推している自分を好きでいたい。推しが成長していく姿をモチベーションにして、新しいことに挑戦したい。推しを推すことを楽しんで、自分の人生も豊かにしたい。その方が彼らも喜んでくれる。
だからきっと、私がホットヨガを始めて自分をいたわることは、FirstKhaotungの気持ちを大切にすることにつながるのだ。次に会ったときに“いつもありがとう、大好きだよ”と言えるように、いつかバンコクに彼らに会いに行けるように、私は明日もホットヨガに行く。