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マレーシア備忘録➓ 最終目的地ペナン島

キャメロンから向かったのは今年2度目のペナン
ペナン州は、大きくつ立つ、西海岸北部のウェスレー地方とペナン島から構成されてて私が行ったのはインド洋に浮かぶペナン島の方
「ペナン」はマレー語でヤシ科の植物であるビンロウジュのこと
人口は約70万人でその過半数を華人(中国系)が占めており、マレーシアの中で、一番華人の人口が多い地域

ガソリンスタンドの売店でわかる中国系新聞の多さ

ちょうど雨季だったから滞在中ほとんどずっと雷が光ってた
ペナン島は、イギリスがマレーシアに最初に入植した場所
イギリス東インド会社に「プリンス・オブ・ウェールズ」と名前がつけられ東西貿易の中継地である自由港として発展を遂げた
この貿易の中継地としての歴史背景が今日も残る西洋、中国、イスラーム、ヒンドゥー文化が融合する独特の雰囲気をもつ町並みを形成した
2008年ユネスコにより、マレーシアでは初の文化遺産として半島側のマラッカとともに、ジョージタウンが世界遺産に登録された歴史ある島
マレーシア第2の観光地といわれるだけあって渋滞がひどくて2時にキャメロンを出たのについた頃には9時近かくになっていた
待っていてくれた友達にマーケットに連れて行ってもらった
私が食べたチャークイティオ Char Kway Teow っていう麺料理
7リンギット、200円くらい、安い
あと真っ赤で辛そうな料理を頼んで持ってきてくれた
名前ロジャ?だったかな
見た目に反して甘くて驚いていたら「辛いの食べれないでしょ?」って彼の配慮だった
2回目のマレーシアで気づいたんだけど私ココナッツ味好きだけど純ココナッツジュース苦手かも笑

到着後久々に再会した友だちとの夜ご飯
右下:チャークイティオ Char Kway Teow 左下:多分ロジャ

次の日はまずペナンヒルへ向かった
宿はジョージタウンに取ったからそこから西に6キロメートル程度移動
ここの車内の会話でマレー人とマレーシア人混同させて話してたら、それって全然違うからと現地の子に直された
マレーシアに住む人たちは人種宗教問わずマレーシア人
土地の子の所謂ブミプトラに当たるのがマレー人
確かに、大きく違うね
ペナンヒル(Penang Hill)は、高さ833メートルの丘
景色の良さと自然に富んだ様子から「ペナンの緑の肺」と呼ばれる
頂上からはペナンのランドマーク、コムターKomtarビルも見えた

ペナンを一望


頂上付近のヒンドゥー寺院


帰り道ブルース・リーのウォールアートを見つけた
前期の東アジアの最終講義で習った彼の残した中で忘れられない言葉たちがあった
「Be water」、水になれ

Empty your mind, be formless, shapeless – like water.
「心を空にしろ 形を取り去れ 型を捨てろ 水のように」

Now you put water into a cup, it becomes the cup,
「カップに水をそそげば、水はカップの形になる」

you put water into a bottle, it becomes the bottle,
「ボトルに水をそそげば、ボトルの形になる」

you put it in a teapot, it becomes the teapot.
「ティーポットに水をそそげば、ティーポットの形になる」

Now water can flow or it can crash.
「そして水は流れることも、ものを砕いたり壊したりもできる」

Be water, my friend.
「友よ、水になれ」

講義の内容は旧ユーゴスラビアで起きた民族内戦と現在ボスニア・ヘルツェゴビナの都市モスタルに平和の象徴としてブルース・リーの像が建てられた背景についてだった
最後にサラッと紹介された彼の名言が心にスッと入って記憶に残って以来時々思い出すここでも思い出した
そもそも比喩表現が好き、というのもあるけど
常識を捨てる勇気を持つことと変わることに消極的ならず柔軟性で寄り添う心を持つ、柔らかく熱く生きなさいって
正義を持って強くあるために生きた彼だから残せた言葉だと思う

ペナンで会えたブルース・リー


ここからジョンカータウンへ向かった
世界遺産に登録された歴史都市、イギリス統治時代の面影が色濃く残るジョージタウン
18世紀後半、当時の英人総督のフランシス・ライトが、この町をジョージタウンってつけたらしい
また文化的多様性が富んでいることでも有名
世界各地の商人が訪れ、やがてこの町で居を構えたため、多彩なアジアやヨーロッパの文化が融合するエキゾチックタウンになった
そのポジティブなカオスさは街を歩けばすぐわかった
コロニアル建築が多かったなー

マスジット・カピタン・クリン通り ハーモニー通りって呼ばれてた


2012年にリトアニア出身のアーティストが描いたのをきっかけに広まった壁画アート


中国の福建省からの移民、葉(ヤップ)家の霊廟


Batu Ferringhi Beach

夕日を見ていたら背後でかなり高い木におじいさんがよじ登っててココナッツをとってて驚いた
人がほとんどいなくて寝転んで夕陽が沈むのを眺めて待った
海、国違っても好き、特に人が少ない夕方は小さい頃から変わらず好き、落ち着く

夜は友達の友達、ムスリムの女の子とナイトマーケットを歩いた
夢のこと、学校生活のこと、これまでの恋愛とか、ニュースに思うこととか久々にたくさん会話をして楽しかった
最近この辺りで誘拐が増えているから気をつけるようにとしばらくずっと側で一緒にまわってくれた
別れ際に赤い石のブレスレットをくれた

夜ご飯のラクサ ペナン島のラクサは酸っぱい







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