「電球のかぐや姫」#下書き再生工場〜もう帰りたい〜
本田すのうさんの企画、#下書き再生工場。
誰かの下書きをお題として、別の人が執筆するという素敵な試みだ。私も参加したいと思い、とらふぐ子さんの「もう帰りたい」というお題を使わせてもらった。(素敵なアイディアありがとうございます!)
ぜひ読んで!と言いたいところだが、いかんせんめちゃくちゃ長くなってしまった。(本編16080文字前後)
でも、本音は…全部読んでほしい。
全部読まないと、この物語は終わらない。
全部読んでくれるためなら、何でもする。
まず、目次つきの章立てにした。
第1章だけ読んで、面白ければ続きを読むもよし。
時間がある時に一気に読むもよし。
ちょっとずつ読むもよし。
さらっと読むもよし。
それから、ジャンルが分からないと読みにくいかな…先にお伝えしておくと、
科学の歴史✖️ファンタジーである。
舞台は19〜20世紀のアメリカ。
とある天才発明家の若い助手で技術者のハロルドは、ある時規則的に点滅する電球を見つける。その点滅のリズム…◯ー◯◯信号!?
(モーむすじゃなくて…そうそう!あれあれ!)
あ…あと、難しい用語で離脱したりする?(Webライター仕草)
大丈夫!私も文系なんで、そんな難しい話しない!てか、できない!
しょうがない…最初に出てくるキーワードだけ解説するか!(長女仕草)
モールス信号
あっ…言っちゃった(恥)
短点(・)と長点(-)を組み合わせて、文字とか数字を表せるんだって!
すごいよね!
例えば、「りんご」なら
り=・-・--
ん=--・--
ご=----
音や光、電気信号を使って表すよ!
実は、英語のモールスと日本語のモールス(=和文モールス)は全然違うみたい…!!
フィラメント
電球の真空管の中にあって、電流を流す細い線。
↓ココのぐるぐるのやつ!エジソンの時代は、ぐるぐるじゃなくて、とある意外なモノが使われていた!
あ…あとね、最後!最後に、わかる人にはわかるお楽しみポイントもある!
・とある天才発明家が路地裏に送られてる
・とある映画好きにはわかるアッセンブルがある
……気になってきた?ほんとに?だいじょぶ?お茶とお菓子持った?
それならよかった。
じゃあ、行ってらっしゃいっ!
注意喚起:
この物語には戦争、空襲、核兵器使用などのセンシティブなテーマが含まれます。これらのテーマが苦手な方は特に第4章以降、ご注意ください。
第1章 電球の中の女
「ハロルド君、私は仮眠を取ってくる。」
「はい、お疲れ様です!先生。」
先生は実験室を出て、自分専用の仮眠室に向かった。
いくら天才発明家でも、体力がないとやっていけない。体力というより、むしろ持続力だ。多忙を極める先生も、たった30分の仮眠で、元気いっぱいになって戻ってくるのが常だった。
私は、先生の助手の中では一番年下だ。
他の助手は、私を末っ子のように可愛がり、少し軽んじた。
だが、先生は私を一番信頼してくれているように感じて、嬉しくなる。
私以外誰もいなくなった実験室は、急に静まり返り、大量の電球や機械、そしてがらくた同然の機械部品が迫るようだった。
トーマス・アルバ・エジソン。
先生の名は、誰もが知ることとなった。
この電球を光らせてから。
永遠と思えるほどの試行錯誤を重ねた。
本当にこれが光るのか、誰も分からなかった。
その中で、私は確信していた。
この電球は、光るのだと。
世界から夜は、消えるのだと。
ただ、あの発想はなかった。
フィラメントには、日本から取り寄せた「bamboo」、つまり「竹」を使った。竹のしなやかさと耐久性は、電球を持続的に発光させるのに最適だったのである。
電球が光を放った時の、あの感動と興奮は忘れない。
私は16歳にして、人間の歴史的瞬間に立ち会うことができた。
そんなことを思い出し、置かれた電球を眺めては恍惚としていた。
すると、電球のうちの一つが突如点滅をはじめた。
テカテカと点滅したと思ったら、今度は、ツーー、と連続的に発光する。
そこには、一定の規則性があった。
私は、このリズムに見覚えがあった。
「モールス信号?」
まさか、電球が、何かを伝えようとしている…?
私は、このリズムを急いでメモした。
????
確かにモールス信号であることはわかる。
ただ、どう読んでも意味不明な暗号になってしまう。
「暗号…記号…外国語?」
そうだ。
日本の竹が使われた電球。
日本語だ。
その時、先生が仮眠を終えて戻ってきた。
「ハロルド君、どうしたんだい?」
「先生っ!日本語です!日本語のモールスがわかる人!呼んでください!」
先生は事務員を通じ、竹を取り寄せた貿易商に、連絡を取ってくれた。
貿易商のアンダーソンは日本語だけではなく、日本独自のモールス信号である、和文モールスにも通じていた。電球と、モールス信号のメモを見せると、彼は一文字ずつ読んでいった。
「モ ウ カ エ リ タ イ」
「モウカエリタイ」とは、「I wish to return home.」という意味だそうだ。
無機物である電球が言葉を発するなんて…
驚きのあまり声が出せずにいると、アンダーソンが突飛なことを言う。
「ハロルド…この電球って、こっちからも会話できるのか?」
「いや……全然分からない。」
すると、彼は電球に向かって目を見開き、そしてパチパチと「瞬き(まばたき)」をした。
「向こうの商人とヤバい取引をする時によくやるんだ」と、アンダーソンは白い歯を見せてニヤリとした。
なるほど。瞬きで信号を伝えるのか。
彼が瞬きで送った信号はこうだ。
すると、電球が点滅するリズムが変わったのである。
「月?The moon?」
流石のアンダーソンも戸惑っていた。
それから、なんと、その電球は点滅のリズムをまた変えた。
和文モールス信号で「話」をしはじめたのだ。
アンダーソンが急いで訳してくれた内容はこうだ。
「私の名前はカグヤ。竹から来た。月に帰りたい。」
カグヤ?月?
話が全然見えてこない。
アンダーソンが、震える声で言った。
「俺は聞いたことがある…日本の伝説で、竹から生まれた女が、月に帰るって話を……」
竹から生まれた女カグヤ。
彼女が、この電球の中にいるというのか。
「ありえるかもしれない」
アンダーソンが続ける。
「日本人っていうのは…全く何を考えているのか分からない人種なんだ。例えばよ、The Godも単一の存在じゃなく、全てのものに宿るっていうんだぜ…?あいつら、大人しそうに見えて腹の中では何考えてるんだか…全く商売がやりにくいったらないぜ…….まぁ、俺が言いたいのは、それだけ分からない国ってことなんだよ。そういう国から取ってきた竹だ。女の一人や二人、入っててもおかしくはないってことだ。」
アンダーソンは、無理やり自分を納得させているようだった。
カグヤ。
月から来て、日本の竹に宿り、アメリカに渡り、電球に閉じ込められ、そして月に帰りたがっている女。
その不思議な運命に惹かれるものがあった。
「帰してあげたいな、いつか…」
そう呟くと、アンダーソンはちょっと笑った。
「案外、あんたの先生は月に行くことを考えてるかもしれないぜ?何考えてるか分からないってのは、先生も一緒だな。」
アンダーソンが帰った後、先生に先程の出来事を話した。
先生は、興味深く話を聞いていた。
電球がモールス信号で話し始めた時も驚かないので、こっちが逆に驚いた。
「いずれそれも科学で解明できるようになる」というスタンスのようだ。
だが、「先生、人間は月に行けるようになりますか?」と聞くと、意外にも現実的だった。
「今は…周りを光らせることで精一杯だ。」
そう、ポツリと言った。
しばらく私と先生は沈黙してしまう。
しかしその後、先生はこう続けた。
「ただ、君の時代なら、可能性はあるかもしれない。」
先生だってまだ30代だ。
そんなこと言えるほど、16歳の自分と歳が離れているわけではない。
先生は信じてくれているのだ。
急速な技術進歩と、私自身の可能性を。
私は決意した。
カグヤを絶対に、月に帰す。
電球…いや、カグヤが、また点滅した。
何を言っているのか分からなかったが、喜んでいるように感じた。
第2章 ツキガキレイデスネ
その後も、カグヤは時折リズムを変えて点滅していた。
だが、私は言葉を読み取ることができない。
通訳をしてくれるアンダーソンも日本との貿易が活発になるにつれ、忙しくなってきた。一々通訳のために呼び寄せることも申し訳ないため、彼から日本語の書籍を借りた。
研究の傍ら自分で日本語や和文モールスを覚えることにしたのだ。
「コ ン 二 チ ワ」
覚えた日本語を元に、和文モールスで瞬くと、カグヤも点滅を返してくれる。
それが面白くて、挨拶から自分の名前、身の回りの単語まで、日本語と和文モールスを覚えてしまった。
カグヤと長い会話のやり取りもできるようになった。
側から見ると、私は電球を見つめながら瞬きするおかしな人間だったが、全く気にしなかった。
カグヤは、日本の様々なことを知っていた。
四季折々の花が咲くこと。
桜は散る時が一番美しいこと。
名誉のために切腹すること。
ありのままの自然に美を見出すこと。
恋人同士は、歌を読み合うこと。
黒船が来るまでは平和で楽しかったこと
(最後はなぜか恨みがましく点滅していた)
フィラメントの素材の生産国である日本。
アンダーソンの言う、何を考えているのか分からない日本。
そんな日本が、カグヤによって、浮かび上がってきた。
どこまで聞いても、不思議な国だ。
私はカグヤと、日本に魅了されていった。
私にはハンナという恋人がいた。
ハンナにも、この不思議な電球を見せたいと思ったのだ。
そこで、先生の許可を得て、ハンナを実験室に入れ、電球を見せた。
ハンナが不思議そうに聞いた。
「本当に電球が、しゃべるの?」
私は、頷いて、いつものように電球に向かって目を見開き、瞬きをした。
しかし、いつも点滅を返してくれるカグヤの光が消えたままだ。
「おかしいなぁ…」
「あなたの思い違いじゃない?」
ハンナは怪訝そうだ。
「そんなことない、カグヤには色々なことを教わってるんだ!」
「最近、あなたが日本のこと勉強してるじゃない?それを、教えてもらってるって、思い込んでるのよ。」
そんなことない、と続けたかったが、光は消えたままなので反論のしようがない。
結局、ハンナには帰ってもらうことにした。
ハンナが帰った後、しばらくして、カグヤがまた光り始めた。
ピコ…ピコ…
信号を解読しようとしたが、それができない。
どうやら信号ではない。意味もなく、光っているだけだった。
いぶかしむ私の様子を見て、先生が呆れたように口を挟んだ。
「ハロルド君…流石に女心を理解した方がいいのではないか?」
「せ…先生に言われたくないですよ!」
「私はこれでも結婚してるからね…君よりは分かるよ。」
そして、先生は驚くべきことを言った。
「その電球、君に惚れてるよ。」
「え、えええ?…なんのはなしですか、先生…」
ハンナが来たことで、カグヤは拗ねているのだと言う。
そんなこと言われても、どうすればいいのだろう。
「じ…じゃあ、女心のわかるエジソン先生、こんな時、どうします?」
「う〜ん…私は電球に惚れられた経験はないからなあ…まあ、妻の機嫌を損ねた時は、花でも買ってくるかな…」
電球に花か。喜ぶだろうか。
その時、カグヤが点滅した。
今度は意味のある言葉のようだ。
「マンゲツ ミタイ」
満月を見せてくれたら、許してくれる。
そう点滅した。
カグヤは、他の人から見れば、ただの電球だ。
だが、私にとって、もはやなくてはならない存在になっていた。
「わかった。今度のハーベストムーンに、満月を見せよう。」
ハーベストムーンは9月中旬から下旬における満月の時期の頃を指す。
日本でも同じ頃に満月を見ることができて、十五夜と呼ぶのだと、カグヤは教えてくれた。
満月が輝く夜に、私はカグヤを外に連れ出した…実際は、電球を外に持ち出しただけなのだが。
紺色の空と黄色い月のコントラストが美しい。
うっとりと空を眺めていると、カグヤが点滅した。
「スキナ コトバ オシエテ アゲル」
解読しながらドキッとしてしまう。
「おしえてよ」
そう、瞬きすると……
「ツキ ガ キレイ デスネ」
点滅し終えると、急にふわりと風が吹いた。
カグヤはろうそくのようにおぼろげな光を放った。
光の中から、黒髪の女性が姿を現した。
これは、幻覚なのか?何か分からなかったが、彼女がまさにカグヤだということは、はっきりしていた。
彼女は、とんでもなく……かわいかった。
こんな時、美しかった、という方が、適切なのだろう。
確かに、美しくもあった。
一つ一つのパーツが小さな、整った顔立ち、頬と唇に紅をさした白い肌、つややかな黒髪……
でも、それ以上に、懐かしく、儚いたたずまいだった。
私は彼女を抱きしめたい衝動に駆られた。
だが、彼女に触れることはできなかった。
カグヤは、月明かりと電球の光の中に現れた幻だったのだ。
私は瞬きをすることも忘れていた。
代わりに、さっき聞いたばかりの日本語が、口をついて出た。
「ツキガ…キレイデス…ネ」
第3章 2つの別れ
あの満月の日から、仕事が手につかなくなってしまった。
実験室にいる間は、電球のカグヤと会話していた。
夜は毎日、カグヤの夢を見た。
夢の中では、カグヤが隣にいた。
電球ではなく、かわいい黒髪の女性として。
声も発していた。
小さな鈴が鳴るような、愛らしい声だった。
その声と、色んな話をした。
少女のようだ、と思っていると、突然大人っぽい仕草をする。
彼女に触れることもできた。
小さくて形の良い手を握ると、ひんやりとしていた。
彼女を抱きしめ、小さく紅をさした唇にキスをしようとして…いつもそこで目が覚めてしまう。
眠った気がしなかった。
もはやどっちが夢なのだか、区別が付かなかった。
実は彼女がいるのが現実で、電球に閉じ込められている夢を見ているのでは?
彼女にずっと触れていたい。
ずっと一緒にいたい。
すべてが上の空の私を、先輩助手たちは気味悪がったり、からかったりした。
起きている間は仕事どころか、生活のすべてがおざなりだった。
髪を整えることもしなかったし、服もしわしわだった。
ハンナとも喧嘩しがちになった。
デート中に、私の浮気を疑ったハンナは、怒って帰ってしまった。
確かに、浮気だ。しかし、まさか電球と浮気しているなんて、思いもしなかっただろう。
「……くん、ロルド君……ハロルド君!」
先生に遠くから呼ばれた気がした。
しかし先生がいたのは同じ実験室だ。
慌てて返事をする。
「は、はい!先生、なんでしょうか!?」
先生は呆れ顔だ。
「何回も呼んでたじゃないか…いったい全体、最近の君はどうしたっていうんだ?あの電球と何かあったのか?」
私はカグヤのことを電球と呼ばれることになぜかムッとした。
「電球じゃありません!カグヤです!カグヤが、閉じ込められてるだけなんです!」
「あのねぇ…いくら光っても、電球は電球だよ。それに君、最近いつも上の空じゃないか。」
真剣な眼差しになって、先生は続けた。
「君の未来に、私は期待してるんだよ。」
「未来に…それって一番僕が若いからでしょう?」
先生は、ため息をついた。
「違う!何にも分かってないな…君は。一番技術者として、研究者としても、有能なんだ。だが、そんなことはこの際どうでもいい。君は、何より、先を、未来を見ている。私はそんな君に、未来を託したいんだ。
その電球…中に君の想い人がいるとしても、彼女を月に連れていくのが、君の使命なのではないか?」
その言葉で、私は目が覚めた。
尊敬するエジソン先生。
無理だと言われていることを実現するためいくらでも試行錯誤する先生。
人間を一歩先に進める人。
この先生に憧れて、技術を学んだ。
そして、16歳の私が先生の下で働くことができた。
その先生が、未来を見ている、と言ってくれた。この私に。
しばらく考えた上、私は、カグヤに別れを告げる決断をした。
苦しい決断だった。
電球に向かって、瞬いた。
「大丈夫。君は必ず、月に帰す。」
それは、自分に言っているのか、彼女に言っているのか、分からなかった。
カグヤはじんわりと光り、まるで泣いているようだった。
それを見て、私も少し、泣いた。
カグヤは、それ以降点滅することはなくなった。
夢にも出てこなくなった。
電球を小箱に入れて、時々思い出すように取り出しては、柔らかいタオルで磨いた。
後日、ハンナには花束とともに先日のデートのことを謝罪した。
謝罪の勢い余って、プロポーズまでしてしまった。
ハンナは「もうちょっといいシチュエーションはなかったの?」と文句を言いながらも、笑ってプロポーズを受けてくれた。
とにかく私たちは結婚し、目まぐるしい生活の中、5人の子供に恵まれた。
ハンナはしっかり者で、時々怒ると怖いこともあったが、すぐ機嫌を直した。
よく笑い、家庭を明るくしてくれた。
私は彼女に感謝していたし…もちろん愛していた。
仕事も順調だった。
エジソン先生は天才的な発明家であると同時に、優れた実業家でもあった。例えば、自身が発明した電球を普及させるために電灯会社を設立した。
蓄音機の販売や電気鉄道の開発なども行い、先生やその事業に関わる人、全ての人の生活が豊かになっていた。
「科学技術は人々の生活を豊かにするためにある」という先生の考えが実現していくのを感じた。
もちろん私もその恩恵を受けた1人だ。妻や子供達だけでなく、お互いの両親にもいい暮らしをさせることができた。
私だけでなく、家族全員が、先生に感謝していた。
だが…私は、少し物足りなさを感じていた。
「人間を、もう一歩先に、進めたい。」
かつて、初めて電球が灯った時のような興奮と感動を、また味わいたい。
うっすらと考えていた時、あるニュースが飛び込んできた。
「ライト兄弟、初めての有人飛行に成功」
人間が、初めて空を飛んだ。人間は、空を克服できる。
ライト兄弟のニュースが頭から離れなかった。
そして、心の奥にいつもあった、カグヤのことを思い出した。
「カグヤを、月に…」
月は、ずっと遠く、少し飛んだだけでは到達できないのは分かっていた。
でも、ジャンプできないと思っていた空へ、ジャンプした者がいたのである。
彼らの所に、行ってみたい。
お世話になったエジソン先生のことを思い浮かべる。
いつも私を導いてくれる、兄のような、父親のような存在。
先生に出会った頃、16歳だった私は、現在36歳になっていた。
尊敬していたとは言え、先生のところに長居し過ぎたかもしれない。
先生の元を、去ろう。
そう決意し、部屋に入るドアノブに手をかけた。
途端、先生との思い出が一気に蘇り、一瞬入るのを躊躇った。
押し切るようにドアを開ける。
先生は、部屋に入ってきた私の顔を見て、何を言いたいか一瞬で察したようだった。
そして、穏やかな口調で、言った。
「一歩、進めておいで」
第4章 戦争への一歩
妻と子供達に、ライト兄弟の工房へ行くこと、引越しで面倒をかけることについて詫びると、「お父さんらしいや」と笑って承諾してくれた。
私たち家族は、ニュージャージー州からオハイオ州までの600マイルを、家財道具とともに鉄道を乗り継いで移動したのである。
ライト兄弟は、エジソン先生の下で長く働いていた私を厚遇してくれた。
私は航空に関する技術を学び、飛行機の改良に携わった。
また、私からは彼らに電源設備の技術や材料工学の分野で技術提供を行なった。かつて、フィラメントの材料選定に試行錯誤を重ねた賜物である。
兄のウィルバー・ライトと弟のオーヴィル・ライトとは仕事を越えた友人関係を築いた。
ずっと年上のエジソン先生と異なり、彼らは私と同年代だったので、対等に何でも言い合うことができた。
航空機の未来について話し合うとき、兄弟の目はいつも輝いていた。
「空は自由なんだ、国境もない。」ウィルバーは目を細めて上空を見る。
「誰でも乗れるような大きい航空機が出来たら、行き来が自由になるね。」
「うん、今のつまらない国境争いなんて、なくなるだろうな。」オーヴィルが頷きながら言う。
そんな彼らに、私は前から考えていたことを打ち明けた。
「私は、月に行く航空技術を作りたいんだ。」
「月か…。」2人は顔を見合わせて肩をすくめた。
「前から思ってたけど、ハロルドってロマンチストだよな。」
オーヴィルはちょっとからかい気味だ。
対して、ウィルバーは真剣に考え込んでいる。
「今の技術だと…月はまだ難しいな…。上空になるほど空気が薄くなって不安定なんだ。いずれにしても航空機を発展させるにはその研究も進めないとならない。」
内向的なウィルバーは、私と似ている気がした。
「兄さんの言うような研究を続けるにはやっぱり資金だな。」
オーヴィルは胸を張った。
「ビジネスなら、俺に任せとけって!」
実際、オーヴィルには商才があった。
航空技術の特許を取得してライセンスによる収入を得たり、飛行機のデモやショーを積極的に行ったりするなど、航空機の普及に努めたのは主にオーヴィルである。
かつて3人で語り合った夢が、現実になっていく期待があった。
だが、世界情勢には抗えなかった。
人間は、大戦争への一歩を踏み出そうとしていたのである。
「軍と契約って…どういうことだよ!?」
思わず大きな声が出てしまった。
「ハロルド、落ち着けって。まずは、話を聞いてくれ。」
オーヴィルがなだめるように言った。
事の発端は、オーヴィルが陸軍に軍用飛行機を納入する契約を結んだ事であった。飛行機を偵察に使用する目的だという。
「何しろすごい金額になるぜ。成功したら1機25,000ドル…」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
オーヴィルは黙ってしまう。
「君、言ってたじゃないか…つまらない国境争いがなくなるんだって、確かに資金は必要だが…軍と契約なんて、せっかくの夢の飛行機を…戦争の道具にするつもりか…?」
私は勢い込んで言いながらも、その現実に最後は気持ちが沈んでしまった。
オーヴィルと私は、しばらく何も言えずに下を向いていた。
「ハロルド、君の気持ちはすごくわかるよ。」
ずっと黙って聞いていたウィルバーが言った。
「ただ、軍と契約と言っても、偵察のための飛行機だ。実際この飛行機で攻撃を仕掛けるわけでもない。偵察することで敵の動きが分かるから、少ない犠牲で戦争を早く終わらせられるんだ。むしろ、平和のための軍事利用なんだよ。」
ウィルバーの言う通りだ。
ヨーロッパは何度和平条約を結んでも綻び、国同士の対立を続けていた。
戦争を重ねるたびに新しい武器が開発され、被害も甚大になっている。
我が国は今のところ関与しない姿勢を見せているが、今後はどうなるか分からない。いざ巻き込まれた時のためにも、防衛は必要だ。
戦争の犠牲が少なくなるための技術。
早く終わらせるための技術。
それもまた、人間が進む一歩なのだろうか。
これは、踏み出してもいい一歩なのだろうか。
一抹の不安を覚えながらも、オーヴィルの提案を受け入れた。
その不安が的中したのは、7年後。
世界を巻き込んだ大戦争の時であった。
「ロンドン大空襲」
このニュースを新聞で見た時、私は恐怖のあまりしばらく動けなくなった。
連合軍と対立していたドイツ帝国の「ツェッペリン飛行船」が、連合国の一つであるイギリスの大都市、ロンドンに対して爆弾を落としたのである。
上空から突然攻撃されたら、抵抗する手立てが何もないだろう。
民間人の被害状況は、最初は明らかではなかったものの、やがて700人を超える犠牲者が出たことが分かった。
自分の妻や子供のように、普段通りの人生を送っていた人たちに、
ある日突然、爆弾が降りかかる。
想像しただけで胸が張り裂けそうだった。
妻と子供達を抱きしめた。
ロンドンには誰も知り合いはいないが、涙が止まらなかった。
重い足取りで職場に赴き、爆撃を行った「ツェッペリン飛行船」の情報を得た。
我々からライセンスを得たものではなく、ドイツが独自で開発した飛行船のようだ。
それでも…私は、自分たちのせいではない、と完全に言い切れなかった。
私と同じような航空技術者が、ドイツで人を攻撃する航空機を作っている。
そして、航空機で人を攻撃できる、という選択肢が世界で生まれてしまった。
数年後、我が国でも、軍用飛行機、すなわち爆撃機が作られることとなった。
自分となんとなく気の合っていたウィルバーは既に亡くなっていた。
オーヴィルと私は、意見が対立しがちになっていた。
かつて夢を語り合った航空機が、軍事利用されている。
その危険を述べると、オーヴィルは常に苛立っていた。
「言いたいことは分かる、ハロルド。だが、軍事利用は避けられない。我が社も従業員を養わなければならない。従業員の家族を経済的に困窮させられないよ。航空事業の発展のためにも必要な道だ。」
ライト兄弟の工房は、すでに数百人の従業員がいる「ライト社」となっていた。
「だが…偵察のためと言われていた、飛行機が攻撃のために使われようとしている。君はそれでも….」
「ハロルド!兄さんを亡くして1人で会社を背負う、俺の重圧が分かるか?」
オーヴィルの声は怒りに震えていた。
「俺だって、人殺しの道具を作りたかったわけじゃない。ただ空を、飛びたかった。だが、仕方がないんだ。この世の中で、できることをやるしかないんだ。」
お互いの言っていることは、十分過ぎるほど理解していた。
それなのに、いつも言い争ってしまう。
言い争いの後は気まずくなって、無言になった。
そんな日々が続いた。
ウィルバーの存在の大きさに改めて気付かされる。
かつてのように、夢を語り合うことは、もうなくなったのだ。
結局、私はライト社を離れることにした。
オーヴィルとは、最後に和解することができた。
「ハロルド、今までありがとう。俺はお前のロマンチストなところが、今でも好きだ。理想をいつも、思い出させてくれて…気が引き締まった。」
「ああ、私もだ…兄さんの代わりを務められなくて、悪かった。」
第5章 和文モールス
大戦争が終わった時、私は55歳になっていた。
ライト社を去った後、またどこかで働く気にはなれなかった。
今まで贅沢をしていたわけではなかったので、蓄えはあった。
妻のハンナも、「もう充分働いたし、ゆっくりしたら。」と言ってくれた。
我が国はヨーロッパに比べ比較的被害が少なく、「戦勝国」としての好景気に浮かれていた。
しかし、私はその雰囲気とは裏腹に、陰鬱な気持ちでいた。
自分が携わってきた航空技術が、人々に罪深いことをしてしまった。
その気持ちを拭い切ることはできなかった。
人間を、一歩先に進める。
その思いで、技術を日々磨いてきたつもりだった。
だが、その一歩の方向が、こんなに狂ってしまうなんて。
家にいて暇になった私は、よく小箱から電球…カグヤを取り出して磨いたり、拭き上げたりしていた。
「月に連れて行けず…すまなかった。」
電球は返事をすることはなく、まるで眠っているようだった。
カグヤが和文モールスで点滅していた頃、そして実際に夢の中に姿を現した頃を思い出す。
あまりにも昔の話になってしまった。
不思議な時間だった。
あの時間は、もしかしたら夢だったのだろうか。
もし夢だったのなら、私は和文モールスを覚えていないはずだ。
私は、和文モールスで、電球にまばたきをしてみた。
今でも覚えているかどうか、確かめたかったのだ。
自分がしっかり和文モールスを覚えていることに驚いた。
電球は、光を返すことはなかったが、不思議と気持ちが落ち着いた。
私は、今までのことを少しずつ、時間をかけて和文モールスで話した。
エジソン先生の元で、いい暮らしをさせてもらったこと
ライト兄弟と楽しい時間を過ごしたこと
ハンナと結婚したこと(恐る恐る瞬きした)
5人の子供は既に成長し、何人かの孫も生まれていること
オーヴィルとうまくいかなくなったこと….
戦争のこと…
航空機が、戦争に使われ始めていること……
最後の方は辛い話ばかりになってしまった。
だが、和文モールスで瞬いていることで、自分の傷が癒えていくようだった。
物言わぬ電球…カグヤが聞いてくれているようだった。
そういえば、カグヤもこうやって、かつて日本のことを話してくれてたんだっけ…
私は、教えてくれて嬉しい、と思っていた。
カグヤもまた、誰かに聞いて欲しかったのだろうか….
あんなに浮かれていた我が国は、失業者で溢れかえり、後ろ向きな空気となった。
大恐慌が始まったのである。
私とハンナは質素な生活をしていたので、あまり困ることはなかった。
だが、既に独立して働いていた子供たちの何人かは、仕事を失った。
次の仕事が見つかるまで、我が家に家族を伴って戻ってきたのである。
孫たちも含めると、大所帯となった。
静かだった我が家は、一気に賑やかになる。
街の暗い雰囲気の中、子供たちと孫たちの声が我が家を明るく灯した。
それにしても…灯し過ぎだ。
「こら!トニー、スティーブ、喧嘩を辞めなさい!」
彼らの母親の怒号が響く。そのエプロンに去年生まれたばかりのクリントがまとわりついてぐずっていた。
トニーとスティーブの兄弟はいつも小さいことで取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまう。7歳と5歳の取っ組み合いなんて、じゃれあっているようにしか見えないのだが。
孫たちにとっては、自分の兄弟姉妹と従兄弟が一堂に会している生活なんて楽しくてたまらないのだろう。大声で笑い、本気で喧嘩をして、はしゃぎ、我が家を転げ回って、また笑っていた。
「ねえねえおじいちゃん、国を覚えたよ、見てて」
「ああ…どれどれ…?」
比較的大人しい孫たち、ナターシャとブルースが地球儀を回転させた。
「ここがイタリア。フランス、オーストリア、ドイツ」
「違うわブルース、今はワイマール共和国でしょう?」
ナターシャがフンと鼻を鳴らした。どうやら気が強いようである。
「あたし学校で習ったもの、これは、トルコ!前、オスマン帝国だった。」
「それぐらい僕だって知ってるもん。じゃあナターシャ、日本はどこでしょう?」
ナターシャが地球儀を半回転させて、小さな島国を指さした。
「ここよ。」
得意げに私の方を見た。
「ああ、正解だ。君はよく知っているな。」
そう答えてナターシャの頭を撫でると、
「先生が言ってたわ、ちっちゃいのに、すごい強い国なんだって!」
ナターシャはさらに得意になっている様子だった。
日本。
カグヤの故郷である日本。
ナターシャの言う通り、地球儀で見るとほんの小さな島国だった。
このくらいの大きさの島国は、植民地になってしまうところも多い。
それなのに、逆に大国の中国やロシアを打ち負かした。
カグヤの言葉を思い出す。
ありのままの自然に美を見出し、名誉のために切腹する、日本人の心。
私は、なんとなく日本が、無理をしているのではないか、と感じた。
日本が、暴走しはじめた。
中国に満州国を設立し、非難を受けると国際連盟を脱退。
我が国との関係も緊張が高まりつつあった。
そんな折、懐かしい人物が我が家を訪ねてきた。
「ハロルド、よう、元気だったか?お互いすっかりジジイだな。」
「あ…アンダーソン!」
かつて貿易商として、和文モールスで初めてカグヤと通信したアンダーソン。瞬きでコミュニケーションを取る方法を思いついたのも彼だ。
約40年ぶりに会った彼は、すっかり日焼けして髪もグレイヘアになっていた。だが、その雰囲気は全く変わっていない。
「いやぁ…あんたの先生から、ライトさんの所に行ったってことは聞いてたよ。ずっと訪ねたいと思っていたんだが…何せ忙しくてよ。」
偉大なる発明家、そして我が師のエジソン先生は、数年前に84歳で生涯に幕を下ろした、と聞いた。
しばらく、先生やカグヤのことについて思い出話をした。
カグヤとの不思議な体験について話すと、アンダーソンは目を丸くした。
そして、「そんなにイイ女なら、俺が会いたかったぜ」と白い歯を見せて笑った。
「ところで、今もライトさんのところで働いてるのか?」
「実は、もう仕事はしていないんだ。」
私は、アンダーソンにライト社で起こったことを話した。
「えええ…そんなこと言ってたら、武器を売ってる俺はどうなるんだよ…?」
私は何も言えなくなる。
「そりゃ、全く心が傷まないかって言われたら嘘になるが…いちいち心痛めてたら何もできないぜ…?」
アンダーソンは続けた。
「いいか、もう、あんまり気にするな。あんたがロンドンに爆弾を落としたわけじゃない。ましてや、あんたが作った飛行機でもないんだろ?責任なんてどこにもないんだよ。犠牲になった人は気の毒だが、それはあんたのせいじゃないんだから。」
アンダーソンにそう言われると、なぜ自分が気にしていたのか、ぼやけてしまう。
どうしてだろう。
確かに、アンダーソンの言う通りだ。
なのにどうして、こんなに気になってしまうのだろう。
初めて電球が光ったのを、先生と一緒に見た日。
ライト兄弟が、初めて有人飛行に成功したことを、知った日。
人間は、進んでいると思ったのだ。
闇は消えて、みんなが豊かになって、つまらない戦争も、なくなる。
その方向に歩いていると思ったのに、いつの間にか逆戻りして、しかももっとひどい状態になっている。
たとえ世界の状況がそうであっても、引き返したかった。
オーヴィルの手を引っ張って、引き戻したかった。
でも、オーヴィルは…すでに遠くへ行ってしまった。
どうしてだろう。
私に、何ができたのだろう。
私が黙っていると、アンダーソンが今思い出したかのように言った。
「あ、そうそう、あんたを訪ねてきたのは、訳があってだな…和文モールス、できるか?」
彼は何か仕事を頼みたい、それが本来の訪問の目的のようだった。
「できるが…そんなの、君の仲間にもいないのか?」
「あんたのような航空技術者で、和文モールスができる人間を探している。」
「どういうことだ….?」
「日本と、戦争するかもしれないんだ。」
息をのんだ。
我が国と日本、対立しはじめていることは知っている。
だが、もうそんな状況まで来ているのか…。
「知っているだろう。私は、戦争のために和文モールスを学んだわけではない。」
「あんたの言いたいことは、わかってる。だからこそなんだ。」
「だからこそ…?」
「これは、戦争のためじゃない。戦争を早く終わらせて、犠牲を少なくするために情報収集が必要なんだ。むしろ、戦争を起こさないためなんだ。」
あの時のウィルバーと一緒だ。
平和のための軍事利用…そう信じていた。
いや、心の底では信じていなかった。
それなのに、自分を騙して、言い聞かせていた。
もう、どこにも進みたくない。
間違えたくない。
「悪いが….私は協力できない。帰ってくれ。」
そう、絞り出すように言うと、いつも調子のいいアンダーソンが、悲しそうな顔をした。
「残念だ。あんたが適任だと思ったんだがな。」
第6章 無理難題
「彼の言う通りだった。私が、やるべきだったんだ…。」
また、同じことを言っているな。
ハロルドじいちゃんは、最近いつもそうだ。
「私がやらなかったから、日本にあんな、ひどいことができたんだ….」
戦争が終わった後、じいちゃんは具合が悪くなり、ベッドの上での生活が主となった。
じいちゃんは繰り返し、自分が頼まれた仕事を断ったことを、後悔しているみたいだった。
「私じゃなくても、誰かがやれたんだ。日本に敵対心を抱き、攻略するために和文モールスを身につけた者が….だから….だからあんなひどい….」
じいちゃんの声が、だんだん小さくなる。
じいちゃんは、今習っている教科書に載ってるぐらいすごい人と仕事をしてきたんだって。それを聞いた翌日は、もうクラスのみんなに自慢しまくって、先生からもすごいってほめられて、鼻高々だった。
それなのに、じいちゃんはなんだかいつも暗かった。
9歳の僕が言うのもなんだけど、人生ってなんなんだろうね。
「ロバート。おいで」
突然呼ばれた。
「なあに、じいちゃん?」
ベッドまで駆け寄ると、じいちゃんはゆっくりと言った。
「お前に、渡したいものがある。」
そう言って、僕に小さな小箱を手渡した。
「開けてごらん。」
中には、小さい電球が入っていた。
「これを、月に持っていってほしいんだ。」
ええ?何を言っているのか、よくわからない。
「なんで、月に電球なの?」
「彼女が、帰りたがってるんだ。」
それから、じいちゃんは電球との間に起こった不思議な話をしてくれた。
なんだか、ハンナばあちゃんには聞かれちゃまずいような気がしていて、部屋のドアが開かないかヒヤヒヤした。でも、すごく面白い話だった。
「ねえ、もっと聞かせてよ。楽しい話も、たくさん。」
じいちゃんは、微笑んで、それから、エジソンやライト兄弟と過ごした日々のことを話してくれた。
話を聞きながら、ある疑問が浮かぶ。
「なんで、僕に電球をくれたの?」
僕は、じいちゃんから見ると一番年下の孫に当たる。
もっと賢い、トニー兄ちゃんとか、ナターシャ姉ちゃんとか、いただろうに。
「一番、お前は、私に似てるんだ。未来を見てるからな。」
「よくわからないよ、じいちゃん。」
「今にわかるさ。何、お前自身が月に持っていかなくてもいい。ただ、愛のある者に託してくれ。」
「う〜ん…わかった。」
月に行く話なんて、夢のまた夢だ。
でも、じいちゃんからそう言われると、人間は月に行ける気がする。
ハロルドじいちゃんは、その年、83歳で人生の幕を閉じた。
「じいちゃん、そんなに気にするなよ。」
僕は、時々天国にいる祖父に、心の中で話しかける。
9歳の頃に聞いた話を、昨日のことのように思い出すのだ。
祖父が後悔していることが、時間と共に分かってきた。
もし、日本に愛情を持つ自分が諜報を担当していたら、日米開戦は避けられた。起こっていたとしても、核兵器使用までには至らなかった、と言う意味だったのだ。
「あんまり責任感が強すぎて…逆に傲慢だよ。」
大統領が背負うべき悩みまで、彼が背負っている気がした。
いや…当時の大統領が全ての悩みを背負うべきでもない。
この世にスーパーマンはいないんだ。
いいことも、悪いことも、1人ではできない。
それは、祖父が一番知っていたことだろうに。
エジソンは、教科書にも載らない祖父の様な助手達無しには、電球を光らせることはできなかった。
それは悪いこと、すなわち戦争も同じであろう。
誰か1人が、どうにかできるものじゃないんだ。
そんなことを考えるのは、僕が今、携わっている仕事のせいだ。
祖父から電球の入った小箱を渡された僕は、導かれるように宇宙開発への道に進んだ。
NASAで通信技術者として働く僕は、今、人類を月に送る「アポロ計画」の一翼を担っている。「一翼」を担う者は総計で40万人以上いるそうだ。
技術者、科学者はもちろん、NASA以外でも政府機関、民間企業、製造業、など、あり得ないぐらいの人が関わっている。そして、この大規模なチームが、ロケット開発、月着陸船の設計、宇宙服の製造、宇宙飛行士の訓練など、を経て、それでも成功するか分からないミッションに挑む。
月面着陸のミッションを担う宇宙飛行士としてニール・アームストロングが選ばれた時、僕は自分のことのように嬉しくてたまらなかった。
何故ならニールは、僕の一番の友人だからだ。
NASAのミッションコントロールセンター、いや、世界中が緊張しながら見守っていた。
ニール達を乗せた宇宙船、アポロ11号が、だんだんと月面に近づいていく。
いよいよだ。
宇宙飛行士との通信は、ほぼリアルタイムで行われ、燃料残量、月面の状況、降下速度などのデータが、秒単位で監視されていた。
ニールが月へと出発する前、電球の入った小箱を手渡し、全ての話をした。
「俺でいいのか?要は、友達のじいちゃんの元カノってことだろ…?もし出て来たらどう挨拶すればいいか…気まずくて、一歩どころじゃないかも」
「大丈夫だ。君がやってくれ。愛のある者に託すんだ。じいちゃんもそう言ってた。」
そう言うと、ニールはクスッと笑った。
「お前って…じいちゃん好きだよな。事あるごとに、じいちゃんの話ばっかりしてる。」
「あぁ、大好きだ。」
僕は大人になってから、改めて日本の「竹取物語」すなわち「かぐや姫」の物語を調べた。
美しく成長したかぐや姫は、求婚した男たちに無理難題を突きつけて翻弄する….そんな場面があった。
祖父の姿が、男たちに重なった。
戦争への加担、それがカグヤが祖父に突きつけた無理難題、だったのかもしれない。
そこまで考えて、はっとした。
「まさか……」
これって、祖父だけの話じゃない。
この姫は、人類全体に無理難題を突きつけたのだ。
エジソンが電球を光らせてから、月に行くまでにどれだけの犠牲があっただろう。
2度の世界戦争。
都市部への空襲。
核兵器の使用。
物語は始まっていたのだ。
エジソンが、日本の竹を使って電球を光らせてから、
今ここで、人類が月に着陸するまで。
「ここまでしないと、人間は月に行けなかったのか……?」
そう考えると、背筋が凍った。
そして…姫の無理難題はまだ終わっていない。
月に行くのだって、全く綺麗な理由じゃない。
ソ連との宇宙開発競争。 いずれ2度目の核戦争だって懸念される。
それなら、どうしたらいいのか?
立ち止まったらいいのか?
いや、立ち止まることはできない。
姫に求婚した男たちは、全員無理難題に挑んだ。
無理難題には、挑まずにはいられない。
それが人間というものである。
やがて、とうとう僕は…いや、人類は、歴史的瞬間を目の当たりした。
ニール・アームストロングが、月への第一歩を踏み出したのである。
「これは、小さな一歩だが、人類にとって偉大なる一歩だ」
彼がそう言った時、空気のないはずの宇宙で、風がふんわりと吹いた。
僕には、そう見えたのだ。
「カグヤ…帰れたかい?」 心の中で問いかける。
黒髪の女性が、微笑んだ様な気がした。
「カグヤ、もう、帰ってくるなよ。」
〜終わり〜
ここまで読んでくださった皆様
えええ!!全部読んだんですか!!?すごい!!ありがとうございます!
てか、お疲れ様でした!!
ど…どう…だったかな….?
恋人に初めての料理を作った気分で、反応が怖いような楽しみのような。
下書き再生工場で、「もう、帰りたい」というお題を選んだとき、「現代のかぐや姫」みたいにしたいなあと思って、
「確かエジソンの電球が竹が使われていたから、そこにかぐや姫宿らせて、月に持っていくのはどうだろう?」と考えたのが始まり。
「その間には戦争もあるし適当には書けないよね…」ってなって、こんな長くなってしまった。
書いてる途中に、「なぜ書くのかコンテスト」や「創作大賞中間」などの結果発表が続き、応募してないけど、すごく刺激を受けた。
来年、ハロルドを連れて行きたいかも、って思った(お仕事部門…?)
リサーチをして、辻褄あわせをして(ChatGPT)、大変なこともあった、描写が辛いときもあったけど、初めての歴史ファンタジー小説を書いている日々、とても充実していた。
ケンタッキーさん、挑戦って素晴らしいですね!(#挑戦してよかった)
そしてそして、企画を考えてくださった、本田すのうさん、素敵なアイディアをくださった、とらふぐ子さん、本当にありがとうございました!
>コニシ木の子さん
いつも回収ありがとうございます!
第2章でエジソンと助手を路地裏に送っています。
エジソン先生、路地裏も電球で照らしてね。(#なんのはなしですか)
読んでくださって本当にありがとうございました!
山頂に旗を立てるみたいな感覚で、コメントくださると嬉しいです。