【AI】福祉をやりたい人向けの記事
AIの力を借りてみた
どうも、里村です。
AIアシスタント機能が付いたんですねぇ。
というころで、
「福祉をやりたい人向けの記事」
ということで設定してみましたよ。
で、打ち込まれたのは以下の文章でした。
- 日本全国の福祉施設を巡る旅をしてみよう。それぞれの場所でどのような活動が行われているのか、そして何が必要なのかを学びながら、福祉に取り組んでいる人たちに出会ってみましょう。
- 福祉の分野で活躍する方々にインタビューし、仕事の魅力ややりがい、苦労話などを聞いてみましょう。その職種に興味がある人にとっては、これらの話が大変参考になるでしょう。
- インターナショナルな視点から福祉を見てみましょう。異文化交流や海外でのボランティア活動を通して、福祉の必要性や社会の違いについて学び、現状に疑問を持ち、新しいアイデアを生み出してみましょう。
- 「ハッピー福祉プロジェクト」などの既存の活動に参加し、福祉に携わる人たちと協力して活動することも考えましょう。彼らの知識や経験を共有し、各自が持つスキルやアイデアを生かして、より効果的な福祉活動を展開していけるかもしれません。
- 様々な年代や身体的な条件、環境などに応じた「バリアフリー」な社会を目指すために、地元の自治体でどのような取り組みが行われているのか調べ、その成果を紹介することもできます。ユニバーサルデザインやインクルージョンについても考え、新しい価値を生み出す取り組みに挑戦しましょう。
おいおい、何の啓発文章だ?
こんなこと読んで、仮にそれを実行して、身になるのか、これ。
しかし思い直す。
たしかに、noteで福祉に関する記事や福祉に携わりたい人、夢を追いかけている人の記事を目にすることがあるが、ちょっと現実からかけ離れている人も多いからな。その人たちの行動には共通しているんじゃないかと思う。これらを踏まえて、福祉を目指す人間や夢追い人を検証もしてみたいと思う。まぁ、それはおいおいね。
ちな、辛辣な部分や、人の希望を打ち砕くなといった意見も登場するだろうが、そういう人は読まなくてオッケー。
でも、読むことを拒否した人間は忘れるな。自分一人の熱量を持つのは勝手だが、福祉は独りで行うことはできない。同僚や他業種、他施設、本人、その家族…とにかく多くの人と関わることになる。だから、一方的な熱意ってやつだけで物事進まないし、その態度が支援そのものをぐちゃぐちゃにする挙句、勝手に心が折れて、こんなはずじゃなかったと職場から逃げて、理想に合わなかっただの、やりたいことはこんなんじゃないとか平気で言ってしまう。
ただ無能ならいい。単純作業や活動をやってくれるだけでも、受け皿としては機能するし、まじめさってのは大事なファクターではある。しかし、逃げ出す奴ってのは大概、自分にはやる気があって能力があって、理想に燃えている人間が多い。しかし、その理想で周囲を振り回すものの、その能力に自分がついて行けてくなくて、結果日常業務もこなせていないことがおおいんだよこれが。で、そのボロボロ具合に自分の心が耐えきれず脱走。けど、その脱走についても無責任だったりするんだよね。責任を自分じゃなく、組織や施設そのものに求めてしまうから。
あんたが逃げた場所にも支援を必要とする人がいて、当てにされていた労働力がいきなり消えた挙句、残された人にその業務が降りかかる。その程度のことも理解しないし、だいたいやめた後に退職の手続きすらできずに家族に丸投げ、一方的にカギとか送り付けて、頭下げられてようやく退職届を描く。
福祉ってある意味人間の人生を背負う。場合によっては、その家族の人生まで左右するのに、背負えるわけないだろ。障害のある人に寄り添えるわけがない。そう思うんすよね。福祉はつらい仕事よ。綺麗ごとだけじゃない。
さて、前置きはいいとして、早速AIさまが設定してくれた一つ一つのお題目というか提案について、一応福祉をやってる人間が突っ込みを入れてみようかな。一応18から福祉に関わって、ボラ2年、現場10年、相談業務+事務系等も10年くらいね。一応行政の委託の仕事にも関わっているので頭空っぽではないよ。経歴にはダブってるところもあるので。細かいとこ突っ込まれてもめんどくせぇ。
日本全国の福祉施設を巡る旅
・日本全国の福祉施設を巡る旅をしてみよう。それぞれの場所でどのような活動が行われているのか、そして何が必要なのかを学びながら、福祉に取り組んでいる人たちに出会ってみましょう。
ってさ、AIさんこんなこと提案しちゃっていいの?そりゃ、全国には様々な福祉施設はあるけど、施設って多くが役割別に分かれているのよ。役割もだし、対象となる人もまったくもって違う。そこをやみくもに回らせようとか、時間と金の無駄なんじゃない?寺社巡りや遺跡巡りじゃないんだからさ。一発目で日本全国を巡るって提案としてもどうかしているよ。
何が必要なのかを学びながら福祉に取り組んでいる人に出会おう。って、安い自己啓発ものか。
ってか、AIの出来が悪すぎだよ…
福祉をやっている人へのインタビュー
「福祉の分野で活躍する方々にインタビューし、仕事の魅力ややりがい、苦労話などを聞いてみましょう。その職種に興味がある人にとっては、これらの話が大変参考になるでしょう。」
それって、こういう場所で記事を描いたり読んだりする人間が、自発的にやることではないでしょ。それぞれの地域で、福祉職の入職希望者向けの就職説明会や、イベントなどに現場の職員が立ち会うことがあるから、そこでの座談会や、ブースなどで話を聞いたほうがよっぽどいいと思う。これじゃあ、ちょっと頭のおかしい人がいきなり訪ねてきた、電話してきたって扱いで、好印象は得られないと思うよ。。。
それに、福祉職って一言で言っても、現場で働く人、相談業務にあたる人、身体、知的、精神、通所の職員、入所の職員、身体介護の度合い、就労系、生活介護系、児童系、グループホーム系とか、ホントに多岐にわたる。それに、やってることも大きく違う。
だから、「活躍している人にインタビューして参考にして!」って雑だし乱暴すぎる提案。前段の福祉施設に行ってみよう!ってのと同じくらいにありえないことだと思う。福祉舐めんなよ。
インターナショナルな視点から福祉を見てみましょう
「インターナショナルな視点から福祉を見てみましょう。異文化交流や海外でのボランティア活動を通して、福祉の必要性や社会の違いについて学び、現状に疑問を持ち、新しいアイデアを生み出してみましょう。」
インターナショナルな視点は確かに大事。海外留学した人が日本に北欧の福祉を持ち込んで独自のことをやっているという人もそこそこいる。でも、それにとらわれて、海外マンセーになってる奴が多い。海外かぶれな奴ほど、日本や、周囲の支援を馬鹿にして、自分のやり方が正しいと思いがち。 そして、現状に疑問を持つのは勝手だけど、その人の歩んできた人生や、現在の支援をなぜ行っているのか、ここまでの経緯を無視して、とにかく自分の意志だけで新しいことをやらせろと、無理な支援の変更を行なった結果、状態が悪くなることもある。※もちろん、既存の支援が悪いこともある。ここはしっかり精査するべき。あとは、周囲を納得させられるだけのロジックを用意するのと、それを行なえるだけの信頼を自分で勝ち取る必要がある。正しさや理想だけを叫ぶ人間なんぞ、正直邪魔。
福祉は自分ではなく相手に合わせる仕事。支援もそう。相手に押し付けるのではなく、お互いの納得がないとトラブルのもとになるから、徹底的な確認動作は避けられない。自分だけの意思での支援なんぞ押し付けでしかない。そして、その調整作業を無視して思い通りにできないとほざくのは、論外だとは思うよ。納得できずとも行って、それがこけた時に自分の意見が通せるように準備だけはしておく。そのぐらいのしたたかさと準備性はあってもいい。ってか、そのしたたかさこそ必要なんじゃないかと思うけどね。
既存の活動に参加してみよう
「「ハッピー福祉プロジェクト」などの既存の活動に参加し、福祉に携わる人たちと協力して活動することも考えましょう。彼らの知識や経験を共有し、各自が持つスキルやアイデアを生かして、より効果的な福祉活動を展開していけるかもしれません。」
・・・って、ハッピー福祉プロジェクトとはなんぞや。まぁ、各自治体なんかでやってる福祉啓発もののイベントと見ようか。そういうのへの参加はいいと思う。しかし、スキルやアイデアを反映させるなら、運営側に回らないと難しいので、継続的な参加が必要になるし、参加本人に、それを成しえるだけの様々な能力が必要になる。一時的な情熱だけでどうにかなる話ではないのは理解が必要。
バリアフリーな社会
-「様々な年代や身体的な条件、環境などに応じた「バリアフリー」な社会を目指すために、地元の自治体でどのような取り組みが行われているのか調べ、その成果を紹介することもできます。ユニバーサルデザインやインクルージョンについても考え、新しい価値を生み出す取り組みに挑戦しましょう」
バリアフリー社会ってのは大事ね。だけど、そのバリアフリーがホントのバリアフリーかは、また別問題。例えば、視覚障碍者向けの点字ブロックは、目の見えない人にとっては必要なものだけど、車いす利用者や、足腰弱った高齢者には段差にしかならないのよね。最悪転倒する。そういった方の外出の支援したことある人にはある経験だと思う。
だから、誰かのバリアをフリーにすることで、それが違う人のバリアになることも存在するのさ。
それに、段差をなくす建物を作れば、風水害の際にあっという間に雨が吹き込んだりもする。つくりによってはトイレやふろ場の水がダイレクトに館内に流れ込むといった事態もある。それに、車いす用のトイレを増やすと、その分トイレの設置戸数が減ってしまうことも十分考えられる。
バリアフリーって、だれしもにとってある程度ベターな環境は作れても、すべてにおいてベストな環境は作れないんだよね。もし、本気でそれを実現させるのは、ハード面でとことん固めるしかない。現在は様々な設備もあるし、システムもある。けど、それらの導入にはとんでもない金がかかるし、その金をだれが負担するのか。それは社会全体での負担になるんだけど、現
在は不景気で、障害を持つ人に使う金があるなら、こっちによこせと思う人も居ることは事実。
経済的に困難な人を支えるのも福祉の役目。
結局、すべてを救うことなんかできないんだよ。それが高福祉国家だとしても。その高福祉国家は、日本ほどの人口は抱えちゃいないし、環境も違うからね。国民性もそう。そういうシステムを日本に当てはめたからと言ってうまく行かない可能性が高いってこともわからない人も多いみたいだしね。
だから、バリアフリーという言葉よりも、インクルーシブのほうがしっくりくるのかも。だけど、それも準備と配慮がないと成り立たないものだからねぇ。
つまり福祉は
言うほどきれいなもんじゃない。
福祉は万能ではない。
話せばわかる人だけじゃないし、話してもわからん人も多い。裏切られることも多いし、ワケわからんことに巻き込まれることも多い。理不尽な業界でもあると思う。昨日決まったことも、いきなりひっくり返ったりするし、まともだと思った人が、とんでもない人間だったりもする。それでも、その人たちと向き合って、よりベターな世界を構築していく。ベストは無理。ベター。その瞬間にベストだったとしても、時間や状況、環境が変われば、ベストではなくなる。環境は無限に続くもんじゃない。どんな完全な計画にもほころびは出るし、変わる。それに応じて自分も動いて行かなきゃならない。その変化していくものには、支援者自身も含まれる。自分も環境要因だってことを、支援者は忘れがちなんだよね。
福祉って、だれしも助けられないってのが現状だし、誰かにとっての利益が、誰かにとっての不利益になってしまうこともある。現在の枠組みには、そういった限界がある。同じ障害を抱えていて、同じ支援を必要とする人でも、それを受けることができる人と、受けることのできない人がいる。
受けれる人は、そういう環境が整っていただけ。
受けれない人が、受けたい!と言っても、その人がいる地域にそれを行なうだけの社会資源がなければ不可能だし、仮に社会資源を用意することができたとしても、それを社会福祉事業として働き手を集め、軌道に乗せることができるのか。その人の生活を守ることができるのか。特別に特別を重ねて成り立ったものは長続きしないし、サービスは一定の水準のものを長期的に安定して提供しないといけないってことを忘れてるのが多すぎる。そういったできる出来ないの矛盾を抱えながら仕事をこなしていかなきゃいけないから、熱意だけでも熱情だけでも夢だけでも続けられない。現実につぶされて、逃げ出して、支援が必要な人だけが取り残されるってことが起こりかけない。現実怒っていると思うよ。
精神障害の人の力になりたいと言いながら、自分の気持ちのコントロールができずに仕事に行けなくなる人。熱意はわかるし、話聞きたいのもわかるけど、世の中には話が通じる人だけではない。一般的に正しいと思うように支援してても、本人にそう思われないと、行政に通報されて、挙句虐待扱いされる世の中だから。そういうことを想定しながらうまく渡り歩けるのか?
夢にあふれながら世界に飛び込むのはいいけど、本当に思ったようにやりたいなら既存の施設に入らず、自分の施設を立ちあげて、自分の目指す福祉を愚直に追い求めたらいい。それができずに組織に守られるなら、その中で信頼を集めて力をつけて、やれることをやればいい。それもやらずに、「自分のしたいことをさせてもらえない」と他者のせいにするな。
周りを認めさせるだけの実績を積むまでは耐えてコツコツ成果を上げなさい。note世界の中ではすごいねーとか、大学のサークルとか、同じ方向向いてる人の中でいいねいいねって言われていい気になるのと、それぞれが生きている世界の中で信頼を得ることを同じ舞台に置かないでほしいとは思う。それだけ社会は厳しい。その厳しい中で、社会的弱者を守る仕事が、楽なわけはないのよ。
まぁ、その中でも、少しずつ良くなってきている部分もあるし、それは、しっかり社会と折り合いをつけながらも、自分たちの権利を主張し、少しずつ環境を変えてきた人、そして、それに協力した人がいるから行えたことなんだよね。
けど、福祉の仕事は懐が深い部分はある。なにも無駄にならないし、それぞれの得意分野をなんでも生かすことができる珍しい仕事だと思う。アニメが好きでも、歌が好きでも、踊りが好きでも、パソコンが得意でも、人と話すのが好きでも、掃除が好きでも、手先が器用でも、何かを作れても、何でも重宝される仕事。多少欠点はあっても、その得意分野を生かすことができる仕事。どんなことでも必要とされる仕事なのは、ほかの業界にはない部分だと思う。誰でも生きることができるとは思う。
だけど、重度の知的障害の相手とか、できない人には絶対にできないし、嫌悪感覚える人も居るし、身体介護でも下の世話はあるし、軽度の障害者の相手だと、犯罪繰り返す人も居て、警察やなんやらで頭を下げ続けることにもなる。
誰にでもはできない、けど、誰にでもチャンスはある。
その気になれば、高卒だって施設長クラスになれるチャンスはあるからね。実力主義でもある。
ここまで無茶苦茶に言ったけど、悪い仕事じゃないよ。
だけど、夢や理想といった自分の自我のコントロールができない人や、自分の能力を過信した人間には来てほしくはないかな。
うお、超長文になっちゃった。