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Yataの家

「いまいるところから一歩進んでみなければ、次の風景は見えないよ」

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いつも突然やってくるリボーンさん。彼はもともと、私でも知っている有名な割烹からの独立、そして、長らく、小さな村にほぼ一軒しかなかった自然食レストランをキープし、パンデミックの頃、さまざまな事情でレストランをたたみ、その後、ハーブの栽培とオイルの抽出、狩猟、ヒーラーへと転生を続けている。

私がYataの家と出会うきっかけをつくってくれたのは彼で、ある日、狩猟のベースに向かう、電車の中でリボーンさんにばったりあった日から始まっている。
まだ、リボーンさんが、レストランを経営していた頃で、大阪の道具屋筋に買い物に来た帰りだった。電車に揺られている1時間ほどの間に、リボーンさんといろんな話をした。

そのとき、「いつか、自然豊かなところで暮らしてみたいな」とポロリと私からでた言葉が、狩猟のベースに着いたときに、そこに集まる集落のおじさまたちに伝わり、「家、あるよ」という即答から、その日のうちに、町役場で空き家バンクをしているまちづくり課にお連れくださり、何軒かの家をみせていただくという一連の動きにつながっていった。
ただただ驚きの展開だったが、一軒、井戸があるとても素敵なお家があり、持ち主と連絡をとってもらうところまですすんだ。

最初に気に入ったお家は、結局、ご親族の反対により、お借りすることは叶わなかったが、その代わりにYataの家がでてきた。一軒目のお家より、はるかにアクセスがよく、いろんなことがちょうど良くて、一目で気に入った。

大家さんはとても気さくな方で、とにかく、話が早かった。間に入ってくださった方のご尽力があったことは間違いが無く、感謝してもしきれない。ほぼすぐに契約を交わし、数ヶ月後からの入居までに、家の中に残留している荷物を片付けて頂けるというお約束をした。けれど、いつでも入っていいからと、鍵を渡してくださった。全てが有難い契約内容だった。

10年ほど使われていなかったYataのお家はしばらくの間は土足のまま入らざる得なかったくらいにドロドロで、蜘蛛の巣だらけで、動物が住み着いていなかったのが幸いな程度だった。けれど、行くたびに、大家さんがお連れ合いさんと片付けの作業をしていらして、古い家具や食器など、使えそうなものがあれば残しておくから、と、丁寧にひとつひとつ確認してくださったことで、本当に素敵な古い家具たちをいくつも譲っていただいた。
すでにリペアして大活躍してくれている食器棚や、ほぼ、そのまま使うことができた靴箱や客間のチェスト、リビングのテーブルなどは、大家さんから引き継いだもので、私が後から持ち込んだ家具ともうまく共存してくれている。

ちょうど、引越しの作業をしていた頃、私の身体はガタガタで、足を引きずりながら生活をしていた。そんな時、リボーンさんが育てているトゥルーシーとヘンプを掛け合わせたオイルが仕上がっていて、マッサージができるよと声をかけてくださったので、有り難く受けてみることにした。20分ほどの短い時間の施術だったが、すぐに瞑想状態に入り、まだ、過覚醒が続いていてうまく眠れない時だったが、久しぶりに神経が休まった感じがやってきて、起きあがろうとしても起き上がれなくなり、リボーンさんは、「このまま寝たらいいよ」と帰っていった。

翌朝、目が覚めると腰の痛みが酷く身体が動かず、ベットから起き上がるのに苦労した。本格的に引っ越し屋さんに来てもらう引越しの山場の時だったので、本当に大変で、結果、いろんな人に助けてもらった。
そして、その施術から、足を組めなくなった。それまでは、椅子に座ると、足を組まなければバランスがとれなくて、足を組むのが習慣になっていたのだが、どうもしっくりいかなくなった。

その後、Yataの家に移り住んだ1年目は、仕事もほぼなかったので、吉野の温泉に行きまくり、半年もすると、身体の軸が戻ってきたことを実感した。不眠もなくなり、朝、鳥の声を遠くからききながら目が覚める毎日へと切り替わった。

当時、「いまいるところから一歩進んでみなければ、次の風景は見えないよ」というリボーンさんからかけてもらった言葉が、全てを手放して移住することへの後押しになった。

いまも、リボーンさんはいつも作業着姿でひょっこり現れる。そして、軒先でタバコを吸いながら、あれやこれやと話をする。

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