雨に降られて
子供の頃、曇天の空が好きだった。
特に、泣き出しそうな空模様というのがたまらない。感情が露わにならぬよう雲が必死に耐えているような空を見上げていると、なぜか心臓の鼓動が早くなった。
時節であれば梅雨の頃、時刻は午後4時から5時にさしかかる、夕暮れどきがいい。
傘を忘れた小学校の帰り道、家に着くまで降られずに済むか否かの焦燥感に、幼く微かな性的情動が伴《ともな》っている。倒錯に似た興奮を覚えるのだ。
やがて空から一粒二粒と雫が零れ落ち、まだ舗装されていない土の路のそこかしこに、ポツポツと滲みをつけていく。
濡れた大地は太く薫りだし、雲は呼応するかのように堰を切って泣き始める。
本格的な降りになる前に家に着けるよう、駆け出す。気持ちが焦るほどに、いい知れぬ高揚感に胸は満たされていった。
多数の感性ではないかもしれないが、快晴よりも曇り空や雨の降り始めのお好きな人は、きっとおられるに違いない。
いま思い出したけれど、自分の小遣いで最初に買ったドーナツ盤(シングルレコード)は、B‣J・トーマスの『雨にぬれても』だった。
映画『明日に向かって撃て』リバイバル上映の予告編を深夜2時近くの番組『洋画の窓』で何度も観ているうち、おいそれと東京の映画館まで足を運べない千葉県習志野市在住の小学4年生は、せめてもの代償としてこのレコードを贖ったのだ。
バート・バカラックの作曲、ハル・デイビッドの作詞。
監督のジョージ・ロイ・ヒルは、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とエッタ・プレース(キャサリン・ロス)が自転車に乗ってデートをするシーンのための曲を、彼らに依頼した。
まず、レイ・スティーブンスに録音する機会が与えられたが、彼は断った。
ボブ・ディランにもこの曲の依頼があったそうだが、彼も断ったという。
最後にオファーを受けたB‣J・トーマスは、咽頭炎から回復する途中だったため、声がかすれていた。何百回と聴いてすっかり頭に刷り込まれている僕にとっては、そのかすれ声も含め完璧な楽曲である。
ところが当時、破滅型の青春を描いた西部劇でもあるこの映画に、歌詞も曲調もそぐわないのではないかとの否定的意見が、少なからずあった。
自分の身に降りかかる憂鬱な出来事を雨粒(Raindrops レインドロップス)に譬えながら、それでも僕は負けない、もうすぐ幸せはやってくる、僕は自由だし、何も心配していないさと、楽観的な思いが歌われる。
たしかにこの映画にこの曲である必然性は、高くない気がする。音楽はブッチ・キャシディとサンダンス・キッドという2人の個人のための挿入歌というより、人類の普遍的な世界観の上に成り立っている。だからいつ聴いても色褪せない。
主演俳優の一人であるロバート・レッドフォードもこの曲の使用に反対した一人だ。
「映画が公開されたとき、私は非常に批判的だった。この歌は映画に合っているのか?どのシーンにも、雨は降っていないじゃないか。当時は愚かなアイデアに思えた。それが大ヒット(200万枚以上を売り上げ、アカデミー最優秀主題歌賞を受賞)したので、自分の間違いを思い知らされたんだ」
これほどのミスマッチが大成功した例は、珍しいんじゃなかろうか。
中学に入ると土曜日は半ドン(午前中で授業が終了して午後が休み)で、帰宅すると自室にこもり、チューナーをFM東京に合わせる。
午後1時に始まる「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」は、音楽ヒットチャート番組でありながらランキングが独自で、ワンランク上の楽曲を知ることができる機会に思えた。
小椋佳『めまい』や布施明『落葉が雪に』など、テレビのベストテン番組ではなかなか耳にする機会のない佳曲が紹介されていた。たしか聴者のリクエスト葉書も、ランキングに影響していたんじゃなかったか。
進行スタイルは、今のFM番組に典型的な軽快(軽薄?)なトークではなく、曲の合間に視聴者のお便りや奏者の近況などをしっかりと伝え、心地いテンポで穏やかに進行していく。同時期の夜に放送していた『マクセル・ユア・ポップス』といい、この時代の構成やナレーションには品があった。いま知ったけど、テーマ曲は宮川泰だったのか。
1977年のヒット曲で「雨」のつくものは、イルカ『雨の物語』、さだまさし『雨やどり』、太田裕美『九月の雨』など名作が並ぶ。
この『雨やどり』にはヤラレてしまった。「気がついたら あなたの腕に 雨やどり」ってオチが、じわーッとくるんだ。
(次回に続く)
Atelier hanami@はなのす