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孤独の苦楽

グレン・グールドほど、「孤独」という言葉の似合う演奏家もいない。

子供時代のグールドにとって、学校に通うことは苦痛を伴う経験であり、(さまざまな理由から)友達と過ごす時間はわずかしかなかった。
本来であれば幼少期や青年期、同級生との交流は人間にとって不可欠な要素のはずだ。大人になってからの社会的関係にも、大きく影響する。
子供の頃のグールドは同級生グループへの帰属意識を十分にはぐくめず、学校での問題に対処するため、自宅やピアノに逃げ込んだ。

そんなグールドが大人になったとき、真に友人と呼べる存在は皆無だった。動物が好きで、人間よりも動物を信頼していると公言もしている。そして20代後半に両親の家を出てからは、生涯一人暮らしを続けた。結婚もせず、子供もいなかった。

彼は自分の生き方は自分で選ぶと常に考え、そのための手段も持っていた。孤独であることで創造性を養えると、固く信じていた。
かつて彼は言った。
「孤独は人間が幸福に向かうための、唯一にして確実な道である(Isolation is the one sure way to human happiness.)」

ここでグールドが用いた「Isolation(孤独)」は、僕たちが日常イメージする「loneliness(孤独)」とは、向き合う態度が根本的に異なる。

「loneliness(孤独)」は、自分がたった一人と感じながらそんな自分を抱えきれずに、依存的に他者を求めてしまう状態・「寂しさ」を表現している。そうはあってほしくない状態に身を置かざるを得ない、受動的な態度だ。

「Isolation(孤独)」とは、何事か成し遂げるため誰にも邪魔されずにいる状態を指す。
自ら積極的に「孤立」「分離」の道を選択したグールドにとって、とても相応ふさわしい言葉だ。

27歳にしてコンサート活動から一切手を引いたのも、演奏行為の一回性への疑問とともに、リサイタルにまつわる人間関係が主な原因だった。
聴衆との関係、大衆からの敵意に対する彼の認識、常に同じレパートリーを弾くことを求める大衆、記者会見、そしていくつかの論争。
これら音楽表現以外のすべての事象が、彼にとっては鬱陶うっとうしいだけだったに違いない。

グールドのピアノを聴いていると、聴き手のためでなく、もっぱら自分に聴かせるために弾いているよう思えてくる。
ときに歌い、ときにエア指揮するその姿は、十八番おはこをカラオケでひとり陶酔とうすいしながら熱唱するオジサンとさえ、重なって見える。
オジサンの場合その技巧には限りがあるが、グールドのような天才が自らに徹底して奉仕し演奏に没頭すれば、そこに前人未到の世界がひらかれているとして、なんの不思議もない。グールドは自己に正直なピアニストだった。

ピーター・ゼルキンも、実はグールドの系譜に連なるはずの人だった気がしてならない。それがどこかでなり損ねてしまったのは、自身の奥深いところにある「Isolation(孤独)」と、向き合えなかったからではないか。

私はこの作品、そしてバッハの他の作品も、演奏するたびに違った方法で演奏します。バッハ自身も同じ曲を毎回違った方法で演奏したと言われています。結局のところ、これらの作曲家は素晴らしい即興演奏家でした。ショパンも、毎回根本的に違った方法で作品を演奏したようです。もちろん、これは勝手な思いつきに基づくものではなく、音楽に対する親しみと洞察力に基づくもので、それによって人は自発的な選択を自由に行うことができます。私はこの作品の演奏方法を固定化しようとは決してしません。私は非常にオープンな姿勢でこの作品にアプローチし、どのような選択肢が考えられるかを知ってから、その中から 1 つを選ぶか、あるいはまだ発見されていないものを選ぶようにしています。私自身もしばしば驚かされますが、できればこの作品が作曲されたときの新鮮さ、冒険心、自発性の精神を少しでも取り入れたいと思っています。

Yale School of Music web blog January 7, 2019

バッハと一体化してしまうグールドに対し、ピーター・ゼルキンはあくまで素材(曲)の可能性を追求しようとする。
グールドが、たとえば演奏のテンポ(速い遅い)も将来はテクノロジーで解決できるんじゃないかとの発想に対し、ゼルキンは演奏の一回性にこだわり続けた。
ところがその演奏に本来の自身の音色(本質、自我)が顔をもたげた途端、音楽から流れが途絶えてしまうのだ。
それはの自分と”あるべき自分”がどこまでいっても混じり合わず、水と油のように、器の中で分離したままの状態にあったと思えてならない。
最初の一音に魅了され、涙腺決壊の寸前まで行きながら、聴いていくうちなんかなぁになってしまうこの人の音楽。僕的には勿体ない限りなのだ。

実生活における2度の結婚、晩年になってからの2度目の離婚。
自己に正直であれば演奏会を断念した若き日に、グールドのような「Isolation(孤独)」を選択することも可能だったはずだ。
皮肉にも人生の終わりになって、望まぬ「loneliness(孤独)」を迎えてしまった気がしてならない。
そこにまたかれ、時折り聴いてみたくもなるわけなんだが。

「孤独」かぁ。
このテーマで、もうちょっと続けてみるかなぁ。

出来るかなぁ。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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