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グチの達人
人の愚痴を聞かされるのを、歓迎する人はあまりいないだろう。
僕にしたって、同じマイナス思考の話を繰り返しされたら、きっとげんなりするはずだ。相手に解決する気などなく、自分のことばかり一方的にしゃべられたら、誰だって辟易すると思う。
たまたま入った会社は常駐先の大半が中高年者で、自らの境遇に満足していない人たちがほとんどだった。行く先々で、毎日のように愚痴を聞かされることになる。
ところがそれも業務の一環と捉えると不快感はさほどなくなり、長い時間でも苦にせず付き合えるようになった。
その人たちの愚痴は、もちろん仕事に関すること(業務内容・仲間・取引先の社員等)が中心だが、気を許すようになると、ご自分の家庭環境にまで話が及ぶ人もいた。
共通して感じるのは僕を相手に相談したいわけでなく、ともかく話を聞いてほしいだけだという事。
聞き手は誰でもよく、中にある満たされない思いをひとまず吐き出してしまうと、一時的にしろスッキリするらしい。
別にカウンセラーになったつもりはないが、その役回りで業務が円滑に回るなら、愚痴のお付き合いくらい構わないと思った。同時に、人が愚痴をこぼしたくなるメカニズムのようなものにも興味を覚えた。
毎日を平穏に暮らしているつもりでも、「苦手な人との付き合い」や「漠然とした不安や心配」など、愚痴のタネには事欠かない。
不平不満、愚痴のたぐいはできる限り口にしない、そうした言葉を吐く相手に近づかないという人は、結構いるはずだ。
言ったところで事態が好転するわけではないし、相手のあることなので誤解のもとを増やすだけと、じっと我慢を決め込むのだ。
しかし、大多数の人に資質として備わっている愚痴を、一概に否定してしまっていいものだろうか。
まず、愚痴をこぼすためには自分の状況や問題を言葉にしなければならない。そうした表現の術がなければ、人はただ途方に暮れるだけになってしまう。
自分の置かれている状況を、言葉にする。それなしに頭の中は整理できないし、考えることもできない。そこで聞いてくれる相手が必要になる。
そのとき、反論したり説教したりする相手じゃなく、出来れば共感を持って聞いてくれる相手が望ましい。
ただし言葉は、現実の一側面を単純化して切り取ったものになる。
たとえば「あの人は不愛想で困る」と愚痴るとき、実は不愛想にもいろいろな側面があることには触れられない。
表情は不愛想でも、黙って他人の手助けをしてくれる人もいる。むしろシャイで、気軽に挨拶が出来ないだけの人かもしれない。そういう可能性には目を向けず、「不愛想」と断定してしまう。
つまり人やモノへの評価は、現実を的確に把握しているわけでなく主観から単純化された一側面にすぎないということだ。
単純化するから整理もできるのと同時に、それゆえの危険もある。
「もう無理」と愚痴った途端に、その状況を解決することは出来ないと自らが判断してしまう。自縄自縛というわけだ。
同じように「板ばさみでまいっている」と言えば、二者から突きつけられている別々の要求が、相容れないものとして頭に固定されてしまう。
「現実」というのはこちらが思っているよりはるかに柔軟で、一言では捉えきれない細部に満ち、変化していくものだ。
その柔らかで可変的な細部にこそ解決の糸口があるかもしれないのに、単純化した言葉を口にしてその言葉に縛られてしまうと、自ら解決の入り口を閉ざしてしまうことになる。
不愛想な人と口にした瞬間、恰もそれが全人格であるかのように錯誤しかねなくなるわけだ。
よって「愚痴」は、閉じた表現となりやすい。
その人に不愛想な面があろうと、内面の喜怒哀楽は逆に豊かに備わっていて、アプローチの仕方一つで対応はがらりと変わるかもしれない。
それを「不愛想」と断じてしまうことで、その他の可能性を探る姿勢が断ち切られてしまうわけだ。
一方からの見方と他者の視点に違いがあろうと、どこかで一致する点があるかもしれないのに、折り合いをつける可能性に目が向かなくなってしまう。
従っていつまで経っても先に進まない、「愚痴」の無限ループが形成されるわけだ。
そうは言っても言葉にすることは大切であり、必要なことに違いはない。
言葉にしなければ考えることもできず、問題解決のための端緒にもつけないからだ。
愚痴をこぼしているとき、的確な言葉を選び表現せよと言っても難しい。
とりあえず、すぐにやれることは自分の言葉に呪縛されないことだ。言葉は単純で一面的になりがちだということを肝に銘じて、言葉からはみ出していく複雑な現実の方こそをしっかり意識する。
愚痴をこぼすのは大切な代償行動だが、愚痴ったときに発した言葉に、縛られすぎないことだけは心がける。
自分の状況を言葉に言い表そうともせず、現実を見つめようともしない態度を続けていれば、苦境に押しつぶされてしまいかねない。上手に愚痴れば、思ってもいない道の開かれることだってある。
愚痴も究めれば、「道」になるかもしれない(そんな事ぁないか😅)。
イラスト Atelier hanami@はなのす