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明日が問題だ
就寝時には音楽を流す。僕にとって音楽は、睡眠導入剤代わりだ。
音源はCDからリッピングするか、FMの音楽番組から録音し編集したものをハードディスクに記録している。
FLACという可逆圧縮音声のファイル形式で、これだと(不可逆圧縮の)MP3などと違い、音声情報を損なわずに圧縮することができる。
音質にこだわるなら非圧縮のWAVだろうが、僕が音源を管理し始めた当初はハードディスクの容量に限界があり、WAVではすぐいっぱいになってしまうためFLACを採用した。爾来20年以上、この方式で来ている。
車中で聴きたい音源は、このライブラリの中からMP3に変換したものをUSBメモリにコピーして聴いている。
もっとも、現役を退いてから遠出はしなくなったため、今は全く更新していない。過去音源だけでかなりなボリュームになるから、よほど生活に変化があって遠出が常態化しない限り、このままの状態だろう。
FLACからMP3に変換する際も、ビットレート(1秒間に入っているデータの量)を通常の「128kbps」から「320kbs」にしたり、タグエディタを使って曲や奏者、録音日やアルバムジャケットなど表示できるようにいちいち入力したりするので、超面倒くさいわけである。
こうしたタグ付けはFLACでも例外なく行っているため、けっこう情報量豊かな音源に仕上がる。
時々ここまで時間と手間をかけ、なにアホらしいことやっているんだと自覚しながら止められない。そういう性分なのだ。
少年時代に始めたFMエアチェックにさかのぼり、編集という行為がよっぽど好きなんだろう。
何も財産と呼べるもののない我が家だが、ハードディスクに収められたデータには、少なからず貴重なものがある。
廃盤久しく入手がほぼ不可能な音源があれば、ヴァントやマタチッチ、ケーゲルやカイルベルトなど、商品化されていない日本でのライブ音源もある。
最近だと、バッティストーニ指揮東京フィルハーモニー交響楽団の『惑星』や『シェヘラザード』など、聴きごたえある演奏が結構ストックされている。
あんまり考えず、録ってはハードディスクにためていくだけだから、そのとき無名でも、後になって誰もが知る大物に化けたなんてケースもあるだろう(情報に疎いから、そうなっていても気づかないままだろうが)。
とりあえずロックや歌謡曲、シャンソンにタンゴ、民族音楽も日本の古典もデータ化しているが、結局いま聴いているのは、クラシックかジャズのみだ。
車に限れば懐メロやニューミュージックなど、1曲が数分で終わる曲を流している。
5年くらい前までは、パソコンからDAC(音楽を再生する際に、CDなどに入っているデジタル信号をアナログ信号に変換する機器)を使ってステレオに繋ぎ、深夜でもそれなりの音量で鳴らしていた。
それも面倒くさくなり、今は数千円で買ったBluetoothスピーカーを枕元に置いて聴いている。
それで充分満足というか、バカにしたもんでもない。
ミニスピーカーを耳から近いところで鳴らすメリットは、江川三郎さん(「ステレオよりもモノラルの方が音が良い」を提唱したオーディオ評論家)も生前説いておられた記憶がある。
20代、神奈川にいた頃は、それこそとんでもない装置でレコードを聴いていた。魂を震わすとは、ああいうレベルの音だろう。
バド・パウエルの打鍵の余韻に、背筋が凍る思いをしたことなど以降に一度もない。「怖ろしい」と「素晴らしい」が同義語になる日常を過ごしてしまうと、他の事はどうでもよくなっていた。
のちに静岡県某所で数千万円するというスピーカーを聴いたこともあるが、「いい音」だとは思っても、肝心の「音楽」にまるでなっていなかった。
ほとんど客の来ないジャズ喫茶を独占し、自分で盤を選び大音量で音楽に浸る年月を過ごすと、個人であんな環境は無理とわかってしまう。
オーディオに対する欲望は、中年にさしかかった頃にはすっかり霧散していた。
というわけで、例によって本題に入る前に(自分で決めた)字数が尽きた。
明日はこの音楽環境で聴いていて、ある音楽から受けたインスピレーションについて触れようと思うが、その時の気分でどうなるか分からない。
明日が問題だ。
イラスト Atelier hanami@はなのす