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時代遅れの雰囲気

昨夜19時からの会議に、10人ほどの人が集まる。
司会進行の僕は30分ほど前に到着し、備え付けのリモコンをつかんでクーラーをいれる。
設定は24℃。なにしろ陽の落ちた外でさえ酷暑すれすれの気温だから、平屋で30㎡に満たない室内の熱気は凄まじい。少し冷えるまで、建物脇に停めた車の中で待機していた。

19時が近づくにつれ、人が集まりだす。入ってくるときみんな口々に「暑い暑い」とぼやきながら、円卓を囲む形で席に着く。
そのうち「ちょっと温度低く(設定しすぎじゃ)ない?」という人が現れ、ご本人がリモコンを操作して温度変更したようだ。

間もなく、室内がやけにあったかくなってきた。さっきピッという操作音がしたのは1度きりだから、24℃を25℃に変えたくらいの認識でいる。その割にはちょっと汗ばみながら、1時間半ほどで会議を終えた。

帰り際、メンバーの一人が「イヤに暑かったよなぁ」とリモコンを手にすると、「なんだコレ、(設定が)暖房になってるじゃないか」
そりゃ暑いわけだ。

さっきの寒がりさんがリモコン操作を誤り、「冷房」を「暖房」に切り替えていたようだ。分かった途端、誰もが「やっぱりなぁ」「寒がりにもほどがあるだろう」などと、苦笑にがわらいし始める。
おもしろいのは僕を含め、暑いと思っていても言葉にせず、エアコンを確認しようとも、設定を変更しようともしなかった事である。

耐えがたいほどの暑さじゃなかったのも、理由の一つだ。暖房の24℃は外気の30℃より、明らかに低い。
ただ僕が「暑い」と表明しなかったのは、参加者の誰もそうした不満を口に出さなかったことが大きい。「暑い」のは自分だけだろうという、錯誤さくごが生じていたわけだ。

もう一つ、リモコンを操作した人への配慮があったのも間違いない。
ここで自分が設定温度を元に戻せば、相手に再び寒い思いをさせることになる。それは自分本位の行いであり、控えるべきである。無意識に近くとも、そういう心の動きがあったんじゃないか。

これをもって「忖度そんたく」や「同調圧力」とするのは、微妙に違う気がする。それはまさしく場の雰囲気としか表現しようのないものであって、それが物事の結果を大きく変えてしまうことへの、小さな実証になっているよう感じる。

 昭和人間の一部は、ふとした拍子に「他人の結婚問題に関して暴言を吐く」という不具合が発生します。

「ねえ、○○さんは、どうして結婚しないの?」
「あそこの娘さん、40超えてるのに独身なんですって」「あらまあ、お気の毒」
「女の子なんだから、仕事はほどほどにして早くいい人見つけなきゃね」
「お前もそろそろ身を固めなきゃな。男はやっぱり結婚して一人前だよ」
「ずっと独身のヤツを見てると、男も女も性格にどっか難があるよね」

 大きなお世話だったり単なるイチャモンだったりで、どれも言われたら極めて不愉快なセリフです。しかし、言っている本人は何が問題なのか分かっていないので、言われた側がムッとして「ほっといてください!」と返したりすると、心の中で「そんな調子だから結婚できないんだ」などと暴言を重ねます。

 この手の不具合が引き起こされるのは、多くの昭和人間の基本OSに「男も女も結婚して一人前」「結婚は人間が幸せになるための必須条件」「いつまでも結婚できないヤツは何か問題がある」という前提がインストールされているから。

「昭和人間」に起こる「結婚絡みの暴言を吐く」という不具合 日経BOOKプラス 石原 壮一郎

この会話、あんた実際に見てきたんかいと突っ込みの一つも入れたくなるが、ライターにとっては”昭和人間”の日常のやり取りだったんだろう。
しかし筆者と同年配の僕でもこんな露骨な会話、耳にしたことないがなぁ。まして当事者に向かってこんなこと、平然と言えるもんだろうか。

「他人の結婚問題に関して暴言を吐く」の”暴言”というのも抵抗ある表現だが、確かにこの通りのセリフをいま口にすれば、時代遅れとそしられるのは間違いないだろう。しかし昭和のある時期まで、そうした風潮(雰囲気)が社会に蔓延まんえんしていたのも間違いではない。
(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす




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