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不快な雨 優しい雨

洋楽ロックで「雨」といえば、すぐ思い浮かぶのはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『雨を見たかい(Have You Ever Seen the Rain?)』と『フール・ストップ・ザ・レイン(Who'll Stop The Rain)』、ボブ・ディランの『激しい雨が降る(A Hard Rain's a-Gonna Fall)』などだ。
もっともここで歌われる雨は普通の「雨」じゃなくて、ベトナム戦争で使われたナパーム弾や核ミサイルを指しているから、チとジャンルが違う。

同じディランでも『雨の日の女(Rainy Day Woman)』は、「ヨハネ福音書」第8章を連想させる。
姦通かんつうの女を捕らえて石打の刑で殺せと主張する人々に対し、イエスが「罪を犯したことのない者だけが、この女を石で打て」 と答えて、彼女を救ったという逸話だ。

アメリカの曲者くせもの音楽プロデューサーであるフィル・スペクターは「あんなに自由で露骨な曲を聴いて驚いた」と言い、コーラスの「ストーンド」が、アルコールや麻薬への誘いであるとしている。

この曲がヒットチャートを駆け上がるにつれて「ドラッグソング」だとの物議をかもすようになり、その結果、アメリカとイギリスのラジオ局で放送禁止のき目にあう。
タイム誌は「ティーンエイジャーの間では、変化する多階層の専門用語で『ストーンする』とは酔っぱらうことではなく、ドラッグでハイになることを意味している。『雨の日の女(Rainy Day Woman)』はジャンキーなら誰でも知っているように、マリファナタバコのことだ」と言及している。
ディランはこの論争に対して、1966年5月27日にロンドンのロイヤルアルバートホールで行った公演中「私はドラッグソングを書いたことは一度もないし、これからも書かない」と反論した。

ディランと親交あるジョーン・バエズは「これには12通りほどの意味が含まれている」と弁明している。英語圏の人であっても、解釈は様々なようだ。
ボブ・ディランはもともとはユダヤ教信者だが、のちにキリスト教に信仰を変えている。だからこの「ストーンする」も聖書にあるように、「石をもって罰せられる」意味で使われていると、ストレートに解釈する事も可能だ。

「ゲット・ストーンド」には「バカにする」という意味があったり、ドラッグでうつ状態になることを俗に言うらしい。ディラン自身はそういう意味も込めて、パロディ的な要素から使った言葉かもしれない。

プリンスの『パープル・レイン(Purple Rain)』は有名だが、聴いていた時代が違うんでよくわからない。

ビートルズの中では比較的知られていない『レイン(Rain)』という曲があって、僕は知らずにいたから耳に新しい。スローダウンしたリズムトラック、ドローンベースライン、逆再生のボーカルが含まれている。
これは『Tomorrow Never Knows』と同じ手法で、ポップソングで逆再生音が登場した、最初の例になるそうだ。
『リボルバー』のセッション中にレコーディングされたが未収録となり、シングル盤『ペイパーバック・ライター』のB面曲になっていた。

ジョン・レノンは『レイン(Rain)』に関して、「天気が気に入らないから人々が不平を言う」ことについて歌っていると述べている。
別の解釈ではこの曲の「雨」と「太陽」は、良性のLSDトリップ中に経験される現象だという。
ジョンはビートルズの1963年『There's a Place』で、物質よりも精神が重要であると歌っている。『レイン(Rain)』では幻覚剤の影響を通じて、この考えをさらに深めたようだ。

スタジオから家に帰るとマリファナで頭がぼーっとしていて、いつものようにその日録音したものを聴いていました。その時、どういうわけかテープが逆再生になっていました。私はイヤホンをつけてマリファナをくわえた状態で釘付けになってしまい、座ったまま茫然としていました。
次の日、急いでスタジオに駆け込んで「どうすればいいかわかってるよ、わかってるよ... これを聴いてくれ!」と言いました。それで全員がいる前で、曲を逆再生させたんです。フェードアウトはギターを、私が逆再生しているところです。
Sharethsmnowthsmeaness... (笑い)
これは神、つまりマリファナの神であるJahからの贈り物でした。Jah が私にくれた曲なんです。

1968年 ローリングストーン誌のジョナサン・コットとのインタビュー

ポール・マッカートニーは、次のように回想している。
「歌の世界では伝統的に、雨は悪いものとして扱われてきました。でも僕たちは、雨は悪いことではないという考えに至ったんです。背中に滴り落ちる雨ほど、素晴らしい感情はありません」

ポールの言葉にあるように、「雨」は欧米において肯定的なイメージで捉えらえてこなかった印象が強い。「Rain」を逆回転させ「niar」としなければその価値の転換をはかれなかったほどに、その伝統は強かったという事なのか。現に「雨」は、ときには「爆弾」となり、ときには「石」にもたとえられている。

『パープル・レイン』についてプリンスは、「空は青い。もし血の雨が降ったら青と混ざり紫になる」という意味だと説明している。
「この世が終わるその時に、もし自分の愛する人と一緒にいることができたなら、紫の雨の中、運命と神に身を委ねるよう自分が導く」だとも。

だとすると、僕たち日本人が雨によってけがれを洗い流され、はらい清められるという感覚と、彼らは逆のベクトルを向いている事になる。
実際、日本のブルースロック・柳ジョージ&レイニーウッドの 『雨に泣いてる…(Weeping in the rain)』では、「ほほ濡らす そぼ降る雨の優しさに」などと、雨が人をいつくしもうとする歌詞まで登場する。
これは、八神純子『みずいろの雨』や森高千里『雨』にも共通する概念だ。

実に、興味深い。


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