不安ファン(Fun)
「不安」とは、まだ起きていないことに心がとらわれる状態だ。
起きてしまったことに不安はない。何かをしでかして、バレたらどうしようと思う心の動きもまた、未来に対する不安となる。
「これから何か、良からぬことが起こるんじゃないか」
そういう意味で不安を抱くとは、未来志向の考え方ともいえる。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」とは故・野村克也(プロ野球)監督の名言で、実は江戸時代の大名で剣術の達人でもあった松浦静山の剣術書の一文から引用されたものだ。
負けるときは何の理由もなく負けたわけではなく、その試合中に必ず何か、負ける要素があった。
一方、勝ったからと慢心すべきではない。今回は勝っても、何か負けにつながったかもしれない要素がきっとある。
それが何であったかを抽出し、どうしたら負けの要素を消していけるかを考えていく必要があると、野村監督は説いた。
一見して、不安の塊のような精神論ではないか。
せっかく勝ったのに、負けたかもしれない要素を重箱の隅からほじくり返して反省せよという。
余韻に浸って然るべき瞬間に、「たまたま勝っただけだもんね」などと勝者に不安をかきたてるとは、天邪鬼にもほどがある。
ところがこの一文に、「さすがは名将」と頷く日本人が大半だろう。
僕にしたって、勝って慢心しない野村さんの教訓を大事にしたいと思う。なにか事が一つうまくいっただけですぐ有頂天になってしまう自分の性格を、日ごろ持て余してもいる。
日本人には、たとえば宝くじが当たったとして、「これで自分は運を使い果たしてしまった」と考える傾向がある。
これが、アメリカ人には理解ができない。運を使い果たすと言う発想がないからだ。
彼らにとって運とは、使い果たすものではなくどんどん弾みがつくものである。
一度宝くじが当たれば、運が運を呼び込み、心も体も強運をつかんだその感覚を覚えている。次はもっとラッキーなことが起こるはずだ、そう捉える。
一度勢いに乗ったら、そのまま追い風に乗って行けるところまで行こうじゃないか。個人の心の持ちようとして、それはきわめて健全なことのように思われる。
こうした楽天主義こそ、何かに打ち込み決して諦めず最後までやり通す力を与え、未知のことに前向きに挑戦する原動力となる。
人生、晴れの日もあれば雨の日もある。ときに台風が来ようとそれはそれ。そうなったときに考えれば良いことだという割り切りだ。
『風とともに去りぬ』のラストシーン、絶望の中にある(ビビアン・リー扮する)スカーレット・オハラが立ち上がり、前を向いてつぶやく名セリフ
「明日は明日の風が吹く(After all, tomorrow is another day)」
この、強靭なスピリット。
『風と共に去りぬ』を公的場所で上映も配信も禁止してしまった本家アメリカにあってさえ、今や失われてはいまいか。
野村監督の偉業に、「野村再生工場」がある。
他球団で燻っていた選手、本来の実力を出し切れていない選手に対して、在任中のチームの適正に合わせた教育や指導を実施して、プロで有効に使えるレベルまでに蘇らせた手腕を言う。
「再生工場の本質が何かと言えば、それは自信の回復ですよ」
野村監督じしんの言葉だ。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」に通底するのは、不安を不安のままに置かず、目をそらせたい現実と向き合いなさいという事だろう。
不安には、姿がない。
漠然と、もやもやした煙のように思考の隅々にまで拡散し、裡から漠とした状態のまま、侵食されていく。
煙には必ず、火元がある。火元に行きつけば、消火は可能なのだ。
否応なくグローバル化の渦中にある僕たち日本人にとって、不安と向き合い、自信を回復し、ときに「明日は明日の風が吹く」と開き直る楽天主義も必要だろう。
不安を抱いて苦しむばかりじゃなく、宝くじ1等の当たる未来を思って楽しむ(Fun)のも、また一興である。
それにはまず、宝くじ買わなきゃならんか。
イラスト hanami🛸|ω・)و