台風の功罪
過去最強クラスと言われる台風10号。1日経つごとに1日停滞が生じている。
静岡であれば、週末に通過しているはずの当初予報が、8月29日昼の段階では日曜日上陸の可能性に変わっている。
このままでは、「清水いはらマルシェ」を直撃してしまう。
出店者の幾人かは食材仕入れの都合もあり、開催の問い合わせやキャンセルの連絡が入ってくる。この後も出店見送りの一報は来るだろうし、主要メンバーと相談のうえ、先ほど中止を決断した。
「清水いはらフェス」開催のための貴重な収入源(ひと月分)が失われ、仕方ない事とはいえ、かなり痛い。
鉄道の運休や高速道路の通行止め、飛行機の欠航など、台風がもたらす交通機関への影響は大きい。
今回の台風は上空の風が弱いため、進路予測に不確実性の高い状況が続く。
大量の水蒸気の影響で大雨が続き、台風の進行速度が遅いことから雨量もかさむ。局地的に、500mmを超える記録的な大雨となるおそれがあるそうだ。
最新の情報によれば、宮崎市で160件余りの被害報告が寄せられている。
内訳は住宅の被害が69件、事務所や倉庫などの建物被害が35件、けがをするなど人的な被害22件などとなっている。
住宅の周りに設置された門やフェンスが吹き飛ばされたり、エアコンの室外機が倒れたりしているとの事だ。
感覚的に台風とは厄介極まりない存在だが、メリットも少なからずあるという。
まず、大量の雨をもたらしてくれる。
梅雨前線や不規則に降る夕立よりも、比較的短い時間で100ミリ~200ミリ以上の大雨がまんべんなく降り、ダムの貯水率を圧倒的に上げるのが台風だ。
台風はダムの貯水量を、一気に5千万トン以上も上げることができる。
台風は、深海の水温が低くて酸素の少ない水と、海面近くの高い水温で、酸素の多い水とをかき混ぜる。酸素をまんべんなく行き渡らせ、生物の住みやすい水温や環境を作りだしている。
たとえば、サンゴに適した水温は25~28℃といわれ、台風が生息地を通り過ぎることで、適正な環境をつくってくれる。
台風が来ないまま水温が30℃を越えてしまえば、サンゴは「白化現象」により死滅してしまうのだ。
サンゴ礁を棲家にする生物がいて、さらにそれを食料とする生物もいる。サンゴが死滅すれば、生態系全体にダメージが及ぶことになる。
台風の「かき混ぜ」効果によって、海洋の生態系は守られているわけだ。
台風の大雨は、川底の石についた汚れを落としてくれる。
魚たちはきれいな石にしか卵を産み付けることができないため、台風の少ない年には卵も減ってしまうと言われている。
台風の大雨が運ぶ土砂は、河口に砂浜をつくりだす。
砂浜は多様な生物の住処であり、エサ場でもある。
水の浄化作用にとっても、砂浜は非常に重要な役目を果たしている。
強風を利用した発電方式で、台風発電というのがあるそうだ。
台風の風速は時速300kmにも達することもあり、そのエネルギーは膨大だ。台風発電ではこのエネルギーから風車やプロペラを回転させ、発電機を動かして電力を得る。
台風発電はまだ開発途上にあり、実用化までに幾つものハードルがある。台風の発生は予測しづらく、発電量が安定しないし、強風によって発電機が故障するリスクもある。
この台風発電、「再生可能エネルギー」の一種となり、なんとなく胡散臭い。ここに国(税金)から、どれくらいの補助金が渡っているのやら。
「自然破壊」の太陽光発電や風力発電同様、環境ビジネスは癒着と利権の巣窟になっている感がある。
台風最大の効能は、人間の無力さを知る機会になることだろう。それは日本人のDNAに今も残る、諦観と忘却癖だ。
諦観とは、人間の手に災害はどうにもならないという感情であり、地震や台風のような自然の破壊力に対してはただ耐えしのび、諦めるほかないという心理である。
忘却癖とは、災害の経験を将来の防災に生かすことなく、忘れ去ってしまう態度をいう。
災害の〈当事者〉でさえ災害は過去の不運な出来事と捉えて、悲惨な経験を生かすことなく忘れさってしまう傾向が強いとされる。
防災の観点からすれば、諦観や忘却に意識が留まるのはよろしくないと言える。
一方で、被災したとき初めて取り戻される本来の人間らしさを、芥川龍之介は手記「大正十二年九月一日の大震に際して」の中で記している。
「大地震のやつと静まつた後、屋外に避難した人人は急に人懐しさを感じ出したらしい。向う三軒両隣を問はず、親しさうに話し合つたり、煙草や梨をすすめ合つたり、互に子供の守りをしたりする景色は、<中略>殆ど至る処に見受けられたものである。<中略>芝生に難を避けてゐた人人などは、<中略>如何にも楽しさうに打ち解けてゐた。<中略>大勢の人人の中にいつにない親しさの湧いてゐるのは兎に角美しい景色だつた。僕は永久にあの記憶だけは大事にして置きたいと思つてゐる」
災害に遭いたいと思う者はいない。今度の台風の被害が、最小限に済むことを願うばかりだ。
他方、被災した者にしかわからない”真理”のあることも確かだろう。そこかから大事な人と人とのつながりが生まれるのなら、単なる災難にとどまらない、人智を超えた存在の導きを感じることも出来るはずだ。
いずれにしろ何事も、ほどほどで済めばそれに越したことはないけれど。
イラスト Atelier hanami@はなのす