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男と女と

「LGBT理解増進法」とは、僕たちマジョリティ(多数者)に向け、性的マイノリティ(少数者)の存在を理解させようという理念法(基本理念を定める以外、具体的な規制や罰則については特に規定していない法律)である。
それ自体、大きなお世話というものであり、ここまで心の問題に踏み込んだ法律があるのは日本のみである。

ではそもそも、対象となるLGBTに該当する(と思われる)人たちの間では、互いの存在を理解し合い、認め合っているのだろうか。当事者によるとても興味深いレポートを見つけた。

いつのことか、四十代初めのゲイを部屋に招いたことがある。私の部屋には本が多いので、「お勧めはどれ?」と彼は問うてきた。色々と紹介した後、一冊の百合漫画を勧めたのである。パラパラとページを捲り、彼はこう言った。

「ところで、レズなんて本当にいるの?」

びっくりした。あんたは同性愛者じゃないのか。

「そりゃいますよ」と言ったものの、レズビアンなど当時の私も見たことがなかった。

基本的に、男性当事者は男性当事者にしか会わない。女性当事者も同じだろう。異性愛者の多くが同性愛者を見たことがないように、レズビアンを見たことのないゲイや、ゲイを見たことのないレズビアンも多いのだ。

カミングアウトしてからは、女性当事者と話したり、会ったりするようにもなった。それでも、女性当事者と初めて話してから一年しか経っていない。

「LGBT」というレッテルを貼られて。(千石杏香)カクヨム

文中の百合ゆり漫画とは、女性の同性愛や恋愛、それに近い親密な関係を描いたジャンルだ。
1970年代、男性同性愛者は「薔薇族ばらぞく」と呼ばれ、女性同性愛者はその対義語となる「百合族」という呼称が定着していた。
その性癖のない僕でも、子供の頃からゲイやレズと呼ばれる人たちの存在は知っている。ところがここに登場するゲイの彼氏は、異なる性的志向者を架空の存在と捉えている。女性同性愛者に、まるで実在するリアリティを感じていないのだ。

しかしゲイは男にしか関心がない。むしろ女性を異分子として見ている節がある。このような傾向はレズビアンからも感じられる。なので互いに関心を持つことは少ない。

私の知人のレズビアンは「仲が悪いっていうか、寄り添わないんだと思いますよ」と言っていた。

「あたしなんか、九〇年代の初めごろ、新宿二丁目にあるビルの階段を昇っていたら、ゲイから蹴っ飛ばされたことありますよ。そこにある物っていう感じでしたよ。」

私の知人のゲイは、「寄り添わないというより、寄り添えないんだと思うよ」と言った。

「知り合いのFtM(女性から男性になった者)に誘われてレズビアンバーに行ったことあるんだけど、すげー敵対心強かったよ。俺はゲイだって言ったんだけど、『何しに来たんだ』っていう目を向けられたの。ノンケが二丁目に何で来てんの的な意識が強いんだと思う。」

このようなことはLGBT活動家も認めている。

「LGBT」というレッテルを貼られて。(千石杏香)カクヨム

彼らにとって異なる同性愛者は完全な異物であり、互いを理解しようなどという気は初めからない。むしろそれぞれは、憎悪の対象にさえなる。
当事者にとって寛容や多様性などという概念は、むしろ矛盾にしか過ぎない。
己が愛する相手やその世界こそが彼らにとって人生のすべてであり、ひるがえってそれは、僕たちの価値観そのものでもある。

その一点において、LGBTに総称される人たちと僕たちマジョリティ(多数者)は、想いを共有できるはずだ。遠い異国の殺戮さつりくよりも、自分の家族や集団を優先的に考えたとして、誰に責められる筋合いもない。
むしろ自分の妻や夫を、子や孫を、かけがえのない存在と胸を張れる人を、みな好ましく感じるはずだ。

そのとき大切なのは、理解する気のない(理解しがたい)相手を無理に理解しようとすることではなく、適度な距離を保ちながら、互いが傷つかないよう尊重し合いましょうとする態度だ。
引用文の末尾に現れる「LGBT活動家」だけが、感情ではなく政治的理念・野心・利害から、それぞれの生き方の相違を一緒くたにしているに過ぎない。

むしろ、理解しようと近づくほどに、嫌悪と憎悪は拡がるだけかもしれない。
だからこそ、日本人生来せいらいの倫理観に制限をかけるこの法律に不快の念を抱き、極めて危険と感じてもいる。
「理解増進」の先に待つものは、社会の混乱と分断にしか思えないのだ。

最後に、同性愛傾向の強かった三島由紀夫の言葉を紹介して終わる。

「私自身の経験に即して言うのですが、性や愛に関する事柄は、結局百万巻の書物によるよりも、一人の人間から学ぶことが多いのです。われわれの異性に関する知識は異性のことを書いたたくさんの書物や映画よりも、たった一人の異性から学ぶことが多いのです。ことに青年にとって、異性を学ぶということは、人生を学ぶということと同じことを意味しております」

三島由紀夫の言葉 人間の性

若き日に「一人の人間から学ぶことこそ」「人生を学ぶということ」。
それが多数者も少数者もひっくるめた、人間に対して本当の「理解増進」に繋がる、唯一の道かも知れない。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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