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ラスト・ワルツはあなたに

今日は10時から、地元の滝へと続く遊歩道をお掃除そうじする日だ。
そこから昼をはさんで、こちらも月1回恒例「井戸端会議」の予定になっている。

発案者のヒロシさんが急にあちらの世界へと旅立ってしまい、ひとまず現自治会長がまとめ役を務めることになった。
一度始めたものなら一人欠員が出たからといって、続けるに越したことはない。会長さんにはご苦労おかけするが、なんとか定着させていきたいもんである。

8月14日には、数年ぶりに集落の盆踊り大会が行われた。こちらも最後まで、ヒロシさんが開催に向け力を注いでいたイベントだ。
企画された段階ではすんなりと決まらず、いっとき開催が危ぶまれたのは、予算面から自治会側が協賛を渋ったためだ。

これまではやぐらを組んだり、四方に綱を張って提灯ちょうちんを下げたりの作業を、踊りの会の有志が自手で行ってきた。
それがこの数年の空白期間に、皆その分だけ齢をとって体が言うことを聞かなくなり、外注したいのでかかる経費を自治会で負担してほしいと要望したのだ。
これに対し、筋が違うと自治会七役が突っぱねた。協賛金の分はいつも通り出すが、それ以上はそちらで考えろというわけだ。

それだけ聞くとずいぶん薄情な扱いと思いもするが、知ればもっともな過去の経緯がある。
ずいぶん前の話になるが、かつて盆踊りの主催は自治会だったそうだ。愛好会の人たちは準備だけすれば、かねの心配は一切せずに済んでいた。

そこは昔の田舎の事だから、打ち合わせと称しちゃ何度も飲んだり食ったりを繰り返す。終われば終わったで打ち上げやら反省会やら、ともかく1回じゃ済まないわけだ。
その結果、一夜ひとよ限りの盆踊りをやるのにン10万円の出費となり、その大半が宴会に消えるもんだから、さすがに自治会側でキレてしまった。今後の盆踊りは愛好会主催で、勝手にやれとなったわけだ。

今となっては、宴会やろうなんて元気な年代の関係者は皆無である。準備はおろか予算も底を尽きかけている。残りの貯金をすべて吐き出し、今回を最後の盆踊り大会にしようじゃないかとなった。
すると自治会側でも、最後というなら予算をつけようかと態度を軟化させ、好天(暑すぎるのが難ではあるが)にも恵まれる中、有終の美を飾れたわけである。

ちなみに僕は幼少期より、人の集まるところが苦手である。
祭りなどと、浴衣ゆかたの人々がつどって踊る賑やかな場などもってのほかで、付き合いで仕方なく同行したことはあっても、盆踊りとは縁のない人生を送ってきた。

それが神社の総代を務めるころから、「祭り」も「祀る」も「祭りごと」も意味は一緒で、神聖なハレの場にたみが集まり神さまに感謝をささげ、あるいはお天道様に恥じぬ祭りごと(政治)を行うところと知れば、認識がまるで変わってくる。
最後の盆踊りを見届けようと、日の暮れるころ現地に向かった。

子供も激減し、高齢者ばかりのさぞや寂しい祭りだろうとの危惧は、行ってみて吹き飛んだ。
さほど広くもない自治会館前の駐車場に設置されたやぐらや夜店は、どこから湧いて来たかと驚くほどの子供たちで、いっぱいになっている。
年齢も様々で、若いカップルの姿もちらほら見かける。常に100人は超しているだろう人々が途切れぬ音頭に輪になって踊り、焼きそばをすすり、かき氷に好みのシロップをかけてはかき込んでいる。

正直、びっくらこいた。
これだけ活気にあふれた祭りが可能なら、まだまだここにも再興さいこうの機会はあるんじゃないかと思わせる。
みんな、心からの笑顔で踊っている。62年も生きてきて今さらであるが、盆踊りっていいもんだなぁと、実感させられた次第だ。

今の人たち主催の盆踊りは、今回が最後になる。それでも出店に協力してくれた地元企業や消防団がその気になれば、来年以降だって開催は可能じゃなかろうか。
堅苦しい話は一切抜きに、ご近所さんが輪になってひたすら踊るという今やまれな機会である。このままやめてしまうのは、実にもったいないぞ。

図らずも集落最後の盆踊りは、ヒロシさんに捧げるまつりとなった気がする。
でも、ザ・バンドが「ラスト・ワルツ」という解散コンサートの後も個別に活動を続けたように、生きている人間には、踊り続ける資格と義務があるように思えてきた。今日の「井戸端会議」のテーマにしようかな。

天に召され、我が集落の守り神となったヒロシさんにしても、お空の上からオラが村の末永い繁栄を、見守り続けているに違いないんだし。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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