昇天するオルガン
今じゃ日本ジャズ界重鎮のお一人・寒川敏彦氏(現在はKANKAWAを名乗られているようだ)が、神奈川のど田舎のジャズ喫茶でなぜライブを演ったかの経緯は、今となって定かでない。1980年代の話だ。
ここでライブと言えば、ムハル・リチャード・エイブラムス、デレク・ベイリー、ペーター・ブロッツマン、エヴァン・パーカー、小杉武久、風巻隆、高木元輝、豊住芳三郎といった堂々たるフリー系の方々ばかりだったから、王道系ハモンドオルガン奏者による”普通の”演奏にかえって免疫がなく、面食らったもんである。
(ジミー・スミスで馴染みかけていた)ハモンドオルガンの実物を間近に見たのも、この時が最初だ。
ただでさえ狭小な空間に本体と※レスリースピーカーが置かれただけで、すでにきっつきつ状態になる。
そこにバンドのメンバーが加わるのだから、観る側は文字通り立錐の余地もない。仮に二酸化炭素濃度でもはかったら、かなり危険レベルの数値を示したんじゃなかろうか。これも、昭和あるあるである。
「やっぱライブっていいよね!」
ふだん辛口な面々が、ライブ終了後に寒川さんに送った賛辞だ。純粋に演奏を楽しめたという実感の込もったもので、それ以上でも以下でもない「程の良さ」に、その場は満ち満ちていた。
いつもなら終演後はミュージシャンと一杯会が始まるところ、おそらくはツアーの途上だったか、片づけが済むとすぐに車で去っていった。
その間もメンバーの皆さんはずっとご機嫌で、僕らも快くお見送りできたわけだ。
フリー系の場合、スゴイ演奏はとてつもなく凄いんだけど、冗漫さから「いつ終わるんだよ」的な回も、少なくなからずあった。
メロディー、ハーモニー、リズム、テンポ、調性や主題という、本来であれば音楽を構成する要素を悉く否定するところから始まるフリーの即興演奏は、技術も内面もいっさい加工されることなく、奏者の総てがむき出しになってしまう。
単なるデタラメなら、楽器を扱えない僕にもそれらしい振る舞いは可能だが、聴くものを圧倒するには、凡百の技量ではとても叶わない。
だけど聴き手が数少ないスゴイ演奏にぶつかってしまうと、それは一生モノの「経験」として残る。
ムハル、ベイリー、ブロッツマン、そして小杉さん。
この人たちのナマをかぶりつきで味わってしまったがために、その後の人生観が大きく変容した気がする。
その夜の寒川さんのハモンドは、あくまでジャズというジャンルにおける、”お約束”の中での演奏だった。でも、それだけで充分じゃんとも思わせてくれる、本気で、音楽の原点みたいなプレイでもあった。
スピーカーからぐるぐる回るローターの動きも、音楽が呼吸しているようで楽しい。寒川さん達が日本人であろうと、このグルーブ感はブラックミュージックのうねりそのものだった。
「音楽は世界共通の言語」などと、言う人次第で空々しい言葉にも聞こえるが、黒い音楽を肌色の日本人がやったからって、”うそ”になるとは限らない。
その夜のハモンドオルガンは、ある意味で偏狭な聴き方をしていた僕に、新たな気付きを与えてくれるものだった。
たまたま12月8日がジミー・スミスの誕生日で、ハモンドオルガンをネタに記事に仕上げようと思ったら、毎度のごとく脱線してしまった。
なんせ素人の戯言だから、この楽器の本質からズレた点があってもご容赦いただくしかない。
ところで、ジミー・スミスの代表盤って、何になるだろう。BLUE NOTEならどれを選んでも当たり外れなく、高水準な盤ばかりだ。
Verveはよりメジャー路線の時代だが、こっちもご機嫌な演奏が目白押しで、一枚となれば選ぶのが難しい。
Quentin Warrenのギター、 Donald Baileyのドラムによる、テレビ用ライブの映像がある。音も映像も高水準で、これなんか良さそうだ。
17分過ぎに始まるディジーガレスピーの『The champ』なんか、焦らさずそのままイッちゃえるすげぇープレイだぞ。ぜひご堪能のほどを。
イラスト Atelier hanami@はなのす