なんかやる
齢62にもなって、これからどうしよかなーなどと考えるのも珍奇な話しである。
僕ら世代の年金は65歳からであり、受給するにはまだ3年近くある。だいたい、貰わずに済むならその後も自分で稼いで生きていたいものだと、稼げもしない現実を前に夢想したりもする。
なぜか知らぬが、現役時代に支出した分を回収したいというメンタルはまるで働かず、死ぬまで年金を受け取らないのが理想である。
少なくとも元気なうちは自分で何とかしたいと、いまの環境を考えるとかなりな高望みばかりしている。
実際のところはこのままいけば、繰上げ受給の方がはるかに現実的だろうが。
地域に貢献できて、自分もそこからの上りでなんとか暮らせるようになりたいもんだと、ここ2年ほど活動してきた。
前者はなんとか形になりそうだが、生活を安定させるのがすぐには難しそうだということが、ここ数日の動きで見えてきた。
もちろん、それはそれで諦めていない。
物事は一度動き始めてしまえば、どこかで思いもしない展開が生まれるのを肌感覚で知っているから、よほど無茶な前提がなければ(けっこう今の状態が無茶であるが)まずはやってみるつもりだ。
問題は、そこに行きつくまでどうするかだ。目標とする事業から、少なくとも当面ほとんど収入が見込めないのであれば、並行して違うことも考えなけれなならない。で、これからどうしよかなー、なのである。
ええ齢こいて、いったん自分の可能性を棚卸ししてみようかと考える。
やる前から、お前なんかなんもねーじゃんと言うは易しだが、これまでの儲け下手な「自分」にこだわらず違う「自分」に仕事をさせてみるのも、今の時代なら可能かもしれない。
だからって、あまりそこに時間や労力はかけられない。投資など、今の自分にはもっての外(っていうか不可能)である。
いわばラクして儲けるという、誰もが願い、僕など最も不得意な分野に貯戦してみるかと、今朝思った。
健康のためなら死んでもいいという人がいるが、ラクするために死ぬ気でやってみるのも悪くない(実際には「死ぬ気」になどならず、むしろお気軽に始めたいもんである)。
試して失うものは何もないし、それがささやかでも他者の幸せにつながるようであれば、自ずと結果もついてくるだろう。
貧すれば鈍するの格言を肝に銘じ、差し詰まる前に動き出そうか。
無い頭もそれなりに働かせていれば、老化防止に役立つだろうし。
イラスト Atelier hanami@はなのす