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グチから生まれた至高の芸術
タモリによるジャズのアドリブの定義は、以下の通りだ。
アドリブのなかには、ジャズマンのくりごとが入るんです。
「俺はこんなふうに、たいへんだった!」
だから、ジャズは、きくんじゃなくて、きいてあげるもの、なんですよね。
ぐじゅぐじゅぐじゅぐじゅいってるのを、
「あ、そう? ほんとぉ? 苦労したんだなぁ」
と、きいてやるのが、ジャズを好きになる人なんです。
2005-05-21 (c)Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005
かつてテレビの中でも、同様のことを語っていた記憶がある。タモリにとってアドリブとは奏者の愚痴のようなものであり、グチを聴き上手な人がジャズファンというわけだ。
チャーリー・パーカーの凄まじいアドリブを聴いて、それがバード(羽ばたく鳥のように自由で華麗だったためついた彼の愛称)の繰言などとは、とても思えない。
一方で、ジョン・コルトレーンの延々続くかと思われるソロなんかだと、言われてみればコレ愚痴かもしれんなぁと、思ったりもする。
「きのう病院行ってマイナカードで受付しようとしたらさ、機械がバグって全然反応しなくなっちゃってさ」みたいな”テーマ”から始まり、「こっちは尿管結石の症状が出て七転八倒してんのにさ、『今から業者呼びますんで』なんて受付が呑気なこと言いやがるもんだから『オイ!こっちは生きるか死ぬかなんだ、つべこべ言わずすぐに医者に診せろ!』ってちょっと暴れたら110番しやがって、警官が来て『おとなしくしてください!』と両脇抱え込むもんだから『いっそ殺しやがれ!』と拳銃抜きとって、膀胱あたり撃ちぬこうとしたら失禁しちゃって、そしたら石がうまいこと外に出て『あぁ助かった~』って思ったんだよねー」
みたいな展開を、きっとアドリブで表現しているんだろう。知らんけど。
ひと言で言ってアドリブとは瞬間に作曲し、それを即演奏に変える行為だ。
瞬間作曲・即演奏といえど、ひとつの流れ(芝居でいえばストーリー)に沿っていなければならない。
流れと言っても、そんなに無作為に何のきまりもなく存在するものではない。そこには生理的・または人間の本能に沿った、コード(和音)の流れがある。
ロック、ジャズ・クラシック、音楽のジャンルによっても、ニュアンスはまったく変わってくる。
時代によって言葉遣いが変わるように、その国の言語や人間関係、立場によってコードの使い方も違ってくる。
ストーリーさえ合っていればどのような表現を使っても良いというわけでなく、時代背景や人間関係、その場の雰囲気にそぐわなければ、外国人が意味も知らずタトゥーにしてしまう漢字みたいに、イタイものになってしまう。
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ディキシーランドジャズ、モダンジャズ、スイングジャズ、ハードバップ等、使う言葉(音楽表現)の違いは明らかだ。
アドリブでは各コード進行に対して決まった音階があり、幾とおりかの音階を選択できる。音階を見つけるということは、調性を決定することだ。
あとはその和音に対して、ある音階でメロディーを作曲すれば良い。
その音階を決定するのはもちろん自分であり、優れたミュージシャンは自分独自の音階を見いだすことができる。
技術的に言えばアドリブとは、そういうことになるんだろう。
ジャズのアドリブを、内面から生まれ出ずる愚痴とするとき、その本流であるブルースまでさかのぼれば分りやすい。
ブルースとは19世紀後半、アメリカ南部のアフリカ系アメリカンのコミュニティで発展した音楽だ。
「ブルース」というジャンル名は、「blue devils」という言葉が語源とされている。
この言葉は、元々はアルコール依存の離脱症状時の状態をあらわす言葉として使用されていたが、時代とともに意味が変化し「興奮した状態」や「憂鬱な状態」を表す時に使われるようになった。
ブルースが音楽史に登場してくるのは、19世紀末の頃だ。
ブルース前史としての「ブルースらしきもの」の系譜であれば、それよりはるか以前まで辿ることも可能である。
現にブルースやジャズを、「アフリカ黒人が奴隷として大陸に連れてこられて、白人の音楽と融合してできた音楽」といった説明もなされる。
たとえば、奴隷船や農場で黒人たちが歌っていた「ハラー」と呼ばれる歌にはコール&レスポンスや平均律に収まらない独特の節回し(ブルーノートらしきもの)など、今日のブルースに通じる音楽的要素が多く含まれていたという記録が残っている。
たしかにマイルスやオーネットなどをブルースと対比すれば、インテリによる洗練された音楽になっているし、西洋音楽の影響は多分に含まれる。
しかしいずれの時代にあっても(現代までくるとかなり怪しいが)、根本にあるのは”黒人”だけがもつ強固な血脈と表現手法である。
よってジャズもブルースも”黒人”の音楽であると、個人的には断じてしまおう。エヴァンスや憂歌団が、そうじゃないとは言わないが。
ブルースは歌が主役で、日常についてや自分の内面、辛い日々の嘆きなどを題材に、主にギターを伴奏にしながら歌われる。
貧しい黒人が比較的安価だったギターを手に取り、空いた時間に苦しみや日常などについて歌うことを始め、ブルースが生まれた。このような背景から、ブルースは一人で個人の内面を歌うといったイメージがある。
つまり、愚痴である。
安酒場で飲んだくれ、報われない人生を嘆いていれば愚痴に過ぎなかったものが、ギター片手に「今日の仕事も辛かった」と歌にした時から、ジャズにまで繋がる至高の芸術が生まれてしまうんだから、何があるかわからない。
愚痴の効用も、侮れないもんである。
イラスト Atelier hanami@はなのす