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忘れらないものだけを

「忘れる」とは、「あるものを思い出せなくなる」状態だ。

心理学で「記憶」とは、『覚える・維持する・思い出す』の3ステップによって構成されている。このいずれかにエラーが出ると、「忘れる(思い出せない)」ということになる。

嫌な思い出がなかなか忘れられないのは、思い出の「一連の出来事」に「その時の感情」が結びついたまま、記憶されているためだ。
「感情」に関する記憶は、維持する能力との結びつきが強い。忘れづらさから「思い出すたび嫌な気持ちになる」ループにおちいってしまう。

かつて人類が厳しい環境を生き抜くために、「避けなければならないこと」として、恐怖や危機を感じた経験をより忘れにくくする能力を持ったという説がある。

嫌な思い出を何度も反復するたびストレスを重ね、思いとは逆にしっかりと記憶してしまう。
「忘れる能力が強い人」とはこの「嫌な思い出を手放せる人」、理不尽なストレスに対して耐性が強い側面を持っていることになる。

心にたまってしまったストレスから、励みになるものだけを抜き出して嫌なものを「忘れる」ことができれば、新たなストレスを受け止める余裕も確保される。
いつもポジティブな人というのは、心の棚卸たなおろしがうまいのかもしれない。

忘れることは「嫌な思い出を手放せること」。
これは「思い出(経験)」と「感情(苦手意識)」を切り離すことにも関連する。
「忘れる」ことを意識的に選択できる能力は、「忘れる」ことのメリットを活かすことにつながる。

「忘れる」ことで恐怖感や意識を分散させ、必要以上の緊張や以前の記憶を薄めることができれば、普段通りか、それ以上の実力も発揮しやすくなる。
そうなるには成功体験や、無事に乗り換えた経験を積み重ねることだ。
過去の失敗体験が、「自分はできる」という自信と、「できた」という達成感を伴う経験で、上書きされていくことになるからだ。

プライベートでショックな出来事があったり、仕事上で大きな失敗があったりで「仕事が手につかない」状態になってしまう。業務上の支障が出るのはもちろん、ずっと落ち着かない状態は、本人にとって何よりつらいものだ。

ひと言で「忘れる(思い出せない)」といっても様々さまざまあり、完全に「思いだせない」状態だけを指すのではなく、「この時間・期間だけ忘れる、置いておく」という機能もある。

自分の感情やモヤモヤを忘れて他のことに集中する(できる)、辛い状況から離れて業務に集中する(できる)時間をもうけることには、「ショックからの回復」や「つらいと感じる時間から離れて、心を休める」という役割がある。

人間の脳には「防御機構」という、つらい状況や不安から心を守ろうとする機能が生まれつき備わっている。テストや締め切りが迫った仕事があるのについ部屋の掃除や遊びの予定を入れてしまうのは、「防御機構」が働くためだ。
事前に嫌なことが待ち構えていると業務や目的と全く関係ないことをし始めてしまう「逃避」は、結果として時間や体力を余分に取られてしまう。

嫌なプレゼンや会議が翌日にあるのに、どうしてもだらだら職場に居残ってしまう。このような「逃避」は最近の研究によって、「不安や焦りから 衝動性が強くなってしまうため、目の前のささいなことに集中してしまう」というメカニズムが解明されている。

どうして忘れるかという質問への唯一の答えは、「どうして覚えているのか」ということだ。どうして覚えているかを理解できれば、どうして忘れるかも理解できるようになる。

ここで「忘れる」ことが記憶において、もっとも効果があるとの仮説を立ててみる。
僕たちは毎日起こる事のほとんどを、忘れてしまう。
場所、物、色、音、名前、色々なことを忘れてしまい、丸一日分、あるいは何年もの記憶を思い出すことができない。それはなぜなのか。

記憶のシステムがどう働いているかということが、鍵になりそうだ。
忘れるというのは、人間の適応性という説がある。脳には全ての経験を記憶しておくほどのスペースがないため、一番重要なものや将来必要になるものだけを保存しておこうとするからではないか、そのような発想だ。
普通の出来事よりも感情的な出来事が記憶に残ることの説明も、これでつく。感情的な出来事を記憶していると、こんご有益な方向にいくため使えもすれば、危ないところを避けることにも使えるからだ。

もし全部を記憶できるほどのスペースが脳にあったとして、出来事の全てを覚えておく意味があるのか。1週間前に書いた食材の買い物リストを、全て把握しておく必要などないはずだ。
僕たちは毎日、平凡なようでも色々なことを体験している。直近で重要ではないと判断されたものを脳が捨ててしまうのは、理にかなっている。

脳が長期間記憶を保っておくことができるのは、何度も何度も同じことを繰り返した経験だ。
最初の就職先への通勤路、子供の頃住んでいた家や一緒に遊んだ幼なじみなら、思い出すことは容易だ。
何十回、何百回と繰り返された経験ほど、脳は中から記憶を引っ張り出してきやすい。ではどうして、詳細でまれな記憶がすぐ失くなってしまったりするのか。

たとえば、好きなドラマの1話目を見たとする。
放送が終わる前までは番組内で何が起こったかを詳細に覚えているが、見終わってすぐに2話目を見ると、1話目の内容の記憶が低下している。
それは脳が2話目を符号化していくときに、1話目とオーバーラップして干渉を起こしてしまうからだ。

脳は新しい情報があると、すでにる古い情報の上に覆いかぶせようとする。その方が効率がいいからで、どうしても古い情報の上に新しい情報を載せてしまう習性があるのだ。そのため覆いかぶされた古い情報を、忘れてしまうということが起こるわけだ。

繰り返しの練習は、すべてにおいて重要な要素になる。どうして記憶していたことを忘れてしまうのか、何が記憶を忘れていいものにしてしまうのか。これは、どれだけよく「練習」をしたかということに関連する。
たとえば、ドラマの2話目を見る前に1話目を5回連続で見たとする。すると、記憶は「練習」によって、より強化されているはずだ。

忘れることが、悪いこととは限らない。
ある研究では、人間は自分に不要なことは繰り返しの「練習」なしで、故意に忘れていくことができると証明されている。
なにか覚えていたくないことを経験した場合、それについて考えないようにすれば繰り返す「練習」の機会が失われるので、だんだん他からの情報の干渉によって、忘れてしまえるのだ。

決して忘れられず、そもそも忘れたくないものだけが残っていくなら、人生はなんと輝き、豊かなものになっていくことだろうか。

Atelier hanami@はなのす

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