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17歳から22歳
ときどき無性に、九州博多ラーメンが食べたくなる。
昨日、1時近くに打ち合わせが終わり、昼をどうしようか考え久しぶりに「博多らーめん替玉屋」に行ってみようと思った。
いつもの「王道の博多らーめん」が800円。数年前来たときは600円台だったから、ずいぶん値上がりしたもんだ。
その代わり緬1.5倍がサービスで、店主のご苦労がうかがい知れる。昨今の食材費・家賃・人件費・水道光熱費等の高騰から考えれば、税込800円はかなり薄利かも知れない。
外食をめったにしないので今の相場はよく知らないが、どうやら1,000円前後がラーメン業界の平均値になっているらしい。ワンコインが常識だった時代からすれば、ラーメンも庶民の食い物じゃなくなってるよなぁ。
明日、選挙か(ひとりごと)。
淡い色合いのスープにチャーシューとキクラゲ、青ネギが載る。卓上には辛子高菜にニンニクチップ、白ごま、紅ショウガなどが用意され、多彩なトッピングが楽しめる。
小麦粉の味が強くスープを吸収しやすい低加水極細麺の硬さは、「やわらかめ・ふつう・かためん・ばりかた・はりがね」と5種類ある。僕はほとんど茹でない、「はりがね」が好みだ。博多ラーメンには、このくらいの腰の強さでちょうどいい。
豚の旨味を存分に抽出したトロトロの豚骨スープ。濃厚でも豚のくさみは一切感じられず、ついつい飲み干してしまう。塩の味加減がまた絶妙なんだ。
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別に、グルメレポートしようとしてるわけじゃなかった。
久々の緬を旨めーうんめー啜って無くなりかけるころ、初めて店内のBGMに耳が行く。
曲は『22才の別れ』で、女声によるカバーだ。どこかで聴いたことのある声だが、思い出せない。耳に心地いい声質で、気になりだすとそのままにはしておけなくなる。
僕のスマホには、Shazamというアプリが入っている。
Shazamを立ち上げ、今かかっている曲を数秒間聞かせると、このアプリケーションが音響指紋を作成する。
取得した音を解析し、数百万曲の音響指紋データベースの中から一致するデータが検出された場合には、アーティスト名・曲名・アルバム名などの情報が表示される仕組みだ。
コレ何だっけ~?のままが我慢できない僕としては、必須のアイテムとなる。
だからってあまりマイナーなのはヒットしないし、今どきの店だと、たとえばそば屋が古いジャズをBGMに使うという、客の立場にまるで忖度しない振る舞いをしたりするものだから、こっちは食事どころではなくなるわけである。
ひたすらブラインドフォールド・テスト(ジャズの演奏を何の情報も与えずに聞かせて、その演奏者などを推量させる遊び、つーか拷問)されているみたいなもんで、あ、これはハンク・モブレーだなとか当たりをつけたあとに、Shazamで正解を求めるわけだ。
これが当たるとオッシャー!と握りこぶしを作り、ハズレだと「俺も本当はそっちだと思ったんだよな」などと心中、負け惜しみを言ったりする。
最悪なのはShazam先生が答えを教えてくれない場合で、けっこう後々まで引き摺るのである。
おそば屋さん、BGMにするなら昔の歌謡曲辺りが無難ですよ。
さすがに『22才の別れ』は出るだろうと思って起動すると、意外に苦戦しているようだ。いくら曲が有名でも、カバーだもんなぁ。しかしこの声は、無名じゃないはずだ。
ダメかな~とあきらめかけたとき表示されたのは、「荻野目洋子」である。
あー、確かに。でも、意外。
かつての四畳半フォークが、今じゃ『ダンシング・ヒーロー 』かい。
中学校に上がった頃、クラスの女子の間で流行っていたのが「かぐや姫」だ。解散した直後くらいで、最後の2枚組アルバム『かぐや姫フォーエバー』を持ってきては、女子同士が貸し借りをしていた記憶がある。
ちなみに男子は、やはり解散していたビートルズの第1次リヴァイバルブームの時期で、洋楽中心にレコードを持ち込んでいた。
僕もビートルズに始まり、しばらくして洋楽ロックに移行する。ディープ・パープルやキング・クリムゾンを密閉型ヘッドホンでガンガン鳴らし、おかげでその頃から難聴気味である。右耳は低い周波数をまるで拾えない。
「かぐや姫」のように、邦楽のレコードをわざわざ買うという女子の感覚が理解できずにいた。
小学校の頃とは違い、女という存在が未知で、理解し交わることなど不可能なほどはるか遠くにあった気がする。
それでも女の子の一人が「聴いてみなよ」と、かぐや姫のLPを貸してくれたことがある。
それが『三階建の詩』で、「かぐや姫」通算4枚目のアルバムだった。
聴いてみたけど、正直よくわからない。
曲も歌詞も音質も、肩まで伸びたロン毛の男3人のジャケットも、全体に「貧しい印象」で、このレコードにビートルズと同じ料金払うのかと戸惑ったくらいだ。たいした感想も述べず、翌日には返却してしまった。
そんな中、伊勢正三が作詞・作曲した『22才の別れ』だけが耳に残った。歌詞の中の”女”がもつ不条理や理不尽さ、神秘性を聴き取った気がしたからだろう。
それに初めて聴いた瞬間から、聴き手を不思議な「懐かしさ」で包む空気感がこの曲にはある。
今回あらためて聴いたら、歌詞にはいっさい表れない時代性を、初めて感受できた気もする。
(次回に続く)
イラスト Atelier hanami@はなのす