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記憶にございます

ケンブリッジ大学の研究によれば、人は1日に最大で3万5千回の決断を下しているとされる。
日々の判断を支えている主たるものが、「記憶」である。
社会に適応するための行動や、効力感(自分がある状況において目標を達成したり、遂行できる可能性を認知していること)を満たした記憶などをもとに、人は1日に3万回もの判断を下し、その判断方法が性格として形作られていくのだ。

僕たちは「覚えること」を「記憶」と呼ぶ。では、人はいったいどのようにして物事を覚えるのか。
心理学においては、人は「情報を覚えやすくする」「情報を留める」「情報を取り出す」という3つのステップを踏むことで、物事を記憶すると考えられている。
たとえば「物忘れがひどい」と言うとき、そもそも覚える方法が悪いのか、それとも思い出す力が弱っているのかなどと分析する際に、この区分が用いられる。

1つ目のステップは、「人の脳は覚えやすい形に情報を変換する」。
これを「記銘きめい」、または「符号化」と呼ぶ。

心理学において記銘きめいとは、新しく体験したことを覚える段階、つまり脳に情報をインプットすることを意味する。人間の記憶に取り込める形式に変換するという意味合いから、符号化とも呼ばれる。

記銘きめいの過程は、まず感覚記憶から「選択的注意」が向けられ、符号化された情報は短期記憶へ移る。
短期記憶には容量や持続時間に限界があり、一般的には何もしないと短時間(30秒以内)で消失するとされている。
一方、長期記憶には容量や持続時間の限界がないと考えられており、条件が整えば際限なく、かつ半永久的に保持されると言われる。

日本通所ケア研究会

2つ目のステップは、「情報を脳に留めておく」。
これを「保持」、あるいは「貯蔵」とも言う。
通常であれば「記憶する」とは、情報を脳に留める意味で使われている。
心理学的見地に立てば、この状態も記憶の1ステップに過ぎなくなる。

「保持」に関して、アメリカの心理学者ロフタス博士による実験データがある。
ロフタス博士は交通事故に関するスライドを提示した後、それを見た参加者をAとBの2群に分けた。
そしてA群には「接触した車のガラスは割れていましたか?」と尋ね、B群には「激突した車のガラスは割れていましたか?」と尋ねた。
するとB群は、実際のスライドは割れていなかったのに「割れていた」と答える傾向が顕著けんちょに見られた。「激突」という単語の印象に引っ張られて、保持した情報が書き変わってしまった結果だ。
このように人の記憶は、外的情報から受ける印象などによって、簡単に歪められてしまうことが分かった。

ロフタス博士らが行った別の実験では、参加者が幼少期に経験した4つの出来事を提示した。
そのうち3つは本当にあった出来事だが、1つはまったく身に覚えがない。
5歳の時にショッピングモールで長時間迷子になり、高齢の女性に助けられたという架空の物語だ。
参加者はそれらの出来事について覚えている内容を書き出すように、逆に覚えていなければ「覚えていない」と書くよう指示された。

この段階で24人の参加者のうち、7人が経験していないにせの出来事を、覚えていると回答した。
その後2回、一週間から二週間の間隔をあけ、4つの出来事の詳細とどのくらい覚えているかをインタビューする。するとにせの記憶は、思い出す回数が増えるほど記憶の鮮明度が向上したという。存在しないはずの記憶がよりはっきりと、「よみがえって」来たわけだ。

この研究は、人が経験していない出来事を「記憶している」ことがあり、かつその経験していない記憶を思い出す回数が多いほど、虚偽記憶が鮮明になることを意味している。
これまでの実験から、幼児期に「おぼれて死にかけたときライフガードに助けられた」「ディズニーランドでバッグス・バニー(ワーナー・ブラザースのキャラクター)と握手した」といった経験のない記憶であっても、形成されてしまうことが判明している。

このような幼児期の記憶だけでなく、後から情報を加えることでトラウマになるほどの出来事、たとえば捕虜となり、暴力や尋問じんもんを受けた相手の顔すらも、確信をもって誤った選択をすることがある。

アメリカ海軍には、戦争捕虜を疑似体験ぎじたいけんする訓練がある。
この訓練では30分間、尋問じんもん者から取り調べを受ける。訓練の一環とはいえ尋問じんもん者の質問に答えず、要求に従っているように見えない場合は、顔面を叩かれたり腹部にパンチを受けたり、無理な体勢をいられたりと、実際の身体的懲罰ちょうばつを伴う。

この間、被験者は尋問じんもん者の目を見続けるよう求められており、確実に相手のかおを認識しているはずである。
尋問じんもんが終わると独房に隔離され、顔写真を渡され写真を見るように指示を受ける。写真をみている間に、「尋問じんもん者はあなたに食べ物を与えましたか?」など、尋問じんもんに関する質問をされる。
このとき渡された写真は、尋問じんもん者とは違う人物だ。

その後、尋問じんもん者の写真を選択するよう求められると、9割もの人が本人でなく、独房でみせられた偽者にせものの写真を選んだ。
にせの情報や特定の行動へと誘導するプロパガンダに対して、抵抗できるよう訓練を受けた兵士でさえも、虚偽の情報にさらされることで誤った記憶を簡単に作り出してしまうわけだ。

「記憶」が経験したことを正確に記録していないという前提に立つのなら、記憶とは一体何のためにあるのか。
僕たちが一般的に考えている「記録する」という役割以外の機能が記憶にあるとすると、その機能とはどのようなものなのか。
(次回に続く)

Atelier hanami@はなのす

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