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日本的なラヴェル

生まれてから42歳になるまで、ラヴェルは実家で暮らした。
1917年に母を亡くし、弟が結婚すると寂しさを紛らわせるため友人の家を転々とし、数年は居候いそうろう生活を続ける。

46歳になった1921年、相続した遺産を使い、初めての自宅を購入した。
パリから45km離れ、広大な森の拡がるモンフォール=ラモリという田舎街だ。仕事のための静寂を求めながら、適度に友人との交流も必要としていたラヴェルにとって、パリからそう遠くないこの場所は、バランスがとれ理想的な土地だったようだ。

収集癖のあるラヴェルは知恵の輪やからくり人形、ガラスの中に模型が入った飾りなど、数多く集めていく。
中国磁器のティーカップ、シーシャ(水たばこ)、アフリカの部族の仮面らしきものに交じり、家中の壁には浮世絵や、日本絵師による肉筆画の数々がかけられている。ラヴェルが生きた時代のフランスでは、日本趣味(ジャポニズム)が流行していたためだ。

ラヴェル記念館
ラヴェル記念館

ラヴェルは日本の著作家で、戦前の大富豪として知られた薩摩治郎八さつま じろはちと交友があった。

― さっき嫌いな作曲家が出てきましたけれども、逆はどうですか、どういう作曲家が好きだったんでしょうか、ラヴェルは。
薩摩 日本の長唄は好きだった。よく知っていましたよ、日本の音楽のことは。三味線の杵屋佐吉がパリに来たときに、自分のためにやってもらいたいって申し込んできた、ラヴェルが。それでジルマルシェックスのうちに杵屋を招びましてね。それでもって聴かせたんですよ。
― そのとき薩摩さんもいらっしゃいましたか。
薩摩 もちろん行きました。ジルマルシェックスのうちの小さなサロンでね。でも何を弾いたか覚えちゃおらん。一生懸命に、ラヴェルは喜んで聴いていましたよ。

昭和50年1月30日発行 音楽之友社『素顔の巨匠たち』抜粋

ラヴェルの音楽が、日本文化からどこまで影響を受けたものだったかは定かでない。同じ長唄を聴いたにしても、当時の日本人の感覚とはかなり隔たりがあったろうし、あくまで彼が捉えた異国の響きにとどまっていたとしても不思議はない。
それでも、影響の度合いは別としてその表現に共鳴するものがあったのは確かだろう。

私は自分の音楽において、革新と伝統の完璧なバランスを常に模索しています。

「天才(ドビュッシー)は明らかに大きな個性の持ち主で、独自の法則を生み出し、絶えず進化し、自由に表現しながらも、常にフランスの伝統に忠実であった。音楽家としても人間としても、私はドビュッシーに深い尊敬の念を抱いてきたが、本質的に私はドビュッシーとは違う... 私は常に、彼の象徴主義とは反対の方向を追ってきたと思う」とラヴェルは記している。
ドビュッシーが作曲においてより自発的で屈託なかったのに対し、ラヴェルは形式と職人技に徹底したこだわりを持っていた。

ラヴェルが志向する「革新と伝統の完璧なバランス」を、日本の浮世絵や長唄の中に見出していたとしても不思議はない。

ドビュッシーが『海』初版の表紙デザインに葛飾北斎かつしかほくさい『冨嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」を選んだのは、彼の音とイメージが重なり合ったからだろう。
ドビュッシーの「海」も北斎の「なみ」も、受け手の想像は翼を拡げ、外に向かい無限に広がっていく。

そういう比較からすれば、ラヴェルの音楽は箱庭的で、あくまである枠の中を漂い、浮遊している。
『ソナチネ』より10年以上前の、極めて初期の作品『愛に死せる王女のためのバラード』など、両者のピアノの語り口にほとんど変化はない。
限られた空間の中にあるラヴェルの音楽は、活動の初期において完成してしまったかにも思える。

メロディーもまた音楽を構成する一要素としか捉えないドビュッシーと、メロディーこそが音楽の本質とするラヴェル。
それをラヴェルの限界とみるか、あくまで表現の質の違いでしかないとするか、判断に迷う。
確かにドビュッシーを聴いてしばしば感じる「天才」性を、ラヴェルに抱くことはない。だからと、前者を上位に置こうという気にはならない。

むかしジャズ一辺倒の知人がいて、何がきっかけだったかラヴェルの『弦楽四重奏曲』のCDを購入した。演奏はアルバン・ベルク弦楽四重奏団だ。
彼は冒頭のメロディーを聴いて、この曲にぞっこんになってしまった。
「こんなメロディー、どうしたら書けるんだろうって。分かんないだよね。この第1楽章だけで、オレ、ラヴェルって天才じゃんって思うんだよね」

アービー・オレンスタイン(アメリカの音楽学者)の言葉を借りれば、ドビュッシーの音楽が「あふれんばかりで抑制がなく、新しい道を切り開く」ものであるのに対し、ラヴェルの音楽は感情の抑制、伝統的な形式における革新、そして比類のない技術的熟練を示している。

この曲の第1楽章・第1主題はフリギア旋法に、第2主題がヒポフリギア旋法に基づいている。どちらも西洋教会音楽に基づく古典回帰の発想だ。
ちなみにこのフリギア旋法は、ジョン・コルトレーン『Impressions』やウェイン・ショーターの『Speak No Evil』中『Infant Eyes』で使用されている。実はジャズファンにとって、馴染みの旋法でもあるのだ。


機能和声の概念ではなく、異なる教会旋法を対比させることで、上品でいながら憂愁とモダンを醸成させている。これはラヴェル同作より10年間に書かれたドビュッシーの弦楽四重奏曲を分析し、意識した結果だろう。ラヴェル自身は「音楽の構成意志にこたえるために書いた」と述べているようだが。

遠く異国の音楽であるはずのラヴェルの作品のいくつかから、「日本」が薫ってくるのはなぜだろう。古典にむけるラヴェルの眼差しの中に、人類共通の原点のようなものがあるのだろうか。

イラスト Atelier hanami@はなのす


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