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命の音

ギタリストであれば、自分の中にいくつも引き出しがある。
引き出しの中には彼・彼女が今まで演奏し、コピーしてきたソロやフレーズなど、身に染み付いたものが収納されている。
引き出しの中から取り出したパーツを繋ぎ合わせ、組み替えて、新しいフレーズにしながらアドリブの幅を広げていく。技術の向上が、そのまま表現の自由度を高めていくことになる。
やがてそのギタリストらしい固有のフレーズが生まれ、それが「お約束」となり、指が無意識に辿たどる手グセとなっていく。

車を運転するとき、「俺はいま運転している」などと、いちいち意識したりしない。
アクセルを踏むのもウィンカーを出すのも、運転に馴染んだ身体の方で機械的に操作している。それゆえの安全運転であり、「今からブレーキを踏むぞ」などとまず頭に浮かべ行動に移すなら、またたく間に事故を招くだろう。状況判断として、それでは遅すぎるためだ。
ギターも同じだ。アドリブは身体が機械的に反応しており、手グセに任せていれば「事故」は起きない。

デレク・ベイリーがフリー・インプロヴィゼーションを始めたとき、彼は意識せずとも勝手にあちらから開いてくる数多あまた「引き出し」を、意志をもって開けまいと決めた。
手グセを矯正きょうせいするため、それを積み上げるまでに要したのと同じだけの努力、同等の時間をついやした。
前進することのみが、人間(=理性)にとってのかいではない。だからと、後退しようというのでもない。
これまでに得た経験と技術はそのままに、異なる表現のベクトルに向かおうとしたのだ。

彼がたたずむ視界の先に広がるのは、荒野のみ。
開拓されず、これからも開拓しようとする者などいない、道なき道だ。
これが東洋的な、禅問答のように静的内面の解決に向かう道程でないのは、ベイリーがヨーロッパ人だからである。
過去は過去として、歴史の存在を認めたうえで、その連なりの中に自らが加わることだけは、断固拒否する。
歴史性との全面的な対峙たいじは、私的闘争となる。それは勝つ見込みなど皆無で、共鳴する者すらほとんどいない、孤独な戦いだ。

「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずしてくじけることを拒否する」
1969年、東大安田講堂に書かれた有名な落書きだ。
革命を夢見た当時の学生たちを代表する、青臭くて、今となっては若気の至りとしか評価されそうもない文言もんごんだ。
だけど、僕は好きなのだ。
腐敗し地にちた現在いまの経済リベラリズムとは異なり、ここにあるのはむき出しの純な魂だ。
他国のように命をする必要のなかった「革命ごっこ」の結末を迎えたとしても、この言葉には人をふるい立たせる心根こころねを感じる。

デレク・ベイリーは生涯を通じて、連帯を求め孤立を恐れない人生を貫いたギタリストだった。共演の「資格」などありそうもない人達ともセッションを重ね、誰とろうと孤立し続けた。
ベイリーに代表されるヨーロッパの精神に対しては、強固さと同時にいびつさも感じる。僕たち日本人になじみの薄い絶対的な「神」という尺度の差異も、大きいのではないか。

音を記号化し、表現可能な能力を有すれば時代を問わずだれでも再現できるとした、ヨーロッパの合理主義。その極北きょくほくに立つベイリーもまた、ヨーロッパの歴史を背負う「理性」の使徒なのだ。
彼の偉大さに最大限の敬意をはらいつつ、いつしかその音楽を聴かなくなっていた要因は、そこにある気がする。

いまなら、ヨーロッパであればバッハやベートーヴェンを聴きたくなる。
非ヨーロッパならば、黒人の音楽・ジャズが聴きたい。

ベイリーを招聘しょうへいしたジャズ喫茶のマスターは、「あれは命の音だね」と嘆息した。
そうか、命の音なのか。なんか知らんが、カッコイイ言葉を聞いた気がする。
これをきっかけとして僕はこの店に通うようになり、気付けば20代、居場所を客席からカウンターの中に移し、大音量のジャズを毎日浴びながら過ごすことになった。

デレク・ベイリーと出会わなければ、ジャズという特殊な音楽に触れる機会もないまま、いたかもしれない。
だとすれば、あの日の出来事はこの上なく幸せな邂逅かいこうだったと、今に至るも断言できる。

イラスト hanami AI魔術師の弟子


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