ヒロシさん、今どのあたり?
突然、ヒロシさんが逝った。
昨日朝、時間になっても2階から降りてこない彼を奥さんが起こしに行くと、布団の中でこと切れていたという。
死因は心不全。
なぜ急に心臓が機能しなくなってしまったのかは、よくわからない。
今朝お悔みに伺った際の奥さんの話では、就寝前までお元気だったという。心の整理がまるでつかず、この先どうしていいかと途方に暮れておられた。たしか奥さんの職場の送迎も、ヒロシさんがやっていたはずだ。
「お父さんが家のこと、全部やってくれてたから… 」そう言った後、言葉を詰まらせる。
享年74歳。
老衰というには早すぎる。
まるで生きているようだとはお定まりのセリフだが、目を閉じ不精髭のままのご尊顔を拝しても、亡くなったという実感がまるで湧かない。本当にただ、眠っているようにしか見えなかった。
眠ったまま旅立たれたのだとしたら、年齢的に適切な表現でないかもしれないが、大往生と呼ぶのが相応しかろう。
「おれ、自分でもわかんないうち死にてぇよ」
そんな軽口をご本人が口にしてから、まだ2週間ほどしか経っていない。7月の滝掃除の際撮った集合写真で、「葬式に使うから、みんないい顔しろよ」と誰かが言ったのをうけての言葉だ。
その願い通りになってしまったか。願いがかなう時期は、もう少し後が良かったと思うが。
(彼がまだ現役のころに始まった)地元広報紙の2代目編集長を、20年以上の長きにわたって務めてこられた。
編集長を僕に交代した(させられた)今年4月まで、llustratorを駆使して、毎月凝った紙面を作り続けていた。
心配性で、面倒見のいいおじさんだった。
僕の仕事の少しでも足しになるようにと、ご自分の知り合いや関わる団体を幾度も紹介してもらった。
一昨年に地元をおそった水害では、きわめて対応の鈍い行政に代わり、各戸を回っては地元の声を吸い上げていった。ちょうど彼が自治会長だったときに、台風15号が直撃したからだ。
ヒロシさんが撮った写真をそのまま動画に上げているが、あらためて大変な被害だったのを確認できるし、地元の貴重な記録として、今後も残っていくだろう。
「おれ、奥さんが一番好き!」そう公言してはばからなかった。この年代の人にはきわめて珍しい。
「女房より先に逝かないと、あと困っちゃうよ」その言葉通り、ご自身は困らずに済んだようだ。奥さんからすると、まるっきり逆の立場のようだが。
滝の掃除を終えて、自治会館で昼食をとっていた時のことだ。
「オレもさぁ、小学校6年から中学2年まで、学校行かなかったんだよ」と、参加してくれたひきこもりクン達に語りかける。
「いじめとかそういうんじゃなくて… なんかさぁ、1回休んだらもう、学校行こうって気がなくなってたんだよね」
よく復帰してから、授業についていけたね。
「算数とかは、分かんなくなったところから勉強し直せばいいだけだから。苦手なのは、今でも漢字なんだよね。学校行かなかった時代の漢字、後から覚えようとしてもまるで出来なくって」
毎月の編集会議で誤字脱字に執拗にこだわっていたのは、そうした理由からだったか。
「こんないい加減なオヤジでも、なんとか元気で今日までこれたんだから。みんなも将来こんなもんだと決めつけないで、やりたいことやってみなよ」
ヒロシさんなりの、彼らに対する応援メッセージだったようだ。
僕と一回りも齢が違うのに、なぜか会話の肴にされるのは、いつもヒロシさんの方だった。
やりたい事でいっぱいの半面、やらない前から先行きにマイナス面ばかり思いつき、デメリットを次々羅列するのを僕がネタにしていた。
「なんでそんなにプラス思考なの?」と訊かれ、
「なんでそんなにマイナス思考なの?」との返しが、僕たちの定番だった。
これから先は、その掛け合いもできなくなってしまったわけだ。
イラスト Atelier hanami@はなのす