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還暦過ぎてもミニー・ザ・ムーチャー

むかしから集会が嫌いである。
だった、というべきか。
それが今だと、月に一度や二度開かれる集会が全く苦痛でない。中には自分が司会を務めるものも珍しくなく、この変わりようは何だろうと思う。

今で言うところの、マウントを取りたかっただけなのか。
自分を中心に審議が進行出来ていれば、それで満足だったかということか。
そうではない気がする。

むしろ、他人ひとなんてこっちの思い通りになるはずないという冷めた割り切りが最初からあって、会議なんてやっても意味ないんじゃない?的な、突き放した感覚が強かった。
集会といったって、声の大きい(つまり発言権のある)人間のひとり二人が場を占領し、あらかじめ決まっていたかのような結論に(はらで違っていても)誰も反論せず終わるのがオチ、とも思っていた。
何でそう考えるのか。かつて勤めた会社の会議で、僕自身がさんざん経験した来たことからだ。

その当時、月1度開く会議では出席する幹部6名(営業・各業務・総務・経理)から、事前に議案を提出させた。これで各人、一つ以上は自分の課題に対し発表する場を持つことになる。
ただ、提案はするものの具体的解決策までは辿り着かず、困った困ったを繰り返すうち時間切れとなるケースが、大半だった。
自己評価ばかり高く、自分の担当に問題などありませんと、どこかの総理大臣のような勘違い管理職もいて扱いに困りもした。現場からは「あの人、なんとかなりませんか」の声が、圧倒的に多かった御仁ごじんである。

それが今となって、人間のやることに無駄はないとつくづく思う。
ほぼ不毛と思えたかつての本社会議だが、自分が司会進行役だった為に、仕切りの能力が多少はついた。
2時間枠のペース配分、発言しやすい場の設定と、かたより過ぎないさまざまな発言の取捨選択。
個人の願望と具体的な目標との区分けなど、別に自慢したいわけじゃなく、繰り返す内に自然と備わってくるスキルである。

今の集会に話を戻す。
多くの意見を聞くコツのようなものがあるとすれば、発言しなさそうな人物から、事前に考えを聴取しておくことだ。
特に田舎ゆえの男尊女卑だんそんじょひ名残なごりが高齢者になるほどあって、せっかく少数の女性が参加してくれても、なかなか自分から発言しようという積極的な姿勢にならない。

そんな時、一度僕に対して述べた意見を本番で「どう思います?」と振られれば、抵抗の度合いは圧倒的に下がっている。さらに発言を促せば、独善的に主張するオジサンの意見より、はるかに有効で実のある考えであることが多いのだ。

いいか悪いかは別にして、結論を一定の方向に誘導することもできなくはない。物事の道筋を理論的にたどっていけば、そんなに幾つもの異なる結論が導き出されるはずもないからだ。
ある程度審議したら、結論は出さなければならない。日を改めて再度検討しましょうなどと悠長なことを言えるほど、皆さんヒマじゃない。
完璧さや完全な同意は望まず、前に進めることを優先している。大きなところで一致点を見れば、あとはやっていく中で改善すればいい。そう割り切ってもいる。

もうすぐ2年目を迎えるプロジェクトは、思いのほか進展が見られそうな気配になってきた。このまま、想定していたよりも1年分早い展開になれば、とてもありがたい。皆それなりのおとしだし、僕自身がこれに専念して食べていけるようにもしたいからだ。

振り返って、かつて苦手とした集会や会議は、結論を出して前に進もうという気概に欠けたものだったかもしれない。
それぞれの価値観がぶつかり合い、やがてそれが収斂しゅうれんして一つの方向性が自ずと見出せるような形を、望んでいたということだろう。

愚痴ぐちや陰口も否定はしないが、というより、それはそれで人間に備わった一側面として楽しめるクチだが、その手の話は気の合う仲間内でやっていれば良い。

目的をいつにした集まりに酒も料理も不要で(あればそっちがメインになるから)、ともかく新しいことやってみよう、そんな理想だか妄想だか判然としない挑戦の機会となれば、幾つになろうと盛り上がると思うんだが。
現役時代より今の方が楽しいのは、まさにその一点なのだ。

わしゃ今から、80過ぎても最強のキャブ・キャロウェイを目指すんだぜぃ。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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