気分のいい塒(ねぐら)
地元の歴史を学ぶ講座に参加した。全3回、今日はその初日に当たる。
プロジェクトのリーダーが講師を務め、補佐をするのは現役時代、学術書をしたためたこともある生涯学習交流館の館長さんだ。
こんな地味なセミナーじゃ人も少なかろうと、失礼ながら半分お付き合いの感覚で参加する。ところが熱心な聴講者は30名近くもいて、教室はいっぱいになっていた。
郷土愛の強い土地柄だなぁと、あらためて感心させられる。
最近、大磯に住む義父に会いに行った。
義母の仏壇に線香をあげ、家を出て妻と3人町役場まで歩いていると、途中にある小学校の下校時間にちょうど出くわす。学校の校門から一斉に飛び出してくる子供たち、校庭に散らばる児童たちの多さに目を瞠らされた。これが全校生徒となると、いったい何百人になるんだろう。町の規模からして、驚異的だ。
「ここは他所から越してくる若い世代が、ひっきりなしにあるからね。子供の数は減らないんだよ」
僕の暮らす少子高齢化著しいところとは、大違いである。むかしから良くも悪くも人口動態に変化のない町だったが、次世代を担う子供の数が安定しているのは、羨ましい限りだ。
一方で大磯には、静岡で言えば生涯学習交流館に当たるような施設はないらしい。住民がサークル活動できる施設が、皆無に等しいのだ。
核家族の現役世代が中心となれば、それも無理からぬことだろう。
地元に企業らしきものはないから、平日は東海道線に揺られながら都心に通勤する人がほとんどだろうし、仕事のストレスに加え、そこに家や車のローン、子供の教育費等の負担が嵩めば、頭の中はいっぱいいっぱいのはずだ。
よって、個々の関係性は希薄とならざるを得ない。彼らが現役を退き子供たちも巣立っていくころ、近所づきあいが貧弱なら、同じ世代が集る機会や環境のない未来が待っている。個人主義の生れの果ては、誰もが孤立する世の中とならざるを得ない。
義父のように自分で企画し、アクティブに活動する人ならいざ知らず、たいがいの老人世帯は行き場を失い、家に引きこもらざるを得なくなるだろう。
その義父も80代をとうに超え、元気とはいえさすがに気力体力の衰えは否めない。
最近まで地元農家を巻き込み、大学の研究所とも連携しながら、大磯に根差した事業を立ち上げようと腐心していた。残念ながら次世代に繋げるまでに至らず、ある程度見切りをつけたようだ。
採算性もめどがつき、もったいない話ではあるが、住民が都会生活者と同じ感覚の人ばかりであれば、そうなるのは致し方ない事だろう。
循環型の社会などとよく言われるが、世代間の循環が適正でなければ、環境への負荷低減以前に、人間社会が成り立たない。現代においてはこのバランスが、完全に崩れていると感じる。
その根っこにあるのは、郷土愛だろう。生まれた所のみならず、今いる場所をどこまで慈しみ未来に繋げようと考えるか。
大きかろうが狭小であろうが、持ち家でも貸家でも、新築であろうとあちこち壁紙の剥がれたボロ家であろうと、我が家は我が家であり、帰った時にホッと一息つける住処である。
同じようにホッとできるのが、外に出かけ地元に帰って来たときだ。
(お隣の平塚ふくめ)大磯には10年近く暮らしていたが、たった半日出かけただけで夜に帰宅してみると、何もない田舎のこの場所が、今の僕にとっての故郷であるのを実感させられる。肩の荷を下ろした気分になるのだ。
(時間が無くなった。次回に続ける)
イラスト Atelier hanami@はなのす