So Far Away
S氏主宰の異業種交流会には、アスペルガー症候群を自認する20代男子も参加している。
他者とのコミュニケーションにおいて、とくに日本人であれば相手の立場に立って気持ちを理解し、場の空気を読むことは不可欠な要素だ。
ところがアスペルガー症候群の人は社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージするといったことが苦手で、結果として周囲から敬遠されがちになってしまう。
周りからは「変わり者」と思われていても、自分自身は無自覚で、敬遠される理由がわからないままストレスを抱え、うつ状態・神経衰弱状態・強迫性障碍につながってしまう場合もあるという。
自己紹介をされる前から、A君には独特な雰囲気があるのに気づく。僕など自己防衛本能から無意識に使ってしまう、オブラートに包んだ表現というのがまるでないのだ。
「僕は○○市に住んでいて小説家を目指しています。その前にお金を稼いで家から自立したいのでYouTube動画の仕事をしています。こんどファンタジー小説賞の公募にノミネートするため作品を書きました。(作品の概要を説明したうえで)とても面白いです。(誰かに)見てもらったら文章と文章の繋がりがないって言われました。皆さんのお仕事も僕が動画にしますんでお願いします。来週は〇曜日と〇曜日なら空いています」
月1回の集まりはつど人が入れ替わっているが、アスペ(アスペルガー症候群)であることを公表したのは、参加した初回だけのようだ。彼からすれば人が変わろうと、1回言えば事足りると思ったのかもしれない。
だからA君が何者であるか認識もないままに、「なんか変わったこと言う奴いるな」くらいに会話を交わす参加者の方が多くなる。
そういう雰囲気、好ましい。
S氏が意図しているわけではないだろうが、A君をアスペという枠にはめることなく互いに話ができるのがいい。
「こんな物言いで大丈夫なんだろうか」と彼を気づかうフォローには、偽善ではない、その人の真心のようなものが伝わってくる。
場のゆるさがそのままに、ホッと息をつける心地よさを醸し出してくれるのだ。
これが会社となると話しは別だ。アスペであることを前提に採用され、無理なことを要求されない環境を最初に設定した方が、互いのためである。
過去、僕のいた会社にも、ADHD(注意欠如・多動症)の50代男性がいて、本人もそのことに気づかず生きてきて、何度も離職を繰り返す過去があった。職場の同僚から、不適格と判断されてしまうためである。
そう医師に判定されてから彼の人生は変わっていくのだが、それはまた別の機会に。
中にはそういうA君をおちょくって、自分の娘(本当かどうかもあやしいが)を紹介しようかなんて奴もいた。「僕は早く結婚したいです」と彼が言うのを聞いて、スマホの写真を「これだけど」なんて開いて見せるのだ。
本気になった彼が「ぜひ前向きにお付き合い出来たら思います」と挨拶すると、「そういやぁ、彼氏いるって言ってたっけ」とA君を落胆させる。
この手の奴って苦手だ。当人は関東から越してきて日も浅いのに、なぜか現地の市議選に立候補するんだと息巻いていた。いろいろな繋がりを持ちたくて、この場にも顔を出したそうだ。
このオッサンの精神構造の方こそ難解だが、世のためその町のため、落選されることを切に願うばかりである。
A君は参加のつど、その場の全員にPR動画を作らせてくださいと頼んで回る。皆さん苦笑いしながら「まだそんな身分じゃないから」「そういう機会があれば頼むね」とお茶を濁している。
曲がりなりにもそれを商売にしている僕の所にも「お願いします」とくるから、条件付きで同意した。
いま自分が関わっているプロジェクトがあり、このまま進展するようなら来年早々にオープンカフェを開く予定がある。ついては店内に大型ディスプレイを置き、地元の映像を流すつもりだ。アナタが実績作りにしたいというなら、その動画作成を依頼する。ただし、当面の報酬はない。それにタダだからと言って、作った作品をそのまま流すつもりもない。一般の人が見るに堪えるクォリティを要求するが、それでもやってみる気はあるか?
「実績づくりになるんで是非やらせてください」とA君。
ところがしばらく経って「でも僕、車で遠出したことないんですよね。清水まで辿り着けるか自信がありません。んー、どうしようかなぁ。豊橋までなら1回行ったことがあるけどあの時は○○さんが横にいて道案内してくれたし今度は一人で行かなきゃならないし…」
清水まで来るのも、自立への道も、まだまだ遠そうだな。
助けなどあてにせず自分で切り開いていくしかないけど、こういう場に顔を出しているうちにはヒットする案件もあるかもしれないさ。
キミにはまだ見ぬ夢と、若さという今の僕に不可能な武器が、沢山あるんだから。
イラスト hanami🛸|ω・)و