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ゴミとベートーヴェン

家人かじんの寝しずまった夜更よふけに、ひとり台所へおり、めた飯をありあわせのさいでぼそぼそと食べるとき、人間は空腹になればこうもいじらしいものか、これが、生きるということか。そんな感慨かんがいをおぼえた人はいないだろうか?はしつかって、冷飯ひやめしをかきこみながら何というせつない行為を人はするものだろう、でも皆こうして生きねばならないのだから、うという、この切なさを共有することだけでも、人は互いにゆるし合えるはずではないか。ヒューマニティとは、つづまるところ、ひもじいとき食べずにいられぬこのいじらしさに根源する連帯感にちがいない、ふとそうおもって、息をのんだ経験はだれにもあるにちがいない。

売れもしない原稿の筆がとまって、深夜、空腹をおぼえ、台所の食物を物色ぶっしょくして、食器だなに明日のための菜が残してあるのを見、貧乏世帯のりくりに苦しむ家内の心底をおもい、でも無断でそいつを持ち出し、かまのめしをよそって箸をったとき明日に何のあても私にはなかった。せた愛猫あいびょうそばへ起きてきていた。猫の彼女にとっても私は一家のあるじである。おすそわけをしてやり、ねことふたり(?)寝静まった片隅で生きるということだけを思って、めしを喰った。孤独は、こういう時をさすのだろう、誰がわるいわけでもない、とその時私は思っていた。ひもじくなれば食べたくなる、何という切なさ、そればかりを思っていた。そんな私の心に鳴っていたのはベートーヴェンであった。
ベートーヴェンの音楽は、ついに、生きにくさを知らぬ人にはわかるまい。かれ弦楽げんがく四重奏曲が惻々そくそくと胸にせまるのは、わけて作品一三一がぼくらにひびいてくるのは、人はみな生きていたい、そのいじらしさにおもいをいたすときだろうと思う。
ベートーヴェンは、その意味では、不幸な音楽だ、と思う。つらさなど知らずにおくに越したことはないので、でも所詮しょせん、つらいおもいをせずには生きてゆけないのなら、ベートーヴェンほど、暖かい音楽はない。

《弦楽四重奏曲》作品一三一(五味康祐)『天の聲』1967年

五味康祐ごみやすすけは昭和30年代から40年代、剣豪小説で名をはせた流行作家だ。
ドビュッシーの「西風の見たもの」を聴いて着想・執筆した『喪神そうしん』が『新潮』1952年12月号の「同人雑誌推薦新人特集」に掲載され、第28回芥川賞を受賞する。
それまでの五味は空腹を抱え、友人の下宿を訪ねながら、文学で立つ道を模索していた。しかし仕事はなく、小説は全く売れず、友人を頼るにも限度がある。その年の暮れに至って、困窮は極限にまで達していた。

夜になれば駅のベンチで、腹がへるとコッペパンを買って、ただ書きたいから書く、そんな私の放浪がはじまった。書いて何処へ持ってゆくという当てもない。
ふらふら大学の空いた教室へ這入って行ったり、人目のないガード下に坐り、かじかむ手に息を吹きかけて書いた。
学徒出陣で私は多くの有為な友人を喪った。或る意味では、最も純粋な青年ほどあの戦争で死んで逝ったように思う、その悲しみを、同じ時代に生き還った僕らの手で書き残しておかねばならない、そう思って書いた。
雨が降ると、もう木賃宿に泊る金さえ惜しく心細くなっていたので、原稿用紙を懐ろに抱え、行当たりばったりに他家の軒下にうずくまって夜を明かした。寒くて眠れなかった。

指さしていふ(五味康祐)

喪神そうしん』は、自身の戦争体験や前衛芸術運動の影響など、さまざまな要素が含まれる「自殺できぬ男」を描いた小説である。
たまたま設定を時代小説としたため、当人が全く意図しない「剣豪小説家」というレッテルを、これ以降は貼られてしまうことになる。

詩歌に憧れ、「優美な、純潔な、時に放埓の姿をともなった生命の流露と流露に伴うかなしみを正しく つづる」(『指さしていふ』)ことを主調とした純文学を志した五味にとって、剣豪小説を書く行為は「売文」以外の何物でもなかった。
五味はゴミ小説(実はめちゃくちゃ面白いのだが)の売文家に甘んじる事と引き換えに、当時最高に高価だったタンノイのオートグラフと、最上に高貴な音楽を手に入れたのである。
(明日に続く、っていうか、どんどん横道に逸れていく)

イラスト Atelier hanami@はなのす

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