求む 復活の日
今日もあまり時間がない。
昨日1日お付き合いした就労セミナーで、初めて知った働き方についてのみ触れておく。
と言っても、世間ではとうの昔に常識になっているのかもしれない。僕にとってはお初の情報で、いろいろ考えさせられた。
「タイミー」を使って、毎日職場を変えている独身女性が紹介される。女性の年齢の判断はつきにくいものだが、20代後半から30代くらいだろうか。
「タイミー」というのは昔からある1日だけの単発バイトを、「スキマバイト募集サイト」と表現を変えて人気のスマホ・アプリらしい。
ピッキングや梱包作業、洗い場や飲み屋の現場など日替わりで回り、いつも求人情報に事欠かないという。
でもこれって、体のいいただの日雇い人夫じゃん。
これが『ヨイトマケの唄』の母親であれば、「子供のためなら エンヤコラ」だった。自分のことなど頭の片隅にもなく、貧しい家計を助けるため身を粉にして働いた、かつての日本のお母さん。
成長した息子は、「母ちゃんの唄こそ世界一」と胸を張る。かけがえのない宝物が、母から子に引き継がれていった時代がかつて在ったのだ。
丸山明宏が歌い上げる無私の愛は、今日にあっても聴く者の心を打たずにはおかない。
それが現在、独り身の女性に果たして我が子を授かる機会はあるんだろうか。
「男女機会平等」という上っ面の権利と引き換えに、日本の女性は大変なものを奪われてはいないだろうか。
人間関係をきっかけに会社勤めから遠ざかった彼女だが、今は行く先々の職場で、優しく親切に扱われているという。
それはそうだろう。1日限りであれば現場にとっては数合わせの”お客さん”に過ぎないし、誰も法外な要求などしない。それは彼女が職場における”身内”でなく、あかの”他人”だからだ。
数日も経てば彼女を覚えている関係者など、いなくなって不思議はない。
ちょっと不快な思いをしても、その日が終わればあとくされ無いから、気分を変えて次の職場に行けるそうだ。だから、仕事も続けられる。
その点では、需要と供給のバランスが見事とれているようにも感じさせる。
良かったねと思う反面、労働力の使い捨てここに極まれりというのが、僕の結論だ。
彼女がこのスタイルの仕事を続けていっても、なんのスキルアップも望めず、社会保険はおろか雇用保険の対象ですらない。何らかの理由で仕事が出来なくなったら、次の日から収入の道は即途絶える。
国民年金のみの老後となれば、とくにこれからの時代、相当しんどいはずだ。
若いうちはそんな未来を想像したりしないだろうが、特定の出会いもなくひとり齢を重ねれば、動けなくなった時どれほどシビアな現実が待っている事か。
共に人生の時を刻む友人や同僚、パートナーとの出会いの機会まで、彼女から奪われているように思えてならない。
想像するうち、暗澹たる気持ちになってしまった。登壇した彼女がみごと引きこもりから立ち直り、社会復帰した”成功者”のごとく扱われるのを眺めながら。
その彼女に対し、温かい賛辞と拍手を惜しまないボランティアの人たちの素朴な”善意”に、複雑な思いを抱えながら。
これからの日本、本当に大丈夫だろうか?
いま求められるのは単なる「労働力」じゃなく、人としての尊厳が復活する日だ。