今日もまたひとり
アート・ペッパー晩年の『Our Song』(1980年9月4日録音)を聴いて心に浮かぶのは、「孤独」の二文字だ。
タイトルは「僕たちの歌」であり、彼の3番目の妻で、人生最後の恋人でもあったローリーに捧げた一曲だ。
ところが聴こえてくる音楽は、ローリーへの今生の別れと心からの賛辞、加えて内に秘めた謝罪に思えてならない。
ペッパーのキャリアは、ヘロイン中毒が原因の刑務所生活によって何度も中断されたが、そのつど実りある「カムバック」を果たしている。
1940年代にヘロイン中毒になり、1954年から1956年、1960年から1961年、1961年から1964年、1964年から1965年に薬物関連の刑に服し、キャリアを中断した。
チャーリー・パーカーに匹敵すると称された全盛期の大半を、ムショ暮らしで棒に振ったことになる。
彼の母親はアルコールやドラッグを大量に摂取していたし、父親はアルコール依存症の商船員で、幼いペッパーは両親とほとんど触れ合うことなく、祖母の手で育てられた。これでまともな人格が形成されるとは、とても思えない。
彼の犯罪歴は、薬物に関連した武装強盗だ。
中毒の強さは刑務所に何ヶ月・何年いようと、その習慣を改めるものではなかった。釈放されたその日にガソリンスタンドに直行して強盗をし、その金でヘロインを買ったことまである。
自身の人生に関する多くの逸話の中で、ペッパーは第二次世界大戦中にロンドンに駐留していたとき、女性をレイプしたと自慢している。彼によればその女性とウィスキーを飲み、数マイル歩いたのだから当然の報いだったという認識だ。
どうしようもないクズ野郎に、とてつもない天賦の才が宿っていた。身内にいればどう扱っていいか、始末に困る存在だろう。
ところが世の中には、そういうダメンズを好きになってしまう女性が意外とたくさんいるらしい。
仕事ができて、相手にリードされるより自分がリードしたいタイプだったらしいローリーという伴侶を得たことによって、ペッパーは人生の最後に心の平安を得た。
そのはずであるのに、この曲を全編覆う憂愁や悲哀はなんだろう。
満たされたようでいながらいくら注がれようと、底にひびが入って決して一杯にならない容器のように、ペッパーの孤独を埋めてくれるものはなかったのかもしれない。
それゆえ『Our Song』からは、現実の場のみにしろ、自分を救ってくれた妻への感謝と謝罪の思いが響いているのだ。
同じ「孤独」を、白人やユダヤのミュージシャンから受けることが意外とある。
ジャニス・ジョプリンであれば、望まない孤独【Loneliness】。
ルー・リードだと、積極的な孤独【Solitude】。
ボブ・ディランになると、自己選択した孤立【isolation】。
これが黒人のジミ・ヘンドリックスやセロニアス・モンクになると、なぜか孤独というより「孤高【keep himself to himself】と感じてしまうのは、偏見のなせる業だろうか。
白人ジャズミュージシャンであれば、ビル・エヴァンスとチェット・ベイカー辺りが、「孤独」の双璧だろう。
彼らのアルバムには「alone」をうたったものもあり、実にピッタリくる。
エヴァンスの『Alone (Again)』(1975年)は、タイトルの通りグラミー賞を獲得したソロ・ピアノ作品『Alone』(1968年)の、続編的なアルバムだ。
笑顔のエヴァンスが珍しく、ちょっと嬉しい。
1977年以降のアルバムから響いてくる壮絶な孤独感はなく、むしろ「ひとりぼっち【Alone】」を楽しんでいる。それでも聴き進めるうち、その唯一無二のタッチから、隔絶した彼の内面が映し出されるのを知ることになる。
安定しているようでも、常に綱渡りの音楽なのだ。
ジャズは元来アドリブを主体とした「個」の音楽であり、内面をさらけ出すという行為自体が、「孤独」と直結しているのかもしれない。
ジャズを聴く人が耳そばだてるのも、オーケストラの様な「調和」ある響きではなく、個々のプレイヤーの自己表現だ。
あふれ出す「自我」の好悪によって、聴きたい対象がそれぞれ分かれる。
いったん好きになったらペッパーのように、クズな部分も含めその人の全てを知りたいとなってしまうファン心理は、ちょっと他のジャンルの追随を許さぬものがあるかも知れない。「孤独」はその中にあっても、最も重要な要素の一つだ。(明日に続く)
イラスト Atelier hanami@はなのす
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