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環境一番 国民二番

今朝のWebニュースを見ていると、「ガソリンにバイオ燃料10%、30年度までに導入を…経産省が目標を正式発表」なんてのがある。
読んでいて、比喩ひゆじゃなしに目まいがしてきた。頭おかしいというより、この国を動かす人たちの思考が、完全に停止してしまったかのように感じる。

「2030年度までにバイオ燃料を最大10%混ぜた燃料の供給を求める」
バイオ燃料とは何か。「バイオ燃料は、トウモロコシやサトウキビなどの生物資源が原料」とある。

生物体(バイオマス)のエネルギーを利用したものが、バイオ燃料となる。樹木や木材、廃材、生ゴミ、家畜の糞尿などの有機系廃棄物も、バイオマスとして扱われる。

バイオ燃料を燃やす際にもCO2は排出されるが、このCO2は植物の光合成により再び植物体内に固定化されるため、循環型のエネルギー資源として利用が可能、だそうだ。
バイオを生成するまでの工程を考えれば、屁理屈、欺瞞ぎまんとしか思えないが。

バイオ燃料には固体燃料(薪や木炭)、液体燃料(メタノール、エタノール、バイオディーゼル)、気体燃料(バイオガス)など、さまざまな形態がある。今回は自動車用燃料だから、液体燃料が該当するわけだ。

アメリカのバイデン政権では、2022年4月にエタノール15%混合のガソリンを販売する許可を発表している。
エタノール混合のガソリンは安価でありながらも、高温時の使用はスモッグ発生の恐れがあることから、夏季の使用は禁止されていた。
2022年4月以降は十分に安全面に配慮したうえで、ガソリンの価格抑制を目指すとしている。

バイデン政権は自国産だけで燃料をまかなえたはずのシェールオイルを規制し、親米国のサウジアラビアとの関係を悪化させるなど「愚行」を繰り返した。
当然のように原油価格は高騰こうとうし、環境に悪影響を与えると分かっていながらエタノール(バイオ燃料)を併用せざるを得なくなったわけだ。
理想(利権)と現実のバランスが取れなければ、こうなることは自明の理である。

この方針も、来年スタートするトランプ政権に於いては「Drill, baby, drill(掘って、掘って、掘りまくれ)」に転換するため、原油価格は相当に下落する。
この4年間、アメリカ民主党べったりだった日本政府に対しても、「ウチのシェールガス(オイル)買えよ」の要求が来るのは、目に見えている。

だったら、買えばいいだけだ。
同盟国からの購入は両者の絆を深めるし、複数国からの仕入れはコストダウンに繋がり(利権構造から簡単でなさそうだが)、一国に頼らないことで安定供給も実現する。「バイオ燃料」なんて言ってる場合じゃない。

ただし、将来に向けた研究までを否定するつもりはない。日本自動車メーカー各社は、様々な取り組みを始めている。

株式会社ユーグレナといすゞ自動車株式会社が共同開発したバイオディーゼル燃料「DeuSEL(デューゼル)」は、ミドリムシが原料になる。
その性能試験で、いすゞ製のエンジンを用いて石油由来の軽油と同等の性能を確認。世界初の、ミドリムシ由来のバイオディーゼル燃料製造が可能と証明された。

NEOS株式会社は、民間6社(ENEOS、スズキ、SUBARU、ダイハツ、トヨタ、豊田通商)による燃料製造の効率化を研究する「次世代グリーンCO2燃料技術研究組合」を2022年7月に設立。
食糧と競合しない「第2世代バイオエタノール燃料」の製造技術向上、製造時に発生するCO2の活用法、バイオエタノール燃料の原材料を獲得するために収穫量の最大化や、作物の成分最適化を目的とする栽培方法の研究を始めている。

マツダは、先述した株式会社ユーグレナが製造した環境に配慮するバイオ燃料「サステオ」に注目。
サステオが手の届く存在であることを広めるために、2020年からサステオを混ぜた軽油で走行する実証実験を行っている。
実証実験に使用した車両は通常のディーゼル車と同様であり、既存のディーゼル車にそのまま使用できることを証明した。
2021年11月にはスーパー耐久レースへ出場、完走を果たしている。

なかなかに日本チックというとか、マニアックな研究が進んでいるのを知るのは楽しい。
ただし、生産量や現実的なコストを前提にその研究がいつ実を結ぶのか、明確にはなっていない。

「夢」は夢として今日現在を考えた時、ひとまず高止まりしたままの燃料代を下げ、企業や家庭が少しでもうるおうよう配慮を示すことが、本来なら国の役割だろう。

ただ、原料確保を巡って世界的な「争奪戦」になることも予想され、安定的な調達が課題となる。木くずや草など他の原料を活用したバイオ燃料の研究開発も進んでいるが、経産省幹部は「価格や生産効率で課題が残る」と指摘している。

ガソリンにバイオ燃料10%、30年度までに導入を…経産省が目標を正式発表

これではお話にならない。それでも強引にこの施策を推し進めようとするのなら、そこには新たな利権の腐臭しかしない。
「50年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロとする『カーボンニュートラル』の達成」なんてお題目、いつまで続ける気なんだろう。

健康のためなら死んでもいいと同じ理屈で、環境のためなら国民は死んでもいいという事か。
あながち、それがホンネなような気もしてくるから恐ろしい。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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