平均こそが意志
フランシス・ゴルトン(Francis Galton)はイギリスの人類学者、統計学者、探検家である。
父は裕福な銀行家で並外れた教育資源もあり、2歳から読み書きできるほどの天才であったそうだ。
1859年、いとこのチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を出版したことに刺激を受け、遺伝の研究を始める。
『種の起源』との出会いは彼の人生を変え、特に動物の繁殖に関する「家畜化の下での変化」の最初の章に、夢中になった。
それからのゴールトンは残りの人生の大半を、人類の個体群の多様性とその意味を探求することに費やすようになる。
「優生学」の命名と、基礎を築いたのもゴルトンである。
優生学=ユージェニクスは、ギリシャ語で『良いタネ』という意味だ。
人間の性質は遺伝的要因に大きく左右されると、ゴルトンは規定する。
するとそこには、劣化を防ごうとする「ネガティブ・ユージェニクス」と、積極的に良くしていこうとする「ポジティブ・ユージェニクス」があるというのだ。
突き詰めれば、相応しくない者に子孫を残させないよう対応するのが「ネガティブ・ユージェニクス」であり、相応しい者が子孫を残す事を奨励するのが、「ポジティブ・ユージェニクス」の考え方だ。
その結果、生存に適さない人間は生まれてこない方が良いという捉え方が可能になる。「優生学」は強制的な不妊手術、人権問題、階級差別、ナチスの安楽死計画など、正当化する原因になっていくわけだ。
ゴルトン自身はこの優生学を、上記のようなネガティブな方向でなく、優れた人間が多くなるようポジティブな方向で活かす事を考えていたそうだ。
当時のイギリスの階級社会では、上流階級や富裕階級同士の結婚が当たり前のように推奨されていた。そうした時代性が、背景にある。
遺伝における「先祖返りの法則」(生物の進化の過程で失ったと思われていた遺伝子上の形質が、突然その子孫に出現すること)が示すように、優れた性質を持つ者がたまたま生まれても、放っておけば世代を経る間に失われてしまう。
このことを防ぐためには、育種家が家畜や栽培植物の品種改良を行うように、優れた人々がより多くの子孫を残すような手段を施さなければならないと、ゴルトンは考えたわけだ。
その目的のために「優生学」という言葉を発明し、「遺伝によって継承される資質を、(賢明に相手を選ぶ結婚によって高めるだけでなく)よりよい血統が維持されるようなすべての方法によって改善するための科学」と定義した。
そのなかでゴルトンは、「劣った」グループや階級を抑圧する必要はない、彼らは自然に衰退するからだとも述べている。
なんか現代で言う、「親ガチャ」じゃないか。
ところがゴルトンは、後に行った統計学的調査によって優生学はそんなに単純に割り切れるものでなく、極めて複雑であると気づかされることになる。
背の高い夫婦と子供を調べたときだ。
・親の身長が高ければ、子供の身長も高い傾向がある(これを「正の相関」と呼ぶ)。
・親の世代と子の世代の身長のバラつきには、ほとんど差がない。
・非常に身長が高い親の子供は、親よりも身長が低く平均に近くなる(これを「平均への回帰」と呼ぶ)。
この3つの相関関係がある事を、発見したのだ。
「優れた親から優れた子が、駄目な親から駄目な子が生まれるとは限らない」
「平均こそが最も生き残りやすく、遺伝子レベルでは『平均』へ帰ろうとしている」
この結果からゴルトンは、遺伝だけでなく環境や教育も大切だと認識し、「ある人が実際に性能を伝承するには、 才能と熱意と気迫がなければならぬ」と申し伝えたそうだ。
「優秀な人間」が優秀な人間を生む、「劣った人間」からは劣った人間のみしか生まれないという前提は、統計によって崩されたことになる。
むしろこの研究結果は、平均的であるということは生きやすく、生き残りやすいということの可能性までも示唆している。
ゴルトンが説いたように、遺伝子レベルにおいては平均こそを目指す意図があるのではないかとの可能性が、否定できない。
ゴルトンは、遺伝と環境が競合せざるを得ない場合は、遺伝の方が重要な役割を果たすと主張した。
同時に、人格の形成に当たっては遺伝と環境の双方が必然で、先天的な資質があってもそれなりの環境がなければダメになってしまうとも語っている。
ゴルトンも前回の安藤寿康氏による「行動遺伝学」同様に、環境や教育の重要性を主張しているわけだ。
彼が提唱した「優生学」ばかりに目が行ってしまいがちだが、人は教育や環境で育つことも同時に訴えていたのだ。
「遺伝か?環境か?」という論争は、今も続いている。
近年の研究では(これも前回触れた)安藤寿康氏による双子の研究から、性格に関しての遺伝率は約50%、環境が約50%とのデータが公開されている。
その決着は、未だ着いていない。
誰と出会い、どのような出来事に遭遇し、何に時間を使い、どのような環境でどのような判断と意志を持ち、何をしていくかという選択の連続の影響を数値で測ることは、現段階では不可能と言わざるを得ない。
ゴルトンは偏見と先入観にとらわれないように、データや統計的手法を用いることの大切さを後世に残した。
そういう意味でゴルトンは、現代の科学的根拠である「エビデンス」の祖ともいえる存在なのだ。
平均値から遠くはなれた身長をもつ父親の息子たちの平均身長は、全集団の平均値に近づく。
夏至・冬至に頭の上に太陽がくる地球上の位置が北回帰線・南回帰線と呼ばれているのは、太陽がそこまで来て戻るからだ。
ゴルトンによる「平均への回帰」という概念は、僕のような「凡人」にも、前向きに生きていく希望を与えてくれる。
イラスト Atelier hanami@はなのす