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雨の歌

1879年2月2日付のクララ ・シューマンからの手紙で、ブラームスはフェリックス・シューマンの病状が急速に悪化しているのを知る。
フェリックスはクララの末っ子で、当時24歳。ブラームスが彼の名付け親になった。
フェリックスが生まれて間もなく、父親であるロベルト・シューマンはデュッセルドルフのライン橋から川に身を投げ、ボン近郊のエンデニヒにある精神病院に搬送されていたからだ。

実の親であるロベルトは息子に会うこともなく世を去り、フェリックス(ラテン語で「幸運な人」)という名は、彼の運命とまったく調和しなかった。
それでもブラームスは、フェリックスを自分の息子のように愛していた。

フェリクスは結核を患って床に伏しがちになり、ヴァイオリニストになる夢も断念、24 歳のとき急激に病状を悪化させる。
衰弱するフェリクスを前に、「この病気は最も残酷なもので、どうしてやるわけにもいかず、言葉もなく見ているよりほかはないのです」と、ブラームスに宛てた手紙にクララは心痛をしたためている。

ブラームスは、のちに『ヴァイオリン・ソナタ第1番』第2楽章アダージョの始まりの部分 (1~24小節) ・「エスプレッシーヴォ」と名付けられた譜面を手紙に添えて、クララ・シューマンに送っている。

親愛なるクララ様
あなたが裏面の楽譜をゆっくりと演奏されるなら、私があなたとフェリクスのことを、おそらく今はかれていないであろう彼のヴァイオリンのことを、どれほど思っているかあなたに語ってくれるでしょう。
あなたの手紙に心から感謝します。お願いしたい一方で強要したくはありませんが、フェリックスからの連絡を、いつもとても楽しみにしています。

ヨハネス・ブラームス:クララ・シューマンへの手紙より
(ウィーン、1879年2月3日から約18日まで)

手紙と一緒に送られた第2楽章の抜粋が終わる第24小節は、後に出版されたバージョンとは異なり、葬送行進曲の要素を含むピウ・アンダンテが小節の後半から始まる。
第2楽章のこの部分は、ブラームスがフェリックス・シューマンの死を知った後で、改めて作成した可能性がある。

昔からブラームスの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』が好きで、いろいろな人の演奏を聴いている。
第1楽章冒頭の、軽やかで抒情的な雰囲気の第1主題を耳にすると、優しい雨音が響く夜の情景が浮かんでくる。『雨の歌』と呼ばれるこの作品は、てっきりこの主題からられたものだと、長い間ぼくは思い込んでいた。

本当のところ『雨の歌』の通称は、第3楽章冒頭の主題が、ブラームスの歌曲『雨の歌 Regenlied』作品59-3の主題を用いているためだそうだ。
聴いてみればなるほど、そのままのメロディーだ。

作詞した詩人グロートはブラームスと同じ北ドイツ出身で、ブラームスのいとこと同じ学校に通っていた話題をきっかけに、深い親交をもつようになった。
ブラームスはさまざまな詩を使って数多くの歌曲を書いているが、特にこの詩を気に入り、別のメロディを付けたものを1曲(WoO23)、さらに低地ドイツ語で書かれた同じ詩にも1曲、作曲している。

身震いするほど冷たい全ての雨滴が降りてきて
この鼓動する胸を冷やし
こうして 創造の聖なる営みが
私のひそやかな命に忍び入るのだ

雨よ降れ、降れ
あの昔の歌を もう一度呼び覚ましてくれ
雨だれが外で音をたてていたときに
戸口でいつも歌ったあの歌を

もう一度、あのやさしく湿った雨音に
耳を澄ませていたい
聖なる、子供のときに感じたおそれに
私の心はやさしくつつまれる

「雨の歌」後半部

子供の頃を思い出しながら、自然の造化の妙に神を感じると言う内容だ。

闘病中のフェリックスとクララに贈った第2楽章のいたわりの旋律は、第3楽章終盤で優しく回想される。その断片が、「雨の歌」の流れるような伴奏と重なり合う。
これはフェリックスの愛したヴァイオリンを、あたかも彼自身が奏でているかのような、フェリクス追憶の音楽なのだ。

「私の心はあなたへの感謝と感動に高鳴っております。そして心の中で、あなたの手を握ります」「この音楽こそが、私の魂の最も深く柔らかいところを震わせるのです!」
クララはこの曲を、(フェリクスのいる)天国に持っていきたいと語ったそうだ。

 演奏は長らく、オーギュスタン・デュメイのヴァイオリンと、マリア・ジョアン・ピリスのピアノを愛聴していた。この曲に関しては、主役のヴァイオリンよりピアノのコントロールが核になる気がしている。
デュメイの、ややもすれば抒情に流れようとする弓の動きを、ピリスのピアノが実に巧みに制御している感じが好ましい。僕にとって「雨の情景」に最もふさわしいのが、彼らの演奏だった。

最近では、庄司紗矢香しょうじさやかとメナヘム・プレスラーのライブ盤が気に入っている。
庄司しょうじのヴァイオリンは単独でも素晴らしいが、伴奏を務めるプレスラーのピアノからは、もはやこの世のものでないかのような透き通った境地が世界を包み込み、奏者と聴き手を幸福感で満たしてしまう。
長く生きるとは、ここに至ることなのか。そう思わずにはいられない。

ブラームスにとって「雨」とは、あちらの世界とこちらの世界を媒介する役割を担うものとして、認識されていたんだろうか。その音楽からは生と死が、ほのかに香ってくる。

Atelier hanami@はなのす

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