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世界に通じるHIKIKOMORI

最近、知り合いの女性が「青少年就労支援ネットワーク」というNPO法人に就職した。
パンフレットをみると、いわゆる引きこもりの人たちが社会に一歩踏み出すサポートをする組織らしい。
静岡市に限った登録者だけで、数百人いるそうだ。実にもったいない話である。

街に買い物に出ると、外国人の姿をよく目にするようになってきた。人種も様々さまざま、仕事に来ている世代と限らず、ベビーカーを押すお母さんに至っては、家族同伴で来日しているという事だろうか。

彼らが目先の労働力不足を補うため、短期の出稼ぎとして来ているだけなら、そんなに目くじらを立てる必要はないだろう。
かつて”豊かな”時代の日本で数年働いて、自国に帰ればひと財産築けたというなら、お互いよかったねで済むかもしれない。今となってそんな成功談、どこからも聞こえてこない。
現行の外国人技能実習機構を世界的な定義に当てはめれば、彼らは立派な移民である。実質的な移民政策が、急ピッチで進行しているわけだ。

現在の首相は5月の参院本会議において、「外国人にとって魅力ある制度を構築し、選ばれる国になることが必要不可欠だ」とまで明言した。野党や大手マスコミはそれすら不服で、もっと外国人労働者に選んでもらえる具体的改善をはかれと、政府を追及している。
「自国民が第一」を標榜ひょうぼうし始めた世界の潮流ちょうりゅうとは、まさに真逆な方向に突き進んでいると言える。

令和4年度の内閣府調査によれば、15歳~64歳の生産年齢人口において推計146万人、50人に1人がひきこもり状態であるとされる。
この「ひきこもり(HIKIKOMORI)」という単語は、「寿司」「弁当」「漫画」「オタク」「改善」同様に、世界の共通言語になっている。
他の国に「ひきこもり(HIKIKOMORI)」が皆無なわけではないが、この一件をもってしても、日本特有の現象と捉えて間違いはない。

数字の話だけで仮定すれば、この人たちが社会に参画するようになった場合、今の”移民”が必要なのか、根本から問われるようになる。
もちろん、各々おのおのは個別の理由から引きこもるわけで、外部からの働きかけのみで全員が社会参画するのが無理なことは、百も承知だ。
では、国がこの課題に本気で取り組んできたかと言えば、その形跡はほとんどない。そういう人たちが一定数いるのはしょうがないよねーの姿勢が、「ひきこもり(HIKIKOMORI)」というあまりありがたくもない世界共通語を生んだともいえる。

日本国憲法第二十七条一項によれば、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」としている。 これは「教育を受けさせる義務」「納税の義務」と並び、「国民の三大義務」のうちの一つである。
日本国憲法を一字一句変えてはならないと主張する皆さん含め、これまでこの課題をおろそかにしてきたのは、国家レベルによる重大な憲法違反と言えないか。

出光興産創業者の出光佐三いでみつさぞう氏は、「社員は家族だ。 家計が苦しいからといって家族を追い出すことが出来るか。仕事ができないからと言って、家族の一員を追い出すことが出来るか」を信条とした。
四無主義(クビなし、定年なし、出勤簿なし、労働組合なし)の下で育てられた出光社員の猛烈な働きぶりは、国内外を問わず、競合他社を圧倒するものだったという。

いまこそ国や官僚、名だたる企業は「社員」を「国民」に置き換え、この言葉をかみしめるべきだと思う。
(今は理由があって)仕事をしていない国民をおざなりに、他国にいる人々を短期的に生産性が上る”労働力”として導入しようとすれば、取り返しのつかない未来が待っているのは自明の理である。彼らも同じ人間で、同じ感情を持っているからだ。
そしてたいがいは日本人よりも主張が強く、強固な信仰心を持つ人たちなのだ。すでにいくつかの地方都市で発生している外国人問題を見れば、利権や利便性に頼らない長期的な視野が、不可欠と判るはずだ。

話しを戻せば、同じ静岡市民である「ひきこもり(HIKIKOMORI)」の皆さんに、地元の活性化のためひと汗かいてはもらえんものかと希望していた。
どこの窓口に話をすれば分からないでいたら、あっちの方から話が来たわけだ。

地元広報紙主催の「井戸端会議」に彼女を呼び、「青少年就労支援ネットワーク」についての説明を願った。その結果、先月の終わりにさっそく一つ、進展をみたことがある。(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす


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